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​Speak.1

Step.1

Step.2

Step.3

Step.4

Step.5

Step.6

​Speak.2

Step.7

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Speak.1

 

「ほれ、そこの少年。それについて行ってはいけないよ」

 

「どうして?」

 

「怖い所に連れて行かれてしまうからじゃ」

 

「え!」

 

「だからほら、こっちにおいで」

 

「うん」

 

「お父さんとお母さんはどうした?」

 

「お仕事行ってるよ」

 

「そうか…とりあえず、今日はもう帰りなさい。そろそろ暗くなるからな。出口まで付き添ってやろう」

 

 

 

「ところで少年、名は何と言う」

 

「天霧(あまぎり)ユウ」

 

「ユウか。良き名じゃな」

 

「お姉さんは?」

 

「妾は天霞姫神(あまかすみのひめのかみ)と言う」

 

「んー…?」

 

「ふふ、ユウにはまだ難しかったかのぅ」

 

 

「ねえねえ、お姉さんすっごくきれいだよね」

 

「ん?」

 

「神さまみたい」

 

「みたいというか、本当に神様じゃからなぁ」

 

「そうなの?」

 

「そうともそうとも」

 

 

「さあ、着いたな」

 

「ありがと、お姉さん!」

 

「良いんじゃよ。また遊びに来ておくれ」

 

「…あのね」

 

「ん?」

 

「今度は、ぼくがお姉さんを助けるよ」

 

「ほう」

 

「だから困った時は呼んでね」

 

「ユウは、優しい子じゃなぁ」

 

「へへ。はい、指切りげんまん!約束ね」

 

「…うむ、約束じゃ」

Step.1

 

ふと目に入った時計は、夜の8時を指していた。

 

…ああ。もうこんな時間か。

 

僕は台所へ向かう。

 

冷蔵庫から取り出した米とおかずがセットになった冷凍食品を電子レンジに入れ、時間をセットしてスタートボタンを押す。電子レンジが仕事している間、冷凍食品がぐるぐる回る様子を割り箸片手にぼーっと眺める。終わりの合図が鳴ったら、服の袖をミトン代わりにして熱くなったそれを持ち、速やかに運ぶ。座布団に着席したら合掌。

 

すっかり染み付いたルーティンだ。

 

 

 

ぼんやりテレビを眺めながら食事をしていると、バラエティ番組がニュースに切り替わった。ニュースキャスターが原稿を読み上げる。

 

幼稚園児達が歩道を散歩している最中、トラックが突っ込んで来て…大勢が亡くなったらしい。

 

胸がザワつく。適当なボタンを押してチャンネルを変えた。

 

 

――――理不尽だ。世の中は。

 

もっと生きたかったであろう、まだ何の罪も犯していない未来ある子どもが、なんの前触れもなく死ぬ。

 

そして、生きる目的もない僕みたいなくだらない人間は、のうのうと生き続けている。

 

 

食事を終えた僕は、再び台所へ行く。隅に置いてある口を縛ったゴミ袋を解き、トレーと割り箸を中に入れ、また縛り直す。

 

一人暮らしの自炊は金が掛かるし、そもそも料理する気力なんて無い。だから通販で買った冷凍食品で済ませるし、洗い物を出さないようにして面倒と手間を省いている。

 

 

リビングに戻って、ぼんやりとまたテレビを眺める。時間が潰せるならそれで良い。意識を向けられる何かがあればそれで良い。そんな感覚で目に映す。

 

所謂趣味の類は、気力がないのかやる気にならない。昔はゲームとかしてたような気がするけど、今となってはパッタリだ。

 

 

もう誰も帰って来ないアパートの一室で、僕はそうやって生きている。

 

 

――――僕の親は、優しい人達だった。

 

高校の時…大人しいからと目を付けられ、僕はいじめを受けた。所謂ヤンキーが多い学校で、唯一仲の良かった隣の席の友達がある日ぱったりと来なくなって、孤立した所を狙われたのだと思う。

 

学校に行けず引き篭もる様になった僕を、両親は一言も責めなかった。情けなくて理由は言えなかったけど、察してくれたんだろう。わざわざ引っ越ししてくれた挙句、無理に新しい学校に入れる事もせず、生きていてくれたらそれで良いと言うばかりだった。

 

朝なんだか昼なんだか分からない時間に起きて、母さんが作ってくれた弁当を食べて、テレビを見て、父さんと母さんが仕事から帰って来たら一緒に晩ご飯を食べて、風呂に入って、川の字で寝る日々の繰り返し。

 

優しさに甘えて延々と引き篭もった。

 

 

――――そんな僕が二十歳の誕生日を迎えた、12月25日。

 

お祝いのケーキを取りに行くと出掛けた両親を見送り、僕は相変わらず留守番をしていた。そんな中、警察からの思いもよらぬ電話に頭が真っ白になった。

 

両親が乗っていた車に、信号無視をしたトラックが突っ込んだという。

 

後日確認した遺体は原型を留めていなくて本当に僕の親なのかを疑う程だった。DNA鑑定の結果が物語っていたし、実際帰って来なかった事実から、認めざるを得なかったけれど。

 

生命保険の受取人は僕だった。加えて加害者からの賠償金があった。贅沢をしなければ経済的に困る事は無い。だから働く事も無く、両親の命と引き換えに生まれた金で生き永らえている。

 

どうしようもないクズ。

 

生きている親の脛を齧るのも、死んだ親の金に縋って生きるのも、どちらも褒められたものではない。二人が居なくなってまだ数ヶ月しか経っていないのに、のうのうと生きている薄情な自分が嫌だった。そう思っていながら何も現状を変えようとしない所は、もっと嫌だった。

 

 

…さっきのニュースが尾を引いているのだろうか。自己嫌悪が止まらない。メンタルが乱れた時は本当に困る。これだからニュースは嫌いだ。内容に関しては、運が悪かったと言う他ないけど。

テレビを消して、敷きっぱなしの布団に横になり、引き寄せた毛布にくるまって深呼吸を繰り返した。

 

両親が生きていた頃と同じ柔軟剤をあえて使い続けている。この匂いに包まれると、幸せだった頃の記憶を思い出せて気分が落ち着く。

 

同時に、虚しくもなるけれど。

 

 

 

そうしている内に眠ってしまったのか、ふと目が覚める。時計を見ると朝だった。窓の外から小鳥のさえずりが聴こえる。

 

泣いたせいか、目の周りがパリパリになっていた。不快だ。でも眠ったおかげで頭はクリアになった。

 

 

顔を洗うべく重い体を起こそうとした時、チャイムが鳴る。宅配は頼んでいない。つまり居留守が最適解。宗教の勧誘だろうか、鬱陶しい。僕は息を潜めた。

 

もう一度チャイムが鳴る。二回目は別に有り得ない話ではないけど…はあ。早く帰ってくれないかな。

 

三回目、四回目、五回目……

 

しつこい。

 

鳴り続けるチャイムに苛立ちが大きくなっていく。せっかく比較的穏やかな精神状態になれていたのに水の泡だ。

 

まあいいや…もう一度寝よう。起きた頃には居なくなってるだろう。こういうのは無視するに限る。人間の仕業じゃない可能性だってあるんだし。

 

 

僕には厄介な事に霊感というものがあった。今は昔程ではなくて、精々なんか此処ら辺に居そうだなっていうのが分かる程度だけど。

 

霊の中には所謂愉快犯っていうのがいる。自分から関わって来ようとするタイプ。多分今インターホンを鳴らしてるのはそういう類の悪趣味なやつだと思う。反応しないのが吉だ。反応すると調子に乗るから。

 

はいはい、無視無視。

 

 

「なんだ居るではないか」

 

 

「ひっ…!?」

 

目の前に急にお出ましされて声を出さずにはいられなかった。怖い。何でこんなにくっきり見えるんだろう。霊感が復活した?そんな事あるのか?

 

「ちゃんとピンポンしてたのに!妾を無視するとは良い度胸をしておるのじゃ!」

 

「…」

 

「おいおい今から見えてないフリしても手遅れじゃが?」

 

「…」

 

「ちょっとー!!無視すなー!!」

 

するに決まってるだろ。

 

「ま、まさか覚えとらんのか!?うちの神社で散々一緒に遊んだのに!?」

 

神社?

 

「えーえーえー!せめて聞いた事くらいはあるじゃろ!?天霞(あまがすみ)神社!!」

 

天霞神社。

 

無視してやり過ごそうと思っていた僕だけど、その名前を聞いて何か引っかかった。

 

「今の妾はあの頃のようなボンキュッボンではないが…で、でも覚えとるじゃろ?覚えとるよな?覚えとると言え!」

 

小学校低学年に見える、足元まで伸びる長い黒髪の女の子。巫女さんのを派手にしたみたいな着物。吸い込まれそうな程に綺麗な、灰色の瞳。

 

もしかして。

 

確かに見た目は記憶と違うけど、この子には僕が幼い頃に住んでいた場所の近くにある、天霞神社で出会った女性の面影があった。

 

「…覚えてる」

 

遠い記憶を掻き集めながらうわ言のように呟くと、目前の女の子は満足気に微笑んだ。

 

「本当か!?嬉しいぞ!ユウ!」

 

よく名前覚えてたな。そうだ…名前、何だっけ…確か…。

 

 

「アマガエルヒメ…だっけ?」

 

「天霞姫神(あまかすみのひめのかみ)!!!!」

 

 

そうだった。

 

「何じゃいアマガエルて!!ゲコゲコ言えば満足かー!?おぉん!?」

 

「すみませんでした」 

 

宥めると、すぐに気を取り直してくれた。

 

「妾超頑張って探してたんじゃ!そしたら表札に天霧って書いてあったから、こりゃ間違いないと思っての!」

 

「…なんで、僕を探してたの」

 

「え、だって約束したじゃろ?」

 

「約束…」

 

「ユウ、妾がピンチの時に助けてくれるって言った!」

 

「……あ、ああー…」

 

 

――――思い出した。

 

