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​Story.1

​Story.2

​Story.3

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Story.1

 

「ねえ、クロウ。今日はどうする?」

 

宿泊していたホテルを後にした矢先、笑みを携えたオルカが問い掛けた。

 

「そうだな…」

 

クロウは辺りを見渡し…ある方向でぴたりと動きを止める。漂ってきた良い香りが鼻腔をくすぐったからだ。美味しい物が待っているに違いないと確信したクロウは、瞼を閉じ喧騒を楽しんでいたらしいオルカの手を引き、善は急げと言うように駆け出した。

 

「あっちに行ってみよう!」

 

突然の事で目を白黒させたオルカは、慌てた様にクロウをたしなめる。

 

「こら!急に走らないの!危ないだろう!」

 

「早くしないと俺達の分が無くなってしまうかもしれない!」

 

「何!?何の話!?」

 

 

「たこ焼きだ!」

 

 

呆気に取られつつ、オルカは負けじと返答した。

 

「とにかく落ち着きなさい!こんなに急がなくても、朝から材料切らす店なんて無いよ!」

 

それはそうだと思い直したのか、クロウはその場で急停止した。勢いが殺され、つんのめりそうになるも…何とか転ばずに済んだオルカは、呆れた様にクロウを見つめる。

 

「全く、食い意地張ってるんだから。誰に似たんだか…」

 

「オルカじゃないか?」

 

「私は別にそんなんじゃないでしょ」

 

確かにクローンではあるが、クロウとオルカは好みがそれほど似ていない。当然性格もだ。クロウはその事を理解した上で、オルカの皮肉に冗談で返したのであった。

 

片頬を膨らませたオルカを眺めながら、クロウはにこにこと微笑む。

 

「お前も口が達者になったものだよ…。ところで、たこ焼きって前にも食べた事があったよね。初っ端でクロウが口を火傷して、私が残りを食べたんだ。よーく覚えてる」

 

「そうだったか?」

 

「とぼけないの」

 

こてんと首を横に倒すクロウの隣で、オルカは肩を竦める。

 

猫舌のクロウがうっかりたこ焼きを一口で食べて、熱々の中身に翻弄されて痛い目に遭った結果すっかり拗ねて、残った分をオルカに押し付けた……二人にとって忘れる筈も無い思い出だ。

 

「…今日はリベンジする!」

 

「やっぱり覚えてるじゃん」

 

「熱くて味わう所じゃなかったから、今回こそはちゃんと…」

 

「はいはい。ちゃんと冷ましなね」

 

「うん!」

 

意気揚々と歩き出したクロウを見つめながら、オルカは軽く溜息を吐く。それから、ふっと口元を弛めた。

 

「…懲りないんだから」

 

独り言は周囲の雑音に吸われ溶けていく。小さな背中まで人混みに紛れて消えてしまわないよう、オルカは後を追った。

 

 

 

「わぁ…美味しそうだ」

 

無事入手した熱々のたこ焼き入りのフードパックを手にしたクロウは、瞳を輝かせながら鰹節が踊る様子を眺めていた。朝から行列は流石に出来ておらず、スムーズに購入出来たのは幸いだった。

 

「よそ見してたら転ぶよ」

 

「大丈夫、大丈夫」

 

その言葉の通り、クロウはたこ焼きに視線が釘付けにも関わらず、器用に人と人の間を縫う様に歩いていた。優れた運動能力をこんな形で活かす日が来るなんて誰が予想しただろうか。勿論、オルカも予想していなかった内の一人である。

 

「…あそこに座ろうか」

 

目に入った手頃な場所にあるベンチを指しながら、オルカが提案する。頷いたかと思えば、クロウは瞬く間にそこへ着席していた。余程食べたいのだろう。呆れつつ、遅れてオルカも隣に腰掛ける。クロウはわくわくした様子で輪ゴムを外し、蓋を開け…溢れてきた湯気に思わず目をつぶった。

 

「わ!」

 

「うーん…これは確実に熱いだろうね。気を付けて食べなさい」

 

「先にオルカが食べてみてくれないか」

 

「え、何。私で試そうとしないでよ」

 

「あーん」

 

クロウは問答無用とでも言うかの様に、爪楊枝でオルカの口元へたこ焼きを運ぶ。

 

「えーっと…拒否権は?」

 

「ない!」

 

「あ、そ」

 

ダメ元だったのか特に驚きもせず。オルカは苦笑しつつ髪を耳にかけ、口を開けた。

 

「そんな小さかったら入らないぞ」

 

「どうして一口で食べる前提なんだい…。やらないよ。何処かのおばかさんじゃあるまいし」

 