幼い頃、家の近くの神社に一人で遊びに行った事がある。霊に話し掛けられて相手をしていたら、あの世へ連れて行かれそうになって…その時に助けてくれたのが、この神様だった。手を繋いで出口まで付き添ってくれた。

 

その別れ際、僕は約束をした。

 

 

そうだった…そうでした…助けるとかなんかそんな感じの事言った気がする…。

 

僕はつい溜息を吐く。

 

「なーんで残念そうなんじゃい」

 

「だって…絶対面倒な事に巻き込まれるし…」

 

美人なお姉さんだった筈の神様がちんちくりんになっているんだから、何かあったに決まっている。そもそも僕を探して会いに来た理由は、本人が言っていた様にピンチだから。どう足掻いても面倒事が待っていると確定している。

 

「そう言わずにぃ!妾とユウの仲やろがい!」

 

「昔の話でしょ…何年前だと思ってるの…」

 

「今から取り返せば問題ないのじゃ!」

 

「ポジティブが過ぎる…」

 

呆れながら返す。

 

懐かしい感覚だった。人とリラックスして会話する感覚。怖くて吃って人とろくに喋れない僕がこんな風に自然に話せるのは、家族を除けば高校の時の友人と…それから…。

 

「ん?どうしたユウ」

 

僕にじっと見つめられて首を傾げた神様から、ふいと視線を外して答える。

 

「…いや、別に」

 

「妾可愛いから見惚れてたんか?」

 

「違います…」

 

「またまたぁ〜照れなくて良いんじゃぞ〜!そういやぁ昔は綺麗って言ってくれたっけなぁ!」

 

何だか小っ恥ずかしくなり、にまにま笑う神様の頬をつまむ。

 

「何するんじゃ〜離せ〜ぃ」

 

「…」

 

「聞いとるぅ〜?」

 

 

数十年ぶりに僕の前に現れた、神様。もしかしたら…停滞した僕の何かを、変えてくれるかもしれない。

 

 

「…神様。ピンチって、どんな?」

 

 

この面倒事に顔を突っ込めば、僕は変われる。生きる意味が見つかる。

 

そんな予感がした。

Step.2

「よくぞ聞いてくれた!」

 

神様は目をキラキラ輝かせて、僕の手を取った。

 

けど。

 

「実は……いや、言うよりは実際に見て貰った方が良いな」

 

「えっ」

 

「という事で、今から神社に行こう!」

 

「今から?」

 

「そうじゃ!」

 

口頭で教えて貰えるものだとばかり思ってたから、急展開に驚く。

 

神様は僕の手を引いてズンズン玄関に向かう。凄い。凄い強引。見た目に伴って中身も幼くなったのかと思ってしまう。それとも思い出補正で昔を美化してしまってるんだろうか。

 

とにかく。

 

「待って待って待って、出掛けるなら準備しないと…」

 

「準備?ああ、そうかそうか!すまんな!」

 

パッと手を離されて、思わず前のめりに転びそうになる。

 

「いやはや、人の子は難儀じゃのう」

 

「えっと…すぐ済ませるんで…」

 

「うむ!」

 

まずは着替え…あ、顔も洗わないと…それから貴重品持って出ないといけないし…あとは…。

 

しっかりした支度をするなんて何年ぶりだろう。そもそも出ようという気がなかったから当然なんだけど、ゴミ出し以外で外に出る日が来るなんて。しかもこんな唐突に。

 

…いや、唐突なくらいが僕にとっては良いのかもしれない。

 

 

 

「お待たせしました…」

 

カバンの中身を確認しながら玄関に向かう。財布も通帳も持ってる…アパートの鍵も発掘してある…あとハンカチと…ティッシュと…これで大丈夫かな…?よし。

 

「うむ!では今度こそ出発じゃ!」

 

大分待たせてしまったのに、神様は欠片も怒る素振りを見せなかった。けろりと笑っている。それが何だか有難かった。

 

神様は玄関のドアを開け、僕の手を取り、意気揚々とアパートの廊下に出る。

躊躇う間も無く、僕も続いて足を踏み出した。

 

 

 

神様と手を繋ぎながら、神社へ向かって歩いて行く。有り得ないとは思うけど、もし昔の同級生と出くわしたらと思うと心臓の辺りが痛かった。でも神様が居てくれるからか、何とかなっている。

 

…外に出るなんて、一人じゃ無理だったな。

 

「ユウ、暫く見ない内に随分と大きくなったもんじゃのう」

 

「え…あ、うん…」

 

「いつからじゃっけ。ユウが神社に来てくれなくなったの」

 

「確か…小学校に入る前だったかな…。父さんの仕事の都合で、この街を離れたんだ」

 

「そゆことだったのか!道理でぱったりだった訳じゃ!妾嫌われたのかと思ったぞ!」

 

「はは…違うよ」

 

 

生まれ故郷だったこの街を離れて、僕はずっと違う街で暮らしていた。いじめはそこでの出来事だ。僕がいじめられていると察したらしい両親は、物騒な地域だったというのもあってか、離れようと言ってくれた。そして僕が少しでも安心して暮らせる様にと、この穏やかな街に再度引っ越してくれた。

 

なのに、人間不信に陥っていた僕は引き篭もる道を選んでしまった。親不孝者だと思う。情けないと思う。でもそれ以外の選択肢は頭に無かった。

 

人間が、怖かったから。

 

 

「戻って来てからは、訳あって全然外に出られなくて…神社の事は…あの、正直すっかり忘れてた。ごめん」

 

「ふむ、ここまで正直だと怒る気にならん!許す!」

 

「…有難う」

 

「ユウにも、色々あったんじゃな」

 

「…うん」

 

「それに、あの頃は幼かったからの。妾を忘れてしまっていたのも仕方あるまいよ。いやはや、思い出してくれてラッキーじゃ!」

 

神様はにこにこと優しく笑う。

 

 

 

話をしながら歩いていたら、神社へ続く石階段の前に辿り着いた。

 

「…此処の上、だったっけ」

 

「そじゃよ!」

 

わー高いなーこんなに階段多かったっけ…?子供の頃には大きく見えた物が大人になると小さく見えるというのはよくある話だと思うけど、逆もあるんだな…。

 

 

意を決して階段を上っている最中、僕は肩で息をしながらやむを得ず立ち止まる。

 

「ま、…待って…、神様…し、死ぬ…」

 

「大丈夫か!?」

 

「体力…落ちまくってる…っぽい…」

 

超絶しんどい。心臓がSOSを発しているのが分かる。足が震える。もう何年も引き篭っていたのに、とんでもなく長い階段へ突然挑むのは馬鹿のする事だ。

 

でも行くしかない。神様との約束を果たすには…そして、僕自身を変える為には。

 

「し、死なない程度に頑張るんじゃ!!」

 

「…はあ、はあ…」

 

「ほら、妾の手をしっかり握って…一段ずつ、ゆっくり行こう!な!」

 

病院でリハビリを受けている患者になった気分だ。神様の掛け声に合わせて、何とか脚を持ち上げていく。

 

「昔は段飛ばしで駆け上がって来てたのになぁ。普段大人しいのに妾に早く会いたくてやんちゃな事をしたのかのぅ」

 

「ねえ…ちょっと…うるさい…」

 

「たまにすっ転んでぴーぴー泣いてたの、可愛かったのぅ〜」

 

「…怒るよ…そろそろ…」

 

そうだ!と名案が浮かんだとばかりに神様は声を弾ませた。何を言うのかと思えば。

 

 

「昔みたいにおぶってやろうか!」

 

 

ちくしょう。絶対自力で上り切ってやる。

 

 

 

「…え」

 

必死の思いで辿り着いた先の、目の前に広がる光景に僕は唖然とする。

 

「な?大ピンチなんじゃよ」

 

腕を組んで瞼を閉じ、神様がうーんと唸る。それもそうだ。だって…。

 

「酷過ぎない…?」

 

昔の記憶では、掃除や手入れがしっかり行き届いていた筈だ。なのに今は人っ子一人…つまり従業員すら居ないから、落ち葉が境内に散乱している。綺麗と評判だったのがまるで嘘のような有様だ。風の音が哀愁を漂わせている。

 

「何があったの…」

 

開いた口が塞がらない僕へ、神様は遠い目をしながら語る。

 

「神主がぎっくり腰で寝込んでしもて、しかも治療中にボケてしまったんじゃ。結構な歳じゃったからのう…。そんな訳で巫女達も辞めてしまったし、もうこの神社には妾しかおらんのよ」

 

「絶体絶命じゃん…」

 

「後継者おらんから別の所の宮司が兼務する事になったというのを風の噂で聞いたんじゃけど、妾見た事ないし本当なのかよう分からん」

 

「もしそうだとして完全に放置されてますよこれ…」

 

「自分の所で手一杯なのかもしれんな!」

 

もう開き直るしかないのか、神様は高らかに笑う。僕も引き攣った顔で笑う。

 

お手上げだ。神社のシステムとか何にも知らないし、僕ではどうしようもない。今出来る事は…これだけだ。

 

「とりあえず、掃除しようか」

 

 

 

箒を手に、神様と落ち葉を集める。

 

あまりにも人手が足りないから、今日中に終わる気配はない。風のせいで集めた落ち葉が散乱するし、何より凄く広いし。

 

手入れが追い付かないから誰も来てくれない…これでは寂れていくばかりだ。僕が神様の立場でも開き直ると思う。全盛期の頃を含めてずっと此処で過ごしていたであろう神様の気持ちを思うと、やるせなかった。

 

「…人が来てくれんくなってから、妾の力も弱くなってしまってな。こんな姿になったのも、その影響によるものじゃ」

 

大きな箒に翻弄されながら健気に奮闘している神様は、何だか見た目よりも小さく見えた。嫌な予感がして僕は不安を口に出す。

 

「もし、このままの状態が続いたら…」

 

「うむ。間違いなく、妾は消えてしまうな」

 

「…そんな」

 

「神様って、そういうもんなのじゃ。必要としてくれる人の子が居なければ、存在意義が無い。忘れられたら消えてしまうんじゃよ」

 

「人間と同じだね」

 

「はは、そうかもしれんな!」

 

人が本当の意味で死ぬのは、忘れられた時だ。誰の記憶からも消えた時にようやく、この世から居なくなったと言える。と、思う。

 

だから父さんも母さんも、本当の意味ではまだ死んでいない。少なくとも、僕が生きている間は。両親の葬儀の際、保険金目当てに寄って来た親戚達の事はもはや身内と思っていないから、カウントする気は無い。

 

「…人の子も神も、等しく儚いものよ」

 

ぽつりと呟いた神様へ、咄嗟に言葉を投げ掛ける。

 

「僕一人だと、神様の力になれない?」

 

長い髪をたなびかせて、神様が此方を振り向く。

 

「僕一人が覚えてるだけじゃ、神様は生きられない…?」

 

「ユウ」

 

「今日の朝まで神様を忘れていた僕が言ったって何の説得力もないと思うけど…もう絶対に忘れない。だから…居なく、ならないで」

 

両親の時は突然だったから理解が追いつかなかった。死ぬ場面をこの目で見た訳でも無かったし、事実を知らされただけだから、喪った後もあまり実感がなかった。

 

今回は事前に可能性を告げられたからか…冷たい恐怖が押し寄せてくる。

 

 

――――置いていかれるのは、怖い。

 

 

「ユウは、優しい子じゃなぁ」

 

慈しむような穏やかな声に、初めて会った時の光景がフラッシュバックする。気付けば口が動いていた。

 

「神様。もう一度、指切りしよう」

 

頷いた神様が小指を差し出してくる。昔と逆転した手の大きさに不思議な気持ちになりながら、僕は自分の小指を絡ませる。

 

「もう僕らは、互いに居なくならない」

 

「うむ」

 

「指切り、げんまん」

 

「約束じゃ」

 

神様はにこりと微笑んだ後、目を伏せて静かに言った。

 

「実は妾がユウにお願いしたかったのは、何も神社を立て直してくれなんて…そんな大層なものじゃなくてな」

 

「うん」

 

流石にそれはお願いされても無理だ。住職になれるだけのポテンシャルはとてもじゃないけど僕にはない。仮になれたとして神社を繁栄させられるかは別の話だし、人の上に立てる器ではないとも自覚している。

 

 

「どうかユウだけは、妾を忘れないで居ておくれ…という、ただそれだけの事だったのじゃ」

 

 

…ただそれだけって言うけどさ。数十年も前の僕との約束を覚えてて、この街に居るかも分からない僕の居場所を探して回ったんでしょ。それってさ。

 

「神様、重いね」

 

「んなー!?」

 

「相当重いよ」

 

「あれー!?結構しんみりした空気じゃなかったー!?」

 

「だってそう思ったんだもん」

 

「ぐわー!!否定出来ないのが何ともー!!」

 

――――ああ。僕は卑怯だな。自分の事は棚に上げるんだから。

 

「ねえ」

 

「んー?なんじゃー?」

 

「毎日此処に来て良い?」

 

「来てくれるのか!?」

 

「神様が、良いって言うなら」

 

神様は弾けるような笑顔で、僕の腰に抱き着いて来た。

 

「良いに決まっておろう!」

 

良かった。断られるとは思ってなかったけど。何らかのバグが起きない限り、あの流れで断られるなんて有り得ないし。

 

 

今日僕は、あんなに出られなかった外に出られた。神様に手を引いて貰ったおかげで。

 

神様に会いにいくという目標を立てれば、今後も外に出る勇気が湧く筈だ。

 

そうすればまた、僕は変われる気がする。

 

 

「…じゃあ、明日も来るね」

 

「一人で大丈夫か?道に迷わないか?」

 

「子どもじゃないんだから、平気だよ」

 

「流石じゃ!」

 

…。

 

「…でも、暫くは迎えに来て欲しいかも」

 

ズコーっと神様がズッコケる。

 

一人で来れるに越した事はないけど、やっぱりたった一日でこびり付いた恐怖は無くならないと思う。今は気分が高揚しているから無敵な気分だけど、寝て起きたらどうだろうか。行こうと思っていても、外に出られない可能性の方が高い。そうして出られなかったら神様への罪悪感で僕のメンタルが大変な事になる気がする。

 

「やれやれ、仕方ないのぅ」

 

「やった」

 

「ユウは階段一人で上れんしなぁ」

 

「…」

 

「あいたたたたたー!?妾のほっぺを伸ばすなー!?」

 

「だって意地悪言うから」

 

「すまんてすまんてぇ〜!!」

 

僕はぱっと手を離す。

 

「も〜…変な事を覚えよったな…」

 

知らん顔をしたら、神様はやれやれと肩を竦めた。

 

「とりあえず暫くは、行きも帰りも妾が付き添おうかの」

 

「よろしく」

 

「ちなみに言っておくが、妾あんまし神社から離れたら駄目って決まりなんじゃからな!」

 

「今なら誰にも怒られないよ」

 

「妾しか居らんからな!って、やかましいわーい!」

 

ノリツッコミ搭載してて面白い。笑う為にこんなに表情筋使うの、いつぶりだろ。何だか神様と居ると童心に帰れる気がする。

 

「…とりあえず!今日はもう暗いし、お家へ帰るのじゃ」

 

タイミング良く、カラスの声が響く。

 

「ほれ、カラスも鳴いた事じゃし」

 

「ふふ…分かった」

 

差し出された小さな手を握って、僕は夕焼けの中帰路に着いた。

 

 

 

「じゃ、ユウ!また明日な!」

 

「うん。また明日」

 

てくてくと歩いていく背中を見送った後…僕はリビングに直行して、使い古した座布団に腰を下ろす。そして、ふーっと長い溜息を吐いた。

 

まるで夢でも見ていた気分だ。

 

でも、夢じゃない。自然と口元が緩む。心が温かいもので満たされている気がして。

 

 

 

寝支度を済ませ、布団に入り、就寝するべく瞼を閉じる。

 

明日はきっと、朝早くに神様が僕を迎えに来るんだろう。それまでにご飯を食べて…支度を済ませて…それから……

Step.3

「…よし」

 

僕はドアノブを回す。太陽の眩しさに目を細めながら、外へ出る。

 

神様に会いに行く為だ。

 

 

神様と再会したのが穏やかな春で、今灼熱の夏に変貌している事を思うと…もう三、四ヶ月くらいは経っただろうか。セミの協調性のない合唱に包まれながら、すっかり慣れた道を確かな足取りで進む。

 

日差しが肌を焼いてくる熱さの方が個人的には嫌なので長袖だ。あと帽子は欠かせないし、日傘もちゃっかり装備している。そして水筒でこまめに水分補給して、万全の状態を維持。抜かりはない。

 

神社とアパートを往復する様になったからか、体力は以前より格段と付いている。とても喜ばしい。階段を上った後はまだ少し息が乱れるけど、それでも進歩していると思う。

 

…そうだ。

 

コンビニ寄ってアイス買って行こうかな。神様きっと喜ぶと思う。

 

人の目を見て話すのはまだ怖くて出来ないけど…店で買い物をする程度なら、今はもう出来る。神様と毎日話しているおかげだろう。

 

 

 

僕は神社の近くのコンビニに入る。涼しい…と思った頃にはすぐに慣れて、また暑さを感じた。脇目も振らずにアイスのコーナーに直行。ケースから漂うひんやりした涼しさを享受しつつ、どれにしようかと眺める。

 

…あ、これいいかも。2つ入ってるし、何となく溶けにくそうだし。

 

 

 

買い物を終えて、外に出た瞬間に日傘シールドを展開する。本当に便利だ。無かったら今頃地面と一体化してたかもしれない。母さんが使ってたのが残ってて良かった。

 

アイスを手に、少し駆け足気味で神社を目指す。

 

――――やりたい事があるって、必要とされてるって、こんなに嬉しいんだな。

 

そんな事を思いながら。

 

 

 

「神様!」

 

階段を上り終えたのと同時に呼ぶと、境内の入口付近にある大きな木に寄りかかっていた神様が、パッと顔を上げた。いつもちゃっかり日陰にいるのが微笑ましい。

 

「ユウ〜!待ってたぞ〜!」

 

嬉しそうに、涼しいからこっちへ来いと誘われる。毎度の事だし素直に従った。うん、涼しい。

 

木の下で座り込んで、僕は早速アイスの袋を開封する。取り出したアイスは2つが1つにくっ付いていたので、切り離して片方を神様に差し出した。

 

「はい、神様の分」

 

「うわぉ!有難う!あいすくりいむではないかー!本当にユウは良い子じゃなぁ!」

 

嬉しそうに受け取った神様は、すぐさまアイスを口にして顔を綻ばせる。

 

「ん〜!夏の暑さが美味しさを引き立たせるというもの!素晴らしいのじゃ〜!」

 

「良かったね」

 

…早く僕も食べよう。

 

 

 

「夏といえばお祭りの季節だね」

 

ふとそう思って、何気なく口にすると。

 

「昔はこの神社でも夏祭りやってたんじゃがなー」

 

空になったアイスの容器を手で弄んでいる神様が、拗ねた様にそう言った。

 

「そういえば、やってたっけ」

 

懐かしいな。色んな屋台が出店して、いつにも増して人で溢れてた。

 

「な〜!覚えとるか?妾と型抜きバトルしたの!」

 

「絶対引き分けだった、あれね」

 

「おお、覚えておったか!ふはは!あんなもん無理じゃよなぁ!」

 

幼い頃も大人しかった僕は、友達作りが得意ではなかった。いじめられたり仲間外れにはされなかったけど、空気というか…何と言うか…そんな立ち位置だった。

 

だから夏祭りは一人で参加していた。両親は仕事で忙しかったから、お小遣いだけ貰って…心配掛けたくなかったから、友達と遊ぶって嘘を吐いてたっけ。ある意味間違いでは無いか。神様が遊んでくれてたから。