「何処の誰なんだ…!?」

 

「さあね」

 

微笑んで、オルカはたこ焼きを一口かじる。咀嚼する様子を神妙な顔で見守っていたクロウは、嚥下を確認した途端口早に言った。

 

「どうだ?熱かったか?美味しかったか?」

 

「んー、どっちも」

 

それを聞いたクロウは、爪楊枝に残っている食べかけのたこ焼きにふーふーと念入りに息を吹きかけ…パクリと頬張った。もごもごと口を動かす度、クロウの瞳は輝きを増していく。

 

「満足そうだね」

 

オルカの言葉にクロウは笑顔で返す。最初に一箇所食べた事で、中の熱を上手く逃がせていたらしい。

 

「美味しい!これがたこ焼きの味なんだな!」

 

満足気にそう言って、クロウは再度たこ焼きに爪楊枝を刺す。

 

「はい、オルカも。あーん」

 

「私は良いよ。前散々食べたし」

 

それに、と付け加える。

 

「クロウに食べられた方が、きっと食べ物も作り手も喜ぶから」

 

「そうだろうか」

 

「うん」

 

「でも俺は、オルカが美味しい物を食べて幸せになっている所を見るのが好きだ」

 

視線を逸らさず伝えられた、真っ直ぐな言葉。オルカの頬が心なしか赤くなる。ふい、と視線を外してオルカは呟いた。

 

「ほんとそういう所…。ま、まあ…食べさせてくれるなら、食べても良いよ」

 

「甘えんぼうだなぁ」

 

「…うるさい」

 

オルカは差し出されたたこ焼きを、小さな一口分含む。すると先程と同じ様に、クロウは冷ましてから残った分を食べた。

 

「一緒に食べると美味しさが二倍…いや、それ以上になるな」

 

「こんな変な食べ方普通しないと思うけど」

 

「え、駄目なのか…!?」

 

「…別に駄目とは言ってないでしょ」

 

オルカは早く寄越せと急かす様に瞼を閉じ、口を開く。

 

「素直じゃないな」

 

「私はお前とは違うの」

 

クロウは笑みを深める。自分以外信じられずに生きてきたオルカが、自分の見た目を模したクローンを作り続け孤独を紛らわせていたオルカが…クロウは自分と違うと認めた上で、受け入れてくれている。改めてそう実感したからだ。

 

「オルカ」

 

「何」

 

「好きだ」

 

心に溢れた温かな気持ちを、言いたいと思った時に遠慮なく口にする。クロウらしい行動だった。

 

「俺だけじゃない。リリィも、オルカを大切に想っている」

 

「…知ってる」

 

クロウは嬉しそうな声色に目を細め……ふと沸いた疑問を口にする。

 

「そういえば、リリィはたこ焼きを食べた事があるのだろうか」

 

「多分、無いんじゃないかな。屋敷で出てくるとは思えないし」

 

「む…残念だ…もし屋敷にたこ焼き職人が居れば毎日食べられたのに」

 

「飽きるでしょ」

 

「絶対飽きない!」

 

「ふふ…はいはい」

 

ムキになるクロウを適当にあしらった後、オルカは呟く。

 

「いつかリリィとも、食べられると良いね」

 

「うん!」

 

お嬢様のリリィに買い食いなんて発想は無いだろう。どんな反応をするのかオルカは楽しみだった。リリィが大人になるまで、あと数年は待たなければならないが。

 

「オルカ。リリィの話をしたら、リリィに会いたくなってしまった」

 

「奇遇だね。私もだよ」

 

「よし!近い内、会いに行こう!」

 

「うん」

 

会話を終えた二人は、改めてたこ焼きを分け合って食べ始める。

 

――――何故だか、先程よりも美味しく感じた。

Story.2

 

二人での旅の最中、いつもの様にホテルで宿泊したその翌日。朝起きてふと、クロウはオルカの異変に気が付いた。

 

…頬が赤い。

 

悪夢を理由に眠るのを避けているオルカを、クロウはいつも案じていた。語らいながら夜を過ごすのは楽しいし、悪夢に魘されるくらいなら眠らない方が良い…そう思ってはいる。しかし、それではオルカの望む『化け物ではない自分』からはどうしても遠ざかってしまう。

 

そこでクロウは、二人で寄り添って眠れば安心して良い夢が見れるのではないかと考えた。早速昨晩提案し、オルカが驚きつつも了承してくれた為、二つあるベッドの内の一つだけを使って寝てみたのだが。

 

「オルカ」

 

「な、何?」

 

「調子、良くないんじゃないか」

 

ベッドに腰掛けているオルカの頬は、やはり赤い。もしかすると熱を出している可能性がある。クロウはリリィが苦しんでいた時の事を、味わった無力感と共に思い出した。計画の為だったとはいえ、あの時イオニアが救ってくれなければ…どうなっていただろう。

 

リリィに教わった熱を測る方法を思い出したクロウは、オルカの頬に手を添え…額同士を合わせる。

 

「えっ…ちょっと、クロウ…!」

 

「やっぱり熱があると思う」

 

ますます赤くなったオルカを見て、クロウは本心からそう言った。すると、固まっていたオルカはハッとなるや否や速やかにベッドから降り、クロウと距離を取った。

 

「こんな事されたら赤くもなるでしょ!!何!?ツッコミ待ちなのかい!?」

 

「いや、冗談を言ったつもりはない。俺は至って真面目だ」

 

反論すべく再度開いた口を呆れた様に閉じ、オルカは自分を見つめ続けるクロウから困った様に顔を背ける。

 

「すぐに治るんだから、体調が悪くなるなんて有り得ないよ」

 

「でも顔が真っ赤だ」

 

「錯覚」

 

「そんな筈は…」

 

確かにオルカは元気そうに見える。不老不死故の治癒力が備わっているから熱では無いのかもしれない。だが、それなら尚更だ。どんな理由で赤くなっているのか…クロウの中で心配が加速していく。熱が無いなら感情によるものなのだろうか。

 

考え込んで沈黙を続けるクロウを眺めていたオルカだったが、次第に飽きたのかクロウの隣にちょこんと腰掛ける。するとクロウは真剣そうに発言した。

 

「分かった、オルカは照れているんだな。起きてすぐから赤くなっていたという事は…夢が関係しているんじゃないか」

 

「…クロウにしては、的を得た事を言うね」

 

相変わらず素直では無い口が、皮肉混じりに遠回しな肯定をする。クロウは正解を当てられた事に安堵した。

 

「可愛いな。夢で照れるなんて」

 

「ばかにしてるでしょ」

 

「いやいやしてない。どんな夢だったんだ?」

 

「…聞いても笑わないって約束する?」

 

「笑わない」

 

即答したクロウは、約束の証にとオルカに小指を向ける。

 

「何?そのポーズ」

 

「指切りだ。人間の文化らしい」

 

「物騒な名称だね」

 

言われてみれば確かにそうだと内心同意しつつ、クロウは微笑む。

 

「オルカも小指を出してくれ」

 

「切るの?切ってもすぐ治るから意味無いけど」

 

「痛い事はしない。小指を絡ませて呪文を唱えたら約束した事になるんだ」

 

「へえ」

 

「ちなみに約束を破ったら、針を千本飲まないといけない」

 

「ふーん。人間って自分でも針飲むんだ」

 

意味深な言葉に、クロウはしまったと反省した。オルカは実験体の頃に受けた仕打ちに似た事象に出くわすと自身の経験に基づく感想を口にする。何処か…他人事の様に。時間が解決するとは言うが、オルカの場合そうもいかないとは想像に難くない。

 

「…すまない。嫌な事を思い出させて」

 

「ん?ああ、全然気にしてないよ」

 

あっけからんとした調子で差し出された真っ直ぐな小指に、クロウは自身の小指を絡ませる。オルカからは指を絡ませる素振りを見せない。どうやら受け身に徹するつもりのようだ。怪力による力加減の問題からか、照れ臭さからか…恐らく両方だろう。

 

呪文にも針の事が出てくるが…唱えなければ約束が成立しない。クロウは心の内で再度謝りながら、なるべく早く終わらせようと努める。

 

「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます指切った」

 

「淡々と言われると怖さが増すね」

 

「笑顔の方が良かったか?」

 

「それはそれで怖いから遠慮しとく」

 

楽しそうに笑った後、クロウと指切りした小指を目を細めて一瞥したオルカは…ぽつりと言葉を零した。

 

「…実は昨日、いつもみたいな夢を見なかったんだ」

 

「本当か!どんな夢だった?」

 

嬉しい報せに笑顔を咲かせるクロウだったが、何故かオルカは気まずそうに視線を逸らした。

 

「その…」

 

言い淀んで黙り込んでしまったオルカに、クロウは優しい声色で言う。

 

「何にせよ、悪夢じゃなくて本当に良かった」

 

「…ありがと」

 

「効果があると分かったし、オルカさえ良ければ次からも一緒に寝ようか」

 

「…嬉しいけど、それはちょっと困るというか」

 

「どうしてだ?」

 

首を傾げるクロウの傍らで、オルカは俯いて指同士を絡ませながら答える。

 

「また、同じ夢見るかもだし…」

 