 

「自信満々で挑んで、常に失敗するっていうね」

 

「うおーん!!言うでない言うでない!!」

 

声をあげて笑い合った後、もうこの神社で一緒に夏祭りを過ごす事は出来ないんだなと実感して、少し寂しくなる。

 

「食べ物も美味しかったよなぁ〜たこ焼きとか焼きトウモロコシとか焼きそばとか〜」

 

「ふふ、今思うと焼いてるやつばっかり。基本半分ずつだから、色んなの食べられたよね」

 

「うむ!」

 

――――ああ、思い返せばキリがない。どうしてあんなに楽しかった事を忘れていたんだろう。

 

語り合う相手が居るからこその思い出だから?いや、きっとそれだけじゃないな。楽しかった事を思い出す為の余裕が無かったんだ。多分。

 

実際神様と再会してからの僕は、以前の自分が嘘の様に精神が安定している。

 

 

「アイス食べたし、掃除しようか」

 

「うむ!今日こそ妾の方が多く葉っぱを集めてみせるぞー!」

 

箒を手にした僕達は、にっと笑い合って散開する。

 

境内の掃除は、僕らにとってもはや趣味になりつつあった。諦めたらそれまでだし出来る限り綺麗にしようと続けていた掃除だけど、いつの間にやらどっちの方が多く葉っぱを集められるかを競うゲームになっていた。

 

 

――――数時間後。

 

今回も僕が圧勝した。

 

「ぐあー!!やっぱ腕の長さの壁が高過ぎるのじゃー!!」

 

「残念でしたー」

 

「本来の姿に戻れたら互角…否!妾が絶対勝てるというのにぃ!」

 

「出来るもんならやってみなー」

 

「ち、ちきしょー!!妾に力を分けてくれ人の子らよー!!」

 

ジタバタするのをピタリと止めて、日が沈みそうなのに気付いた神様が言う。

 

「おっと。ユウ、そろそろ帰らないとじゃな」

 

「…うん」

 

「そんな寂しそうな顔をするでない!妾はいつでも此処に居るんじゃから、また明日会えば良かろう!」

 

えっへんと得意気にする神様に、僕は頷いた。

 

 

そうだ、僕らには明日がある。変わらない楽しい日々が待っている。

 

分かっている筈なのに、どうしてだろう。どうしてこんなに、不安になるんだろう。

 

――――別れる時はいつもそうだ。楽しい時間が終わる時はいつもそうだ。

 

 

「ユウ。名残惜しいのは、妾も同じじゃ」

 

 

…昔。急に引っ越す事になって、初めての事でバタバタして、神様にお別れを言う事も出来ず僕はこの街を去った。

 

神様はどう思っただろう。急に来なくなった僕を心配してくれただろうか。裏切られたと感じただろうか。ああ…そういえば言ってたな。嫌われたと思ったって。しかもやっと会えたと思ったら、嫌う所か僕はすっかり神様を忘れていた。

 

どれ程傷付いただろう。沢山酷い事をした。嫌われるとしたら僕の方だ。それなのにどうして、神様は優しい目で僕を見つめているんだろう。

 

 

「けど、妾は大丈夫。また会えると信じておるからの」

 

「…うん」

 

「だから、笑っておくれ」

 

「……うん」

 

 

ごめん神様。酷い事して。

 

もう絶対に、忘れたりしないから。

 

 

 

帰り道を歩きながら、考える。

 

神社がああなったのはいつからなんだろう。神様はいつから一人だったんだろう。そもそも、僕以外の話し相手は今までに居たんだろうか。居たんだとしたら、少し……いや、僕にそんな感情を抱く権利なんて無い。

 

神様が一日でも多く楽しく過ごせる日があったなら、喜ばしい事だ。

 

 

「おーい!ユウー!」

 

 

後ろから神様の声がして、反射的に振り返った。内心嬉しくて仕方なかったけど、なるべく平穏を装う。

 

「どうしたの?」

 

「ふふ、やっぱ今日は妾も一緒に行くのじゃ!」

 

そう言うと隣に並んで、僕の手を取る。

 

「元気無かったから、心配になっての」

 

「…優しいね」

 

「へへ!」

 

「有難う。元気出た」

 

「そうかそうか!」

 

機嫌良さそうにるんるんと歩く神様を眺めていると、やっぱりどうしても、離れたくないなって気持ちになる。一緒に住めたら良いのに。無理か。

 

…あ、それなら。

 

「ねえ神様」

 

「なんじゃー?」

 

「神社でキャンプしたい」

 

「きゃんぷ?」

 

「うん」

 

いまいち分かっていなさそうなのでキャンプについて説明すると、神様は即賛成してくれた。

 

「なんじゃそれ!すっごい楽しそうじゃなー!」

 

「でしょ」

 

「きゃんぷふぁいやあ!」

 

「近隣から苦情入りそうだから無し」

 

「そんなー!!じゃあ、ばあべきゅうは!?」

 

「煙が出るのは全部無し」

 

「ガビーン!!」

 

ほんと、派手な物好きだし食い意地張ってるな。やれやれ。

 

「テントで寝るだけのささやかなキャンプです」

 

「ふむぅ!まあ、それもまた一興じゃな!」

 

「朝までお喋り出来るからお得だよ」

 

「こりゃ!夜はちゃんと寝なさい!」

 

「ちぇー」

 

 

 

その後アパートの押し入れから父さんの私物だったテントと毛布を持ち出して、神様と神社に戻る。テント立てるなんて随分ご無沙汰だったけど、協力して何とか形に出来た。

 

「おおー!なんか凄いのじゃ!」

 

「テンション上がるよね」

 

「うむ!」

 

テントの周りをぐるぐるしてみたり、中に入って寝転んでみたりしている神様を眺めてから、僕も中に入る。テントの入口から足だけ出して座り、夜空を見上げる。

 

「ほら、神様。星が綺麗だよ」

 

「わー!ほんとじゃなー!」

 

結構高い場所だから地上の光が届きにくいのかもしれない。その分、空の星がよく見える。

 

「ま、知っとったけどー!」

 

ふふ、そりゃそうか。ずっと此処に住んでるんだもんな。

 

「妾、夜はいつも星を眺めておるのじゃ」

 

「そうなんだ」

 

「オリジナルの星座沢山作ったぞ!例えば〜…あ!あれは便座じゃ!」

 

「便座」

 

「おっ!正座発見!」

 

「正座」

 

「今日は土下座も見えるな!」

 

「土下座」

 

駄目だ。くだらな過ぎて堪え切れない。僕が噴き出すと、神様は楽しそうに笑った。

 

「ほんと神様、全然威厳無いよね」

 

「でもそういう所が〜?」

 

「その手には乗りませんー」

 

「そんなー!妾はユウの事大好きじゃぞー?」

 

あーあ。簡単にそういう事言う。

 

「…僕はもっと好き」

 

「何ぃ!?じゃあ妾は大大大好きじゃ!」

 

「神様」

 

「んー?」

 

「一生勝敗つかないよ」

 

「それもそっか!」

 

ごろんと神様が寝そべる。僕も真似して隣で横になった。

 

「そういえば、神様って寝るの?」

 

「寝んよ!必要ないからの!」

 

「そっか」

 

「なので、ユウの寝顔を見守る事にするのじゃ〜」

 

「気になって寝れなくなりますけど」

 

「えっ!?それは困るなぁ…どうしようかのぅ…」

 

真剣な顔で悩み始めた神様を、僕は抱き寄せる。

 

「これなら、見られなくて済むね」

 

「おお!ユウ天才じゃな!」

 

逆に神様はお馬鹿だね。あっさり騙され過ぎ。そういう所も好きなんだけど。

 

「…あーあ。僕だけの神様になって欲しいなー」

 

「ええっ!?」

 

「僕の他に誰も必要としてないんだから良いでしょ」

 

「それ何気に傷付くぅー!?」

 

ギャンギャン騒いでる神様をぎゅっと抱き締めると、静かになって大人しくなった。

 

「…ふふ、そうじゃなぁ。妾、ユウだけの神様になりたいなぁ」

 

「ほんと?」

 

「嘘は言わんよ。本音じゃよ」

 

「じゃあ、此処を出て僕と暮らしてくれる?」

 

神様は黙り込んでしまった。ダメ元で提案してみたけど、そう簡単にはいかないか。

 

「この神社は妾の家じゃからなぁ…難しいのよなぁ…」

 

「それなら、仕方ないか」

 

「ごめんよ。ユウ」

 

「ううん。僕もあのアパート大事だし、気持ち分かるから。我儘言ってごめん」

 

そうだ。一緒に居られるなら、今のままでいい。欲張り過ぎたらいけない。

 

 

 

沢山話していたら段々眠たくなってきて、自然と瞼を閉じる。

 

「おやすみ、ユウ」

 

神様の優しい声を耳にして、僕はすとんと眠りに落ちた。

Step.4

 

「ユウ〜朝じゃよ〜」

 

「ん…神様…」

 

「おはよう!」

 

「おはよ…」

 

いつも通りハツラツとしている神様と対照的に、僕はもそもそと起き上がる。

 

外で朝を迎えるなんて、大昔家族でキャンプに行った時くらいだ。テントで寝るとやっぱり背中痛くなるな。毛布もっと持ってくれば良かった。

 

「お腹空いたし、ご飯食べて来るね」

 

「了解じゃ!」

 

テントの中からひょこっと顔だけ出して、神様が返事する。テント気に入ったのかな。

 

手を振る神様に見送られながら、僕は階段へ向かう。

 

 

 

キャンプ、楽しかった。

 

別に一日で終わらせないといけないなんて決まりは無い。まだ暫くは続けたい。丁度夏だし、夜でも大して寒くないし。

 

神様と一緒に住むのって、僕が神社に住めば解決するんじゃ…って一瞬思ったけど、冬場は確実に凍死するだろうから…難しいな。

 

 