しおらしい姿にクロウの心がくすぐられる。あのオルカが起きた後に顔を赤くする程の夢…気にならないと言ったら嘘になる。

 

「やっぱり、どんな夢だったか知りたい」

 

「え…」

 

「駄目か?」

 

「駄目っていうか…なんていうか…」

 

「教えて欲しい」

 

「う…」

 

「オルカ」

 

反射的にぴくりと反応するのを見て、クロウは笑みを浮かべる。リリィから名前を貰ってすぐの頃はラグがあったのだが…今となってはこんな調子だ。それが何だかクロウは嬉しかった。

 

「…オルカ」

 

オルカは名前を呼ばれる事を好んでいる様だった。本人は口にしないが伝わって来る。大切な人に貰った自分だけの名前は、まるで宝物の様で…呼ばれる度に喜びを感じられる。そう考えているクロウだからこそ、オルカの想いに共感出来た。

 

「クロウ…も、もう少し離れて…近い…から…」

 

指摘されて、クロウはつい密着してしまっていたと気付く。好きな人と触れ合う事で感じられる心身の温もりを好む癖が出たらしい。オルカも本当は好きな筈なのにいつも嫌がるので、クロウは不思議だった。

 

…不思議なので、今回は申し出を無視してみる。

 

「クロウ」

 

「…」

 

「離れてってば」

 

「…」

 

「離れなさい」

 

「…」

 

「怒るよ」

 

「やだ」

 

やっと返事をしたかと思えば内容がシンプルな拒否だったせいで呆れたらしいオルカは、観念した様に笑う。

 

「ふふ。変なクロウ」

 

柔らかな笑み。胸に愛しさが溢れたクロウは嫌がられるのを覚悟で、ぎゅう…と抱き締めてみる。すると抵抗されるどころか、オルカの方からも背中に腕を回してきた。力の制御に奮闘する羽目になる為、滅多に返さない…否、返せないのに。

 

「…私も、変だね」

 

「変じゃない」

 

「そう?」

 

「そうだ」

 

オルカは小さく微笑んだ後、そっと話し始めた。

 

「…実験体だった頃の夢を見たの。でも、今回は違った。一緒に寝たからなのかな…クロウが助けに来てくれてね」

 

心の底から嬉しそうに、少し涙声になりながらオルカは続ける。

 

「絶対に、君を守る…って言ってくれた」

 

クロウは目を少し見開く。奇しくもそれは、かつてリリィにクロウが贈った言葉そのものだったからだ。

 

「凄かったんだよ。研究者達をやっつけて、私を研究所から連れ出して…なんだか、王子様みたいでかっこよくて」

 

クロウは顔を上げる。視線が合ったと思った瞬間…オルカの瞳に滲んでいた涙が、頬を伝った。

 

「起きてからも忘れられなかった」

 

オルカが泣いている所を見るのは、悲しくなるから好きでは無い…筈なのに。クロウは何故だか目を離せずに居た。

 

「有り得ない事だけど、本当にそうだったら良かったのに…とか、色々考えてしまって。そしたら、幸せな夢だったのに何故か、切なくなって…だから…」

 

涙を拭い、オルカは微笑む。心配を掛けないようにと無理に作られた笑顔のまま…ぽつりと。

 

「…だから、今後も眠るのはやめておこうと思う」

 

過去の再演は、オルカに苦痛を与えるものだ。しかし温かな幻想もまた、真綿で首を絞められる様なものだったのだろう。

 

クロウはオルカの出した結論を否定しようとは思わなかった。オルカが眠らない事を望むのであれば、その意思を尊重し寄り添いたいと感じたからだ。

 

「分かった。夜は沢山話をしよう」

 

「うん」

 

「夢の中の俺より、現実の俺の方が良いって思って貰いたいし」

 

「対抗意識燃やしてる?」

 

「それはもう」

 

「…なら一つ、お願いがあるんだけど」

 

「よし、何でも来い!」

 

オルカは未だ潤った瞳のまま、少し逡巡する素振りを見せた後…ささやかな願いを口にする。

 

 

「夢の中のクロウと同じ事、言って欲しい」

 

 

しかしクロウが返事をするより先に、オルカは続けた。

 

「…なんて。私みたいなのが…ふふ、滑稽にも程があるよね。やっぱり今日は少し調子が悪いのかも」

 

クロウは逃げようとするオルカの手を取る。視線が交わった時、真っ直ぐな瞳で告げた。

 

 

「絶対に、君を守る」

 

 

小指を差し出しながら、クロウは微笑む。

 

「約束だ」

 

「また、約束してくれるの?」

 

「勿論」

 

「破ったら、針飲まないといけないよ」

 

ここまできて尚、クロウに逃げ道を用意してくれている。そんなオルカの不器用で優しい繊細な心を包み込む様にクロウは断言した。

 

「信じてくれ」

 

真摯な態度が伝わったのか、オルカは遂に折れる気になったらしい。きっと思い出したのだろう。誰かを信じるという事に憧れと恐怖を抱いていたオルカが、一歩を踏み出せたのは…紛れもなく、クロウが居たからだと。

 

頷いたと同時に落ちた涙がシーツに染みを作る。オルカは、先程と同じ様に真っ直ぐ立てた小指を差し出した。クロウが小指を絡ませる。するとオルカは、ほんの少しだけ指を曲げた。まるで信じるという証の様に。

 

「ずっと一緒に居よう、オルカ」

 

温かな言葉を受け止め、嗚咽に肩を震わせながら…オルカは何度も頷いた。そんなオルカを、クロウは力強くも優しく抱き締める。初めて手放したくないと思った相手の腕の中で、オルカの思考が巡った。

 

もっと早くクロウの…960の声に耳を傾けられていたら。心を持った960を受け入れる勇気が自分にあったなら。クロウとオルカにはなれなかったとしても、今目の前に居る人を独占出来たのだろうか。そんな事を思う自分は薄情だろうか。後悔が絶えない人生を何度終わらせたいと願っただろう。死をもって罪を清算出来たならどれほど楽になれるだろう。もしもは尽きない。苦しくて仕方がない。けれど。クロウと居られるなら…それでも生きていたいと思えた。

 

「好き」

 

だから、死なないで。

 

続けたかった言葉を、オルカは飲み込んだ。願いを口にしたらきっとクロウは約束してくれる。けれどこればかりは何の保証も無いとどうしようもなく分かっていた。クロウを嘘吐きにする訳にはいかない。だから言わない。きっと、この先もずっと言えないのだろう。

 

そんなオルカの憂いを、クロウはたった一言で払う。心底幸せそうな声で。

 

「俺も好きだ」

 

「…うん」

 

「愛してる」

 

「私も…愛してる…」

 

鼓動が無いが故に愛と恋の区別を付けられないオルカは、自信なさげに付け足した。

 

「多分…?」

 

「多分…」

 

「ご、ごめん…よく分かんなくて…」

 

「大丈夫だ。オルカに断言して貰える日が来るように、俺が頑張れば良いだけの事だから」

 

「…かっこいいね」

 

自分と違ってひたすら前向きなクロウに眩しさすら覚えながら、オルカは素直に賞賛した。するとクロウは嬉しそうに目を輝かせる。

 

「本当か!?夢の中の俺よりも!?」

 

「まだ言ってるし…心配しなくても、実物のクロウが一番だよ」

 

「やったー!!」

 

純粋に喜んだクロウに一層抱き締められ、オルカは小さく笑った。

 

「ばか。苦しいよ」

 

「やめた方が良いか?」

 

「…だめ。まだ、やめないで」

 

「知ってる」

 

分かり合えているからこそ成立する冗談の掛け合いを終え、二人は静かに抱き合う。沈黙が苦にならない穏やかな時間。鼓動の音はクロウの物しかないが、こうしているとまるで一つの心臓を共有している気分になった。不思議な心地良い感覚だった。

 

かつて化け物と呼ばれ、長い孤独に苛まれたオルカは、心の内で呟く。

 

…生まれてきて良かった、と。

Story.3

 

宛ての無い旅の最中…偶然通り掛かった海岸にて。設置されていたベンチに並んで座り、クロウとオルカは海を眺めていた。

 

力強く荒々しい波の音。何処か寂しさを感じる風の音。他に人は居ない。オルカは、まるでクロウと世界で二人きりになったかの様な心地に包まれた。

 

何処か嬉しさを感じつつ、どれ程の時が流れても艶やかな長い黒髪を潮風に靡かせながら、オルカは隣で黙り込んでいるクロウの顔をそっと覗き込む。するとオルカはある事に気が付き、笑みを携えつつ口を開いた。

 

「クロウが考え事なんて、珍しいね」

 

シワが寄っている眉間をそっと撫でられたクロウは、くすぐったそうに口元を弛めた後…思い出した様に頬を膨らませた。

 

「珍しいってどういう意味だ、オルカ。俺はいつも色々考えてるぞ」

 

「へえ、意外」

 

「なんでだ!」

 

破裂するのではないかと思うくらいパンパンになったクロウの頬を、オルカがつつく。楽しそうな様子を見て怒る気が失せたのか、クロウはオルカの肩に頭を乗せて鼻息を一つ吐いた。頬で遊ぶのを強制的に中止させられたオルカが問う。