何か良い方法は無いかと思案しつつ歩いていたら、消防車のサイレンが聞こえてきた。

 

――――火事か…朝から大変だな。

 

他人事の様にそう思ったけど、アパートのある方角から黒煙があがっているのが分かって考えを一転する。まさか…と生じた疑念を誤魔化す事は出来ない。自分の目で確かめるまで安心出来ない。

 

僕は走り出していた。

 

 

 

嫌な予感は的中する。僕の住むアパートが燃えていた。

 

野次馬を押し退けて最前列に向かったけど…こんなに激しい炎の中に入って行けば間違いなく死ぬだろう。消防士達を見守る事しか出来ない。

 

貴重品は手元にあるとはいえ、あの部屋の中にある物は全て僕にとって宝物だった。それに、父さんと母さんが遺した…思い出の場所だった。それが容赦なく燃えて、初めから無かったかの様に消えていく。

 

喪失感に支配され、呆然とする他なかった。

 

「タバコの不始末だって」

 

「怖〜」

 

そんな声が聴こえた。

 

誰が犯人かとか、何が原因かとか、どうでもいい。犯人を責めた所で疲れるだけだ。不毛だ。何をしたって、思い出の詰まった品は戻って来ないんだから。

 

木造のアパート故に、消火は追いついていなかった。みるみる内に燃え広がっていく。

 

「…はは」

 

たまたまキャンプしようと思い立ったから外に居たけど、そうじゃなかったら僕は下手すれば死んでいたかもしれない。神様のおかげで生き延びられた。

 

熱いし苦しいだろうな。焼かれて死ぬのは。本当、そうならなくて良かった。

 

けど。

 

 

――――これからどうしよう。

 

 

全焼してほぼ更地になったのを見届けてから、僕はふらふらと神社への道を行く。

 

元々親が持っていた、生きる為に必要な環境が…与えられた衣食住があったから、生活出来ていたけれど。それが無くなってしまった今、どうすれば良いんだろう。金だけあったって宝の持ち腐れだ。食べ物や服を買う以外でどう使えば良いのか分からない。

 

とっくに成人しているのに社会に触れてこなかったせいで、知らない事だらけだという事に今更気が付く。

 

感じた事の無い寒気がした。

 

 

――――怖かった。

 

 

「助けて、神様」

 

ぽつりと思わず呟いた時。

 

「ユウ!!」

 

神社の方から神様が走って来た。凄く良いタイミングで驚くと同時に、不安に押し潰されそうになっていた分ホッとして…涙が出た。泣いてる所を見られたくなくてその場に蹲った僕に寄り添い、神様が訊ねてくる。

 

「何やら騒がしいと思っての…。どうした?何があったのじゃ?」

 

「アパート、火事になった」

 

「なんと…」

 

神様は僕を抱き締めた。

 

「辛かったな…しかし、ユウが無事で良かった」

 

優しい声に涙が溢れてくる。止める事は出来なかった。神様は、僕が泣き止むまで…ずっと抱き締めてくれた。

 

 

 

「…神様。これからどうしたら良いんだろ」

 

神社の木の下に座り、僕は神様に問い掛ける。自分で考えても分からないから、答えが欲しかった。道標を作って欲しかった。

 

けど神様は、困った様に黙り込む。

 

「親が守ってくれてたし…お互いにずっとそうなんだろうって思ってたからなのか、生きる為の知識っていうか、社会の事っていうか…そういうの、全然教えて貰ってなくてさ。だから…分かんない」

 

神様からの返事は無い。

 

 

「…分かんないよ、全然」

 

 

やがて神様は、申し訳なさそうに口を開いた。

 

「妾は長く生きておるが、ずっと神社におったから…ユウよりも、この世界の事を知らぬ。人の子ではないから、その苦労もよく分からぬ。だからどうすればユウが生きていく事が出来るのか、妾から教えられる事は…」

 

「そっか」

 

「情けなくてすまんの…」

 

いつも快晴みたいな神様が曇っている。神様がこうなるのはいつも僕のせいだな、と思った。申し訳無かった。笑顔になって欲しかった。

 

そもそも僕がジメジメしてるのがいけないんだよな。

 

よし。神様の為にも切り替えるぞ。

 

僕はしょんぼりしている神様の頭をぐしゃぐしゃにするつもりで撫でる。目をぱちくりした神様に、笑って告げる。

 

「とりあえず、食う寝る遊ぶを目標にする!」

 

適当に思い付いたフレーズだけど、的を得ているかもしれない。我ながらそう思った。神様がふっと微笑む。

 

「分かりやすくて良いな!」

 

「でしょ?」

 

「それに、偉いぞユウ!自分で道を作れて!凄い!」

 

自分で道を作る…。

 

そっか。今まで僕が停滞していたのは、目標を立てなかったからか。だから何をすれば良いか分からなくて、とりあえず同じ事を繰り返して、生命維持活動に勤しむだけになって腐ってたんだ。

 

怖いからと閉じ篭​もって、何も変えようとしなかった。

 

――――もう違う。

 

神様に出会う前の僕が今の僕を見たら、どんな顔をするだろう。

 

 

「よーし!では、食う寝る遊ぶをする為の場所が必要じゃな!」

 

「うん。今まではアパートだったけど…今はもう無いから、新しく住む場所を探さなきゃ」

 

「うんうん!その意気じゃー!」

 

 

と、その時。僕のお腹が鳴った。

 

 

暫しの間の後、僕と神様は声をあげて笑う。

 

「まずは腹ごしらえかな」

 

そうだ、結局何も食べず終いだったんだっけ。それどころじゃなかったから空腹なのを忘れてたけど、体は正直というか…なんと言うか。前を向けて、気持ちに余裕が出たのもあるんだろうか。

 

「景気付けに、どかんと食べておいで!」

 

神様は、僕の背中をぽんぽんと叩きながらそう言った。

 

「うん。出来るだけすぐ戻るから」

 

「本当にユウは優しいなぁ。妾の事は気にしなくて良いから…ゆっくり羽を伸ばして来るがよい」

 

「…有難う」

 

優しいのは神様の方だ。もう何度目か分からないけど、そう思った。

 

 

 

――――さて。何を食べよう。

 

一人になってからは、ポストに入っていたチラシで知った宅配の冷凍食品を頼んで食べていたから…選択肢の幅が急に広がって圧倒される。適当にコンビニで済ませる…のは景気付けにしては味気無い。

 

ここは一つ、何処か店に入って食べようかな。

 

そう思い立ち、飲食店を含む様々な店が立ち並ぶエリアへ足を踏み入れる。

 

 

 

昼時だからか人が結構居るけど、構わず歩く。昔の僕なら逃げ帰っていただろう。

 

擦れ違っても、お互い見向きもしない。

 

そんなもんなんだよな。無関心が普通なんだ。全員が敵に思えて怖くて仕方なかったのは、自意識過剰だったからなのだと思う。いじめてきた奴らがたまたま怖い人間でしたってだけなのに、人間全てがそうだと思い込むなんて、我ながら大袈裟だなーと今なら笑い飛ばせる。

 

――――世界は、僕が思っていたよりも自由だ。

 

 

あ、ファミリーレストラン。懐かしいな…昔、家族で来たっけ。確か、お子様ランチを頼むとおもちゃが付いてくるんだよね。

 

入口の辺りで入ろうかどうしようか考えていると、後ろから結構な勢いでぶつかられた。

 

 

「ンブフッ!?!?」

 

 

振り向くと、小柄な女の子が尻もちを着いていた。その後ろには背の高い白髪の男性が立っていて、その子を呆れた様に見下ろしている。

 

「あーあ、はしゃぐから…。ツレがすんません。大丈夫すか」

 

「いや、僕の方こそ…邪魔な所に立ってて、すみませんでした」

 

謝り合った後、ん?という顔を互いにする。

 

妙に聞き覚えのある声だった。しかもこの高身長。もしかして。

 

 

「神々廻?」

 

 

――――何という事だろうか。

 

僕の高校時代唯一の友人…ある日急に来なくなって会えなくなった神々廻ナギと、偶然にも再会したのだった。

Step.5

 

せっかく会えたのだしと、僕と神々廻と女の子で相席する事になった。注文を終えた後、僕は女の子に自己紹介する。

 

「初めまして、天霧ユウです。神々廻とは高校の時の友人で…」

 

「まあ!ナギのお友達なんですか!」

 

食い入るように話が遮られる。エネルギッシュな子だからか神様を思い出して、初対面なのにあまり緊張しない。助かる。

 

「ぼっちじゃなかったんですわね〜安心安心!」

 

「今の発言で好感度最低値になりましたー」

 

「い、いやぁああ"ーーー!?!?!?」

 

凄い仲良いな。なんか、神様と僕を客観的に見てる気分だ。ところで。

 

「神々廻、この子は?」

 

「マイハニーまたはマイワイフ」

 

「ナギ…!キュンですわ…!」

 

「…を自称してる年増」

 

「殴り飛ばしますわよコンチキショー!!」

 

え、年増?

 

「僕らより年上なの?」

 

「そ。大人の色気漂うお姉さんって事にしてやって」

 

「なーんですの!なんですの!その言い方はー!どう見ても立派なレディでしょうがー!」

 

可愛らしい女の子にしか見えないのでフォロー出来ない。それにしても本当に元気だな。神様といい勝負だ。

 

「何はともあれ、元気そうで良かったよ。いきなり来なくなったから心配してたんだ」

 

「ん、そっちも元気そうやな。学校の事は…すまん。なんつーか…色々ありまして」

 

黒かった髪の毛真っ白に染めるなんて中々思い切ったなーと思うし、もしかして危ない事に首突っ込んだんじゃないかって気もしたけど…この様子を見る限り大丈夫そうだ。元気なパートナーも付いてるみたいだし。

 

「僕も色々あったよ。今日なんて朝から、住んでたアパート全焼しちゃって」

 

「「え」」

 

二人が目を点にする。あれ、出来るだけ重くならないように笑いながら言ったけど…もしかして逆効果だった?