 

「それで、何考えてたの?」

 

「秘密」

 

「あー、教えてくれないんだー」

 

わざとらしい調子でオルカは続ける。

 

「私を信用してないんだー」

 

「オルカ」

 

「んー?」

 

「俺は、君を信用している」

 

「…ふふ。分かってるよ」

 

真面目な返答に笑みを深めたオルカは、クロウに体重を預けつつ穏やかな声色で問う。

 

「悩み事でもあるの?」

 

「…うん」

 

「解決出来そう?」

 

「…無理、だと思う」

 

「そっか。諦めの悪いお前がそう言うのなら、どうしようもない問題なのだろうね」

 

クロウは素直に頷いて黙り込んだ。するとオルカは膝を抱き寄せ、提案を口にする。

 

 

「…じゃあ私が、クロウの悩み半分持ってあげる」

 

 

「えっ…」

 

「ほら。話してごらん」

 

オルカが受け止める姿勢を見せるも、それでもクロウは逡巡していた。だがオルカに諦めるつもりは無い。

 

悔しいからだ。大切な人が悩んでいる時に、何の力にもなれないなんて。

 

「…はやく元気になって欲しいの。言わせないで」

 

「うっ…」

 

押して駄目なら引いてみろ作戦に、クロウの良心が白旗を上げた。

 

観念した様に項垂れ、長い溜息を吐いたクロウは、ゆるゆると顔を持ち上げる。そして海に目をやり…数秒の沈黙を経て、ぽつりと言葉を零した。

 

 

「死にたくない、と思ったんだ」

 

 

死への恐怖を感じる所か死の訪れを望んで生きてきたオルカは、共感し難い悩みに頭を悩ませつつ口を開く。

 

「多分、生き物にとっては当たり前の事だと思うけど…どうして、急にそんな事を?」

 

クロウは海から視線を外す。そして海色の瞳を持つオルカを見つめ、手を取り。

 

 

「君を置いていきたくない」

 

 

オルカはクロウの手が微かに震えているのを感じ取り、諭す様に話し始める。

 

「ねえ、クロウ。どうして私はあの時あの女神に、クロウを不死にしてくれと頼まなかったと思う?」

 

分からず首を傾げるクロウに、オルカは静かに微笑む。

 

「死ねないって、辛いからだよ。私はそれを知っている。だから…クロウを道連れにする様な事はしたくなかった。お前は自由であるべきだと思った」

 

クロウを不死にした上で冥界で永久に暮らすという選択は、クロウの為に捨てた。故にオルカの願いは冥界から出られない呪いの解除という、一人になった後を考慮したものだったのだ。

 

「不死にするなんて、私の為に生きろと言っているのと同じだから」

 

自分の望みが相手の望みと同じとは限らない。クローンで見た目が似ていたとしても、心は別物だとオルカは知っている。

 

しかし。

 

「俺はオルカと一緒に居たいし、オルカの為に生きたいと思っている。守ると約束もした」

 

クロウの真っ直ぐな言葉に今度はオルカが折れかける。

 

「やめて。後悔しそうだから」

 

「…不死にしてくれれば良かったのに」

 

「わーー!!やめなさいっての!!ばか!!」

 

「確かに俺は自由だ。オルカも自由だ。その上で、自分の意思で、今一緒に生きているんだよな?」

 

「そうだけど…で、でもほら長い目で見て考えてみてよ!今は良くても、今後私の事が嫌になる日が来るかもしれないでしょ!?それなのに冥界で二人きりだったら…」

 

「オルカ」

 

「はい」

 

「それ以上言ったら怒る」

 

「はい」

 

 

 

二人して自然と再度海を眺め始め…暫くした後。オルカが口を開く。

 

「…色々考えたけど結局、あの願いが最善だったと思う。性根の腐った女神の事だ。文字通りの不死にして、私の様な再生力までは付与しない可能性がある。ぐちゃぐちゃになっても死ねない体にされたかもしれない」

 

イオニアの残虐性を知っているが故に否定出来ず、恐ろしい想像に怯えつつ…ぎこちなく頷いたクロウの頭を、オルカはそっと撫でた。

 

「痛いのに死ねない苦しみなんて、お前に味わって欲しくない」

 

経験から来る言葉の重みの切なさと、それに伴う思いやりの込められた優しさを感じたクロウは、衝動的にオルカを抱き締める。

 

「もう。外なのに大胆なんだから」

 

オルカは噛み締める様に続けた。

 

「…私、クロウの温もりが好き」

 

「オルカ」

 

「うん」

 

「ずっと一緒に居たい」

 

「私も」

 

抱き締める力が強まったのを感じ、オルカは瞼を閉じる。

 

「…長生きしてよね」

 

「する」

 

「ふふ、即答」

 

視覚からの情報を遮断したからか、波と風の音…そしてクロウの温かさを一層感じた。

 

 

オルカはそっと確信する。

 

この幸福な記憶を忘れる事は無いだろう。忘れない限り、クロウは思い出の中で生き続けるのだろう。それならきっと、いずれまた独りになっても寂しくは無い……と。

 

 

「オルカ!」

 

「なぁに」

 

「聞いてくれて有難う!スッキリした!」

 

「そう。良かったね」

 

「うん!」

 

よしよしと頭を撫でられたクロウは嬉しそうに顔を綻ばせ、またオルカに引っ付いた。

 

「あは、くっつき虫みたい」

 

「虫じゃないぞ」

 

「そうだねークロウは鳥だねー」

 

「適当言ってるだろう、オルカ!」

 

「さてねぇ」

 

ベンチから立ち上がったオルカは、逃げる様に駆け出す。

 

「あ!こら!待て!」

 

「待てって言われて待つ奴は、初めから逃げたりしませんよーだ」

 

捕まえてくれると分かっていて逃げる、いじらしい態度を見せるオルカを…青空の様に晴れやかな笑顔を咲かせたオルカを。クロウは爽やかな潮風に後押しされながら、追うのだった。

Story.4

 

「オルカ。前々から思っていたんだが、あれ…」

 

クロウが指さす先にあるのは、タワーだった。高層ビルが立ち並ぶ景観の中で一際高い為、旅の最中幾度となく目に入った。不思議と視線が引き寄せられる存在感と、何処か懐かしさを醸し出しているそれは、二人のよく知る建造物を思い起こさせる。

 

「似てるよね」

 

同意を示すオルカの呟き。クロウは嬉しそうに頷く。

 

「やっぱり!そうだよな?良かった、俺の気のせいじゃなくて」

 

二人が連想したのは、冥界で本拠地にしていた塔だ。

 

人間界は冥界をコピーして作られた世界。故に、冥界の塔と人間界のタワーは恐らく同一の物だろう。数千年もの時間経過により塔は所々崩れていたが、タワーはしっかりと修繕が繰り返されているらしい。遠目から見ても綺麗な状態に保たれている。

 

「近くまで行ってみないか」

 

「…別に良いよ。他にやる事も無いし」

 

「こら、一言二言余計だぞ。全く…」

 

皮肉屋なオルカを苦笑混じりに嗜めた後、クロウはオルカの手をコート越しに握った。

 

「行こう」

 

二人は、街頭に照らされた夜の摩天楼を歩き出す。

 

 

 

やがて、タワーの麓に辿り着いた。

 

「わ、凄いな!近くで見るともっとキラキラだ!」

 

限界まで首を反らせたクロウが感嘆の声を上げる。ころんと後ろに転びそうだと思ったのか、はしゃぐクロウの背中にそっと手を添えつつ…オルカはすいと視線を周囲に這わせる。

 

とある文字が目に入った。

 

「…無料開放中、だって。お金が無くても中に入れるみたいだよ」

 

「入るしかないな!」

 

「はいはい、言うと思った」

 

あしらう様な態度に、クロウが頬を膨らませる。

 

「はいは一回で良いんだぞ」

 

「それって誰が決めたの」

 

「え…!?わ、分からない…」

 

「なら好きにしても良いでしょ」

 

「確かに…」

 

真面目なクロウが渋い顔で首を傾げるのを見たオルカは、少しからかい過ぎたかと思いつつ。コートの先で、ぽんぽんとクロウの頭を撫でる。

 

「あまり考え過ぎないように。仕舞いに頭から湯気が出るよ」

 

「ええっ!?沸騰するのか!?考え過ぎるとそんな大変な事になるのか!?」

 

「…まだまだお勉強が足りないね」

 

呆れと愛しさの入り混じった笑みを携え、オルカは一足先にタワーへと足を踏み入れた。

 

 

 

広いエントランスの中央には、大きなエレベーターが設置されていた。興味深そうにきょろきょろと体ごと視線を動かすクロウに、案内板を見ていたオルカが声を掛ける。

 

「このエレベーターで屋上に行けるみたい。展望台があるそうだよ」

 

「成程。でもエレベーターより飛んだ方が絶対速いぞ」

 

「誰かに見付かったら騒ぎになるでしょ」

 

昔こそ死神は人間に視認されなかったが、人間界の住民となった今のクロウは違う。空なんて飛ぼうものならニュースになるなり新聞に載るなり間違い無しである。

 