 

「大丈夫なん…?いや、大丈夫な訳ないけど…」

 

「まあー…たまたま外に居て貴重品も持って出てたし、起きちゃったものは仕方ないかなーって」

 

「鋼メンタル過ぎん?」

 

「やだなぁ、豆腐メンタルだよ」

 

笑う度に神々廻から漂う心配そうなオーラが増していく。ショックでぶっ壊れてると思われてそうだ。笑うのやめとこ。

 

「…一人暮らししてたん?それとも実家?」

 

「あ、一人暮らししてた。でも…」

 

話の途中で、料理が運ばれて来る。

 

親の事は何となく話しにくいし、この流れで言ったらますます心配されそうだし…言わない方が良いかも。タイミング良く料理が来てくれて助かった。それにお腹空いてるし。

 

「食べよっか」

 

この話題は終わり、と告げるように僕はそう言う。神々廻は消化不良みたいな顔をしたけど、彼の隣に座っている女の子は乗ってくれた。

 

「そうですわね!ワタクシお腹ペコペコペコリンチョですわー!」

 

それから、いえーい!お肉ー!とはしゃぐ。年上らしいのに無邪気というか、微笑ましいというか。

 

…そういえば名前、まだ聞けてないな。

 

「あの、名前って…聞いても大丈夫ですか?」

 

ステーキを頬張る女の子が、眉を寄せる。

 

「あ、嫌だったら大丈夫ですよ!無理にとは言わないので…」

 

会ったばかりの男に名前を教えるのは、女性としては気が乗らないだろう。話題を変える為に利用している事に罪悪感を感じる。

 

すると、何故か神々廻が口を開いた。

 

「名乗る名前がないんやと。オレはチビ先輩って呼んでる」

 

女の子は頬をパンパンにして咀嚼しながらうんうんと頷いている。

 

「そうなんだ。えっと…じゃあ、先輩って呼んでも良いですか」

 

流石にチビって付けるのは失礼な気がするし…。

 

「良いですわよ!お後輩が増えてしまいましたわー!」

 

ごくんと肉を飲み込んだ先輩は、笑顔でそう言った。嬉しそうで良かった。

 

それにしても美味しいな。大人用のメニュー、昔一口貰ったりはしてたけど…一人で全部食べるのは初めてだ。

 

 

 

食事を終え、僕達は店を出た。色々心配掛けたしと、支払いは僕がやった。

 

店を出た途端、先輩が勢い良くペコーっと頭を下げてくる。

 

「奢って頂いて、有難うございます!天霧サン太っ腹!よっ、お大統領!」

 

「あはは、そんな大袈裟な…」

 

「代わりに何かして欲しい事とかって、ありますか?何でも良いですわよ!」

 

「いやいやほんと、気にしなくて良いですから…」

 

「まあ…ナギといい、おイケメン男子はお心が広いですわ…」

 

さり気なく褒められた。嬉しい。イケメンなんて初めて言われ…

 

…いや、そういえば。

 

 

いじめられてた時…女子からキャーキャー言われてんのムカつく!とか、顔良いからって調子乗んなよ!とか、告ったらお前を理由に断られた!とか…言われたな。

 

心当たりなかったから何の事だよって思ってたけど、今思えば褒められてた?流石にポジティブが過ぎるか。 

 

死ねとか消えろとかも、言われてたし。

 

 

全く似合わない可愛らしいうさぎのキーホルダーが付いた車の鍵を手に、神々廻が僕に問い掛ける。

 

「これから何処行くん」

 

まあ気になるよね。普通。アパート燃えたんだから。

 

「天霞神社に行くよ」

 

僕が答えると、先輩は首を傾げた。

 

「あまがすみ…?」

 

「え、はい。どうかしましたか?」

 

顎に手を添えた先輩がうーんと唸る。

 

「それって、この街にあるお神社ですか?最近出来たとか?」

 

「いや、かなり昔からありますよ」

 

「そうでしたっけ…なら、ワタクシの記憶違いなのかしら」

 

でもそんな筈は…と呟いた後、先輩は困った様に言う。

 

 

「天霧サン。ワタクシこの街の出ですが、やっぱりそんなお神社は聞いた事がありません」

 

 

「…え?」

 

「ナギ、検索してみて下さい」

 

先輩に言われてスマホを取り出した神々廻が、画面をタップしていく。そして指を止めて怪訝な顔をした。

 

「…ゲーム以外ヒットせん」

 

「いやいや、そんな筈…」

 

苦笑する僕に神々廻がスマホを見せてくれた。天霞神社は古いRPGの名前と一緒に表示されているものだけで、現実にそんな神社があると証明するページは一つも無かった。

 

 

――――このゲーム…僕知ってる。

 

サンタさんに貰ったゲームだ。

 

僕はクリスマスと誕生日が被っていたから、幼い頃はプレゼントを二つ貰えていた。そのゲームは、誕生日プレゼントとして買って貰っていたテレビに繋ぐタイプのゲーム機に対応していて…初めて手に入れたゲームという事もあって嬉しくて、夢中でずっとやっていた。

 

引越しのタイミングで無くなってしまったから当然触ってなかったし、昔にやったゲーム過ぎて、今の今まで忘れてたけど…。

 

 

僕が固まっていたら、神々廻が口を開く。

 

「…祀られてる神様ならヒットするかもしれん。ゲームの情報で埋もれるくらい相当マイナーな神社って可能性もあるし」

 

「名案ですわね。天霧サン、神サマのお名前は?」

 

「…天霞姫神。天、霞、姫、神で…天霞姫神」

 

「天霞……おっけ」

 

何が引っかかるような反応をしつつ、神々廻は検索する。けど。

 

「…さっきと同じ。同じゲームに出てくるキャラクターならヒットするけど、それ以外は…」

 

「え…」

 

見せられた画面を見て、僕は思わず声を漏らす。だって神様と瓜二つのキャラクターだったから。

 

 

どういう事だ。

 

 

天霞神社が無いなんて…神様が居ないなんて有り得ない。そうだ、マイナー過ぎてインターネットに登録されていない可能性がある。でも地元民という先輩が知らない…?あんなに夏祭りや初詣は人で溢れていたのに、そんな訳。

 

――――いや。

 

 

あれは本当に、人だったか?

 

 

「…とりあえず行ってみよ。送るし」

 

神々廻の声にハッとなる。

 

「ええ、そうですわね。ワタクシの勘違いだったら申し訳ないですもの」

 

あのおちゃらけた雰囲気を知っているからこそ、真剣そうな先輩を見て、もしかするとただ事ではない何かが起きているのではないかという思いが強まっていく。

 

 

 

二人に促されるがまま、僕は黒いワゴン車に乗せられた。運転手は神々廻、助手席に先輩、僕は後部座席。

 

発進した後、僕は窓の外を食い入る様に眺める。そわそわして落ち着かない。やっぱり車は速いなー徒歩と大違いだなーなんて考えてみるけど、平常心は戻って来ない。

 

道案内の合間に、僕は片手でハンドルを握る神々廻に話し掛けた。とにかく不安から意識を逸らしたかった。

 

「凄いね。免許持ってたんだ」

 

「…………うん」

 

「何その、謎の間」

 

おほほほ!と先輩が高笑いする。深く聞かない方が良さそうだ。

 

 

その後も雑談しつつ指示を続ける。神々廻は運転が上手くて、酔う事もなくスムーズに着いた。

 

車から降り、石階段の前に三人で並ぶ。

 

「この上に神社があるんだ」

 

二人が頷いたのを見て、僕は先導して上っていく…つもりだったけど、半分にいく前に追い抜かれてしまった。随分体力あるんだな。神々廻に至っては三段くらいの段飛ばししてるし。滅茶苦茶速い。体力付いてきたと思ってたけど、上には上がいるもんだ。

 

すっかり境内に入った二人が何やら話しているのを見つつ、僕は足を動かした。

 

 

――――ふと、頭に悪い考えが過ぎる。

 

 

もしこの先に神社が無かったらどうしよう。

 

もしこの先で神様に会えなかったらどうしよう。

 

 

鼓動が速くなる。足が重い。

 

あんなに通うのが楽しかった場所なのに、どうして。

 

 

――――行きたくない。

 

 

…いや何を馬鹿な事考えてるんだ。

 

今日もあんなに世話になっただろ。いつでも此処に居るって言ってくれてただろ。

 

指切りしたの忘れたのかよ。もう互いに居なくならないってあの日確かに誓った。

 

 

『どうかユウだけは、妾を忘れないで居ておくれ』

 

 

うん、分かってるよ。絶対に忘れない。二度と忘れない。

 

僕が覚えている限り神様は居なくならない。

 

 

――――そうだよね、神様。

Step.6

 

オレとチビ先輩は天霧よりも一足先に開けた場所に着いた。隣に立つチビ先輩は、怪訝な顔で黙り込んでいる。

 

 

――――神社なんて何処にも無い。大きな木と、ぽつんと張られたテントがあるだけ。

 

 

運転中…思い出した事がある。

 

天霞神社や天霞姫神が出てくるゲームのタイトルは、オレが小さい時に母ちゃんに買って貰ったRPGと同じだ。

 

天霞神社は主人公達の拠点。そして天霞姫神は所謂ヒロイン。主人公を献身的に支えつつムードメーカーも兼ねたキャラクターで…可愛らしいデザインも相まって、当時人気が高かった。天霧もそんなファンの内の一人だったんだろうか。

 

…ただ一つ不可解なのは、まるでそれらが実在するかの様に天霧が話していた事。

 

 

「ナギ」

 

「ん」

 

「神社って…まさかあのテント…」

 

「な訳」

 

「だよね…」

 

真面目に頭使う為なんか、ボクモードになってる。久々に見た。オレは気を引き締める。

 

この件…結構深刻なんかも。

 

 

「…これはボクの予想だけど、恐らく天霧サンは自分で自分を洗脳してるんだと思う」

 

「同意」

 

「問題はこの洗脳が彼を幸せに導いているのか、不幸に導いているのか。後者だったら、解いてあげないと命に関わるかもしれない。でも前者なら…」

 

「無理に解く必要は無い、って事ね」

 

「そう」

 

「…とりあえず、話合わせてみる?」

 

「それが無難かな。様子を見よう」

 

頷き合った時、天霧が息を切らしながら上がって来た。

 

「お待たせ…二人共凄いね…やっと追い付いた…」

 

へらりと笑う天霧に、いつものワタクシモードに切り替わったチビ先輩が明るく声を掛ける。

 

「えっへん!体力には自信がありますのよ!」

 

チビ先輩と一瞬目配せして、オレは口を開く。

 

「神社あったな。すまん」

 

すると天霧はホッとした様に言った。

 

「ううん。すっかり昔に比べて寂れちゃったけど…まあ、味があって良い所でしょ?従業員が今居ないから…僕と神様で毎日掃除してるんだ」

 

…自然だ。

 

 

嘘を吐いているとは思えない。相当洗練された洗脳なんだろう。

 

神様とは一緒に掃除をするくらいの仲…つまり関係は良好。画面を見て驚いていた所から察するに、オレの知っている天霞姫神とイメージは同じと考えて良いかもしれない。

 

とりあえず相槌を打つと、チビ先輩が口を開いた。

 

「まあ!神サマもお掃除だなんて可愛らしいですわ!何処に居らっしゃるのでしょう?ワタクシお会いしたいです!」

 

すると天霧は困った様に。

 

「えっと…実は、神様は見える人が限られてて。でも、一応連れて来ますね」

 

天霧はそう言うと歩き出した。テントの中を覗いたり、あちこち歩き回っては立ち止まり、そこに何かあるかのように…パントマイムみたいな動作をしている。

 

その様子を眺めながら、隣に立つチビ先輩と小声で話す。

 

「…先輩。どう思う」

 

「奇妙な光景だよ。とりあえず、神サマが見えてる事にすると会話が成立しなくて怪しまれるだろうし、見えていない体でいこう」

 

「うん」

 

 

天霧が戻って来る。誰かと手を繋いでいる様な仕草だ。

 

「お待たせ。本殿でお祈りしてたみたいで…」

 

「おおー、流石神サマですわね!」

 

でも…とチビ先輩は残念そうに肩を落とす。

 

「ワタクシには見えないみたいですわ…。ナギは?」

 

「オレも見えん」

 

「うーん、やっぱり。…あはは、拗ねないでよ神様」

 

虚空を宥めながら笑う天霧を見て、何とも言えない気分になる。楽しそうだし、瞳は穏やかだ。幸せそうと言う他ない。なら…これで良いんじゃないか。

 

そう思った時。

 

 

「なんてね」 

 

 

天霧はぽつりと呟いた。今にも泣きそうな顔で力無く笑う。

 

「どういう事です?」

 

チビ先輩の問い掛けに、天霧は俯いて矢継ぎ早に繰り出した。

 

「此処にあるのはテントと大きな一本の木だけ…僕にはそう見える。神社なんて無いし神様なんて居ない。二人共合わせてくれようとしたんでしょ。優しいね。もう無理しなくていいからさ。茶番に付き合わせてごめん」

 

チビ先輩と目を合わせ、頷く。天霧を落ち着かせようと試みる。

 

「天霧サン、一旦車に戻りましょう」

 

「ゆっくり出来る所で話す方が良いと思う」

 

錯乱してるのかと思ってたけど、逆に正気に戻ったのかと思い直す。天霧がこう言ったからだ。

 

「…僕の事、気持ち悪いと思わないの?頭イカれてるとは思わないの?」

 

「自分がおかしいと気付けているなら、その方はむしろマトモですわよ」

 

「そうそう。イカれてるっていうのはチビ先輩みたいなのを言うから。天霧は普通」

 

「ちょいちょいちょいちょぉーーーーーい???」

 

本音を混ぜつつ場を和ませる為の冗談を言うと、チビ先輩が案の定過剰に反応した。天霧は肩の力が抜けたのか、はたまた拍子抜けしたのか…ぽかんとした顔をする。

 

「と。とにかく!ワタクシ天霧サンの事を全然知りません!ですので、良ければ教えて頂きたいですわ」

 

「オレも何やかんや付き合い短かったし…色々聞きたい。あと経験上、人に話すと楽になったから。おすすめ」

 

オレとチビ先輩の説得に、天霧は折れる気になったらしい。こくりと頷く…と同時に、地面に雫が一つ落ちる。泣きながら長い階段を下りるのは危ない。車まで移動するのは無しだな。他に都合が良い場所は…。

 

「あの木の下でお話しましょうか」

 

同じ事を思ったらしいチビ先輩に、先を越される。天霧が頷いたので、オレ達は日陰を作っている大きな木の下へ移動した。

Speak.2

 

「ねえ、ユウの事なんだけど…」

 

「やっぱり心配だよな」

 

「…ええ。近所の子が今日も教えてくれたんだけど、やっぱりあの子…一人で廃墟で遊んでるみたい」

 

「でも本人は、友達と遊んでたって」

 

「そうなのよ…毎年夏になると神社で夏祭りがあるからお小遣い頂戴って言うけど、そんな事やってる神社、ここら辺で聞いた事ないわ」

 

「…だよな。俺実は、ユウが夏祭り行って来るって言った日にこっそり付いて行った事があるんだ。バレないように」

 

「えっ」

 

「暗い廃墟の中…一人で楽しそうにはしゃいでたよ。夏なのにそこだけ酷く寒くて…」

 

「まさか、幽霊?」

 

「…思い返せば、たまに何か見えている様な言動をする事があったんだ。幼い子の中には見える子が居るというのは聞いた事があったし、あまり気にしてなかったが…最近のユウの行動は目に余る。このままだと危ないかもしれない」

 

「私思ったんだけど…あの子が不思議な行動を取るようになったのって、ゲームを与えてからだと思うのよ」

 

「…俺もそう思う。一緒にプレイした事があるんだが、そのゲームに神社が出てくるんだ。あの子は想像力が豊かだし、相当熱中していたみたいだから…現実にあると思い込んでいるのかもしれん」

 

「病院に連れて行った方が良いのかしら…」

 

「いや、まだ幼いから…とりあえず、引っ越して様子を見よう。丁度、転勤の話が出てる事だし」

 

「…そうね。分かった。引っ越しのタイミングでゲームは捨てましょう」

 

「それが良いな」

 

 

 

「…引っ越して良かったわ。ユウ、最近はおかしな事をしなくなったもの」

 

「だな。やっぱり環境を変えるべきだったんだ」

 

「物騒な地域って聞いて、最初は嫌だったけどね。でも常に集団で登校も下校もしてるみたいで、逆に安心したわ」

 

「遊びに行く時も子供達の中で集団行動が徹底されてるみたいだし、見回り隊の人も居てくれるからな」

 

「ええ、本当に良かった」

 

 

 

「ねえ、ユウ…いじめに遭ってるんじゃないかしら」

 

「ユウが?どうして」

 

「体に痣があるのを見たのよ…でもあの子、何も言わないの」

 

「…そうか。本人が言いたくないなら、無理に聞き出すのは良くないが…」

 

「でも…もしある日、急に自殺したら?最近ニュースでもやってるじゃない。いじめを原因に自殺する子が増えてるって…わ、私、嫌よそんなの!ユウが死ぬなんて!」

 

「落ち着け、親が取り乱しても仕方ないだろう。ユウにとって良い環境を、また作れば良い」

 

「…そうね。そうよね。転勤期間もとっくに終わったし、職場近くのあの街にまた戻りましょう」

 

「ああ」

 

「新しい学校はどうする?」

 

「行きたくないと本人が言ったら、行かせないでおこう。行きたくなったら行けば良いさ。無理に行かせる必要なんてない」

 

「そうね。死なれるよりは良いわ。もしユウが死んだら…私生きていけない」

 

「俺もだよ。大事な一人息子だ。ちゃんと俺達で守ってやろう」

 

 

 

「…ユウ、元気になってきたかしら」

 

「そうだな。弁当もちゃんと食べてるみたいだし、夕飯もよく食べるし、食欲があるなら大丈夫だろう」

 

「ええ。前より笑う事が増えた気がするわ」

 

「でも…外には出られないみたいだな」

 

「怖いのよ。いじめられたんだから当然だわ。家に居たいなら居れば良いのよ。ユウがそれを望んでるんだから」

 

「…そうだよな」

 

 

「生きていてくれたら、それで良いのよ」

Step.7

 

――――階段の先に、神様は居なかった。神社は無かった。

 

現実を目にしたその時、優しい夢は終わりを告げたのだと理解した。

 

 

それでも簡単に諦めたくはなくて。

 

神社があるつもりで、神様が居るつもりで、振る舞ってみたけど。目の前に広がる虚空は、僕を裏切ってくれなかった。

 

自分が狂っていたのだと、自覚した。

 

 

神々廻と先輩に出会った事で、僕は現実に帰って来れた。本来生きるべき場所へ。

 

それなのにどうしてだろう。嬉しいと思えなかった。

 

 

――――神様に会いたい。でもきっと、二度と会えない。

 

 

蓋をしていた記憶…両親の会話を思い出してしまったから。

 

二人は夜中、たまに僕について話し合っていた。それを僕は、寝たフリをして聞いていた。

 

神様や神社の空想を描く際にノイズになる、都合の悪い事実。だからこそ頭の隅に追いやっていた。意識を向けないようにしていた。

 

けれど思い出してしまった。真実を知ってしまった。大人になってしまった。

 

 

何の疑いも無く幻想を信じられる子どもでは、もう無い。

 

 

 

大きな木の下で、僕は二人にこれまでにあった事を話した。

 

二人は馬鹿にしたりせず、話に水を差したりもせず、黙って相槌を打ってくれた。

 

 

――――幼い頃、不器用で友達を作れなかった僕は、一人遊びをする事が多かった。

 