「ふふ、分かってる。冗談だ」

 

「それは良かった、安心したよ。お前の冗談はたまに分かりにくいからね」

 

肩を竦めながら瞳を細めるオルカに、クロウは屈託のない笑顔を向ける。それにつられたのか、オルカも口元を綻ばせた。

 

 

エレベーターが上昇している間…他に客が居ないのを良い事に、クロウはオルカに話し掛ける。

 

「屋上って、冥界の塔ではオルカの部屋があった所だよな」

 

「そうだね」

 

「そういえばオルカ、知ってるか。馬鹿と煙は高い所が好きという言葉があるらしくて」

 

「その後に続く言葉によっては金輪際お前と口を聞かないけれど」

 

「何でもないです」

 

「ばか」

 

「ごめんなさい」

 

「ばーか」

 

「うわーん!」

 

 

 

無機質な到着の合図。開いた扉の先には、壁一面ガラス張りの空間が広がっていた。

 

「凄い…!綺麗だ!」

 

クロウは窓に駆け寄り、鼻先が付くギリギリまで顔を近付ける。ゆったりと後に続いたオルカは、近くにあった長椅子に腰掛け、視線を前に向ける。

 

ビルから漏れる明かりが、まるで星の如く輝いていた。地上の星とは言い得て妙だ。オルカと死神達の他に誰も居なかった冥界の夜とは比べ物にならない、圧倒的なまでの光の数々。まるで命の存在を示しているかの様だった。

 

「オルカ」

 

いつの間にか隣に座っていたクロウに呼ばれ、オルカは身動ぎする。

 

「見惚れてただろう」

 

「…ちょっとだけね」

 

「ふふ、そうか」

 

それから二人、身を寄せ合いながら静かに夜景を眺めていたが…ふと、クロウが口を開く。

 

「何だか、懐かしい。昔、オルカが俺を部屋に呼んで…こんな風に過ごした事があったよな」

 

「…うん」

 

 

まだ二人が、識別番号960と管理者だった頃。管理者は度々、部屋に960を呼び、傍らに居るよう命じた。「何も言わずに傍に居なさい」と。

 

960に限らず、『はい』以外は報告に関する事しか、死神に発言許可は出ていなかった。他者を信用していない管理者の自己防衛によるものだ。発言を禁ずれば、冷たい言葉を回避出来る。それは同時に、温かな言葉をも受け取る機会を失ってしまう。そう分かっていても、当時の管理者には勇気が無かった。

 

もう十分に傷付いたからこそ、喜びも無ければ悲しみも無い、無感情な安寧を求めたのだ。

 

 

「あの頃は、全然喋らせて貰えなかったっけ」

 

「今は自由に発言出来て良かったね、クロウさん」

 

「あーあ、またそんな言い方して…」

 

意思と反して突き放すような言動を取ってしまう。本当は好きなのに、それを素直に表に出せない。クロウはそんなオルカの悪癖を理解している。だから、笑みを絶やさずに傍に寄り添える。その証拠に、見透かしたような言葉を紡いだ。

 

「でもオルカは、俺が居ないと駄目だもんな」

 

「…」

 

「傍に居て欲しいんだもんな」

 

「…」

 

「俺の事大好きだもんな」

 

「…」

 

「なー」

 

満面の笑みを向けられたオルカは、何処か悔しそうに沈黙を破った。

 

「…そうだよ」

 

小さな声での敗北宣言を聞き届けたクロウは、オルカの頭を自身の胸に優しく抱き寄せる。

 

「よしよし、よく言えました」

 

無抵抗に撫でられつつ、オルカは照れ臭そうに訊ねる。

 

「誰か見てない…?」

 

「見てない見てない。皆外の景色に夢中だから、大丈夫だ」

 

ぎゅう、と一層抱き締められたオルカは、そっと瞼を閉じる。

 

「…そういえば、昔は触れる事も出来なかったんだっけ」

 

ぽつりと感慨深そうに呟かれた言葉が、オルカに降り注ぐ。

 

「あんなに遠かったのに、もう…こんなに、近いんだ」

 

「…」

 

「嬉しい」

 

クロウの鼓動を感じながら、穏やかな心地に包まれ…自然と頬に伝った涙を拭わないまま、オルカは返答する。

 

「…私も、嬉しい」

 

微かに震えた声。時折跳ねる肩。

 

…オルカが泣いている。悲しいからじゃない。嬉しいから、泣いている。そう感じ取ったクロウは、いつしか自分もぽろぽろと雫を零しながら、長い擦れ違いの果てに迎えた今を噛み締めた。

 

「一緒に居よう」

 

ずっと。

 

「愛してる」

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