家の近くの廃墟には幽霊が沢山いて…でも霊感が強くて無知だったから、本物の人間だと勘違いしていた。僕を受け入れて遊び相手になってくれる幽霊達に会いに、廃墟へ通った。

 

でも、本能では危ないという事が分かっていたんだと思う。だから自分を守る為に、当時遊んでいたゲームの好きだったキャラクターを模したイマジナリーフレンド…神様を作ったんだ。同時に、廃墟はその神様の住んでいる場所として…そのゲームのキャラクターの住処と同じ、神社という事にした。

 

神社に通う度仲良くなり、僕と神様は親しくなった。僕にとって初めて出来た友達だった。

 

――――楽しかった。

 

だけど両親は心配していた。当たり前だ。息子が廃墟で一人、楽しそうに笑っているんだから。

 

流石に見かねたのか小学校に上がる前に引っ越す事になった。環境を変えれば僕が正常になると思ったらしい。

 

引越し先は物騒な地域で、常に同級生や信頼出来る大人が近くに居た。必然的に人と関わる機会が増え、ひとりぼっちを卒業した。

 

僕は自然と、空想を必要としなくなっていた。

 

 

それから平穏に時は流れた。

 

 

けれど高校生になった時、いじめを受けた。学校に行けなくなった。家に引き篭もる様になった。

 

両親はまた環境を変えれば僕が正常になると思ったようで、元居た街へ再度引っ越す事になった。だけど人間不信に陥り外に出るのが怖かった僕は、学校に行くのではなく引き篭もる事を選んだ。

 

両親は生きていてくれたらそれで良いと、僕の選択を否定せず受け入れた。

 

 

やがて僕は二十歳を迎えた。半年と少し前の、12月25日。引き篭もりになってから四年程時間が流れていた。

 

この日、お祝いのケーキを受け取りに出掛けた両親が事故に遭って死んだ。

 

僕は幼い頃と同じ一人に…いや、本当の意味での独りになった。

 

 

資金に困っていなかったので何不自由なく生きていた。ただ生きていた。そんな自分を変えたい…漠然とそう思ってはいたけど、勇気が出なかった。

 

――――そんなある日。

 

嫌なニュースを見たのをきっかけに自己嫌悪に陥った僕の前に、神様が会いに来てくれた。

 

それからは楽しかった。

 

神様のおかげで僕は外に出る事が出来た。落ちまくっていた体力が回復した。目標を立てられると知った。

 

生きる力があったのだと気付いた。

 

これからもずっと、神様と生きていくのだと信じていた。

 

 

 

「…でも神様は、もう居ない」

 

僕は膝を抱えて、そこに顔を押し付けて黙り込む。話し終えたと察したらしい先輩の優しい声が、右隣から聞こえてきた。

 

「神サマのおかげで前を向けて…一歩も二歩も、いいえ…それ以上。成長する事が出来たのですわね」

 

左隣からは、神々廻の声が聞こえた。

 

「神様が居なくなったのは、もう天霧は大丈夫だって思ったからなんじゃねーかな」

 

顔を上げて、左右に居る二人を交互に見る。すると神々廻はこう続けた。

 

 

「だってオマエ、独りじゃなくなっただろ」

 

 

――――そうか。

 

すとんと腑に落ちる。どうして突然神社も神様も見えなくなったのか、本当の意味で理解する。

神様が居てくれたのは、僕が孤独だった時だけだ。

でも、今は違う。

 

両親と違い、神様ごと僕を受け入れてくれた二人が隣に居て…独りじゃないとまで言ってくれた。

 

 

靄が晴れた様な気分だった。

 

 

「実はワタクシ達、旅をしていまして」

 

「旅…」

 

「天霧サン、一緒に行きませんか?」

 

「…いいの?」

 

「ええ、勿論!」

 

「でも…」

 

 

僕なんかがついて行っても、迷惑になるんじゃないだろうか。

 

――――だけど…旅、か。凄く良い響きだ。

 

 

…そういえば僕、RPGの主人公に憧れていたんだっけ。

 

かっこよくて、強くて、優しくて、仲間がいて…大切に想ってくれるヒロインがいて。大きな目標を掲げてそれを成し遂げる。一つの場所に縛られず、自由に世界を巡る。

 

羨ましいと思った。そうなりたいと思った。でも現実でそんな夢物語は実現出来ないと幼心に分かっていた。

 

――――だから空想に逃げたんだ。主人公になりたくて。

 

 

けど、今なら分かる。

 

誰もが自分の人生の主人公なんだ。なりたいとかじゃなくて、最初からそうなんだ。

 

どんな主人公になるか、何をするか…全部自分次第。どんな物語を作るかは、自分で決める。

 

――――きっとそれが、人生というもの…だと思う。

 

 

胸の内から前向きな何かが溢れてくる気がして、僕は申し出を受けるべく口を開こうとする。すると僕の沈黙が長かったせいか、神々廻がぼそりと言った。

 

「…今天霧一人にしたら神様に祟られそ。神様見えなくなったのって、多分オレらのせいだし」

 

僕にとって、神様は本当に居た。それを分かってくれているから、あくまで神様は居たという風にしてくれたんだろう。

 

本当に優しいなと思う。だから神々廻と友達になれたんだ。たまたま隣の席で運が良かった。

 

…反面、僕は自分すらも騙す嘘吐きだ。罪悪感とか無いし、息をするようにすらすらと言えてしまう。

 

 

――――ろくでもない人間だ、全く。

 

 

そんな訳で捻くれている僕は、悪戯心を秘めながら二人に笑い掛ける。

 

「責任取ってくれますか?」

 

「ひーん!!ごめんなさいー!!お助けー!!」

 

「取りまーす。主にチビ先輩が」

 

「確かに発端ワタクシですからね!?!?いやもう本当にこの度は大変申し訳ございませんでしたぁー!!!」

 

「あはは、冗談ですよ」

 

僕は笑うのを止めてから、静かに頭を下げる。

 

 

「是非…僕も連れて行って下さい。一緒に行きたいです」

 

 

僕はこの二人と、一緒に生きたい。

 

旅の果てに何があるのかは分からない。けどきっと、後悔はしないと思う。

 

――――そんな気がする。

 

 

 

畳んだテントを手に、石階段を下りる前。僕は廃墟を見納めるべく振り返る。

 

不思議な気持ちだった。

 

神社なんて無かった。

 

此処でぽつんと暮らしていた神様なんて居なかった。

 

神様には、僕と過ごした時間しか存在していなかった。

 

 

お願いなんてしなくても、最初から僕だけの神様だったんだ。

 

 

「天霧」

 

「天霧サン!」

 

毛布を代わりに持ってくれている二人が、僕を呼ぶ。

 

 

「うん、行こう」

 

 

未練なく、僕は進む。

 

神様は見えなくなったけど、確かに存在していたから。

忘れない限り、生き続けるから。

 

――――進もう、前へ。

 

未来へ。

To be continue

 

「やっぱ一人で行こうかなー」

 

後部座席にだらんと突っ伏して、僕はぼやく。

 

あの後車の中で、二人の話を聞きました。神々廻は…うん………ノーコメント。

 

問題は先輩…いや、パイセンだ。

 

 

「僕、殺されたくないっす」

 

 

「そんなぁ!手当り次第ぶっ殺してた訳じゃないですわよ!?それにもう、随分とお殺人はご無沙汰ですし!」

 

「前科ありまくってる時点で大問題なんすよ!!」

 

「もっと言ってやって」

 

「事情知ってて付き合ってるお前もお前だからね??」

 

「付き合ってるだなんてー!天霧サンてばぁん!お・上・手!」

 

「もうやだーーーーー助けて神様ーーーーー」

 

と言いつつ、車から降りる気は別にない。神様も助けてはくれない。もし居たとしても、今の状況見たら人の子は愉快じゃのぅとか言って笑って済まされそうな気がする。

 

なんか、僕以上にろくでもないのが分かったら余計に気が楽になった。遠慮が無くなったというか。自分の新しい一面を垣間見た気分だ。やっぱ僕もイカれてんのかもしれない。

 

「もう天霧サンは知ってしまいましたからねぇ!絶対逃がしませんわよ〜!おほほほほー!」

 

パイセンの高笑いに苦笑しながら返す。

 

「はいはいはい…逃げも隠れもしないっすよ…」

 

「うーん、潔い!グーグーグッジョブですわ!」

 

「ブーブークッションみたいなノリで言わんといて下さい…」

 

「ツッコミ役増えて助かるわー」

 

「お前よく一人で捌けてたよね」

 

「もっと褒めて」

 

「よ、世界一」

 

「雑だなー」 

 

ふっと笑って、神々廻は車を発進させた。

 

やっぱりかなり手慣れている。無免許とはいえ無事故無違反らしいし…一応信用する事にした。捕まった時は無免許なんて知らなかったとすっとぼけるつもりだ。

 

僕は座席に身を預けて、瞼を閉じる。

 

 

――――ろくでもない二人ではあるけど、僕にとっては眩しく思えた。

 

自分が随分恵まれた環境に居たという事が改めて分かったのは大きかったし、親には感謝しなければいけないと思った。どんだけ甘えて生きてきたんだ。まあ甘やかし過ぎもよろしくないとは思うけど、どっちが悪いかと言ったら僕の方だ。本当に恥ずかしい。

 

だから過酷な人生を乗り越えて、僕の目の前に堂々と居る二人が…誇らしいと思う。

 

隣に立ちたいと思う。

 

勿論犯罪事に手を染める気は無いし、そんな場面に出くわしたら逃げる気満々だ。僕は卑怯で狡いから。いやでも…どうだろう。何だかんだ言いくるめられて手伝わされる気がするな…その時はその時で諦めよう。

 

 

…さーて。食う寝る遊ぶの目標、この二人と居るだけで達成出来そうだしなあ…次はどんな目標を立てようか。

 

 

――――僕の旅は…まだまだ、始まったばかりだ。

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