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​Shining

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Locus.1

 

高校三年生の秋。

 

僕は誰も居なくなった放課後の教室で、白紙の進路希望調査票を眺めていた。

 

 

まだ悩んでて…が通用しなくなってくる頃だ。そろそろ決めないと。

――――でも、頭の中には何も浮かんで来ない。

 

大学に行くのはとてもお金が掛かるし、生半可な気持ちで行くのは、お父さんとお母さんに申し訳ない。では就職…と言っても、特にやりたい仕事が無い。

 

 

いつも周りに決めて貰っていた僕は、自分の意志が希薄だった。

 

 

勉強するのは好きだった。宿題、予習、復習、テスト勉強…。やらないといけない事が明確だったから、とにかくこれをやっていれば大丈夫だと安心出来た。

 

テストの点が良かったらお母さんは喜んでくれたし、勉強出来る事で妹の力になれたから、有意義だった。

 

 

弓道部は、見学の時に少しだけ練習に参加した時、先輩方に入って欲しいと頼まれて…断れなくて入部した。

 

筋トレも、夏休みの持久走も、本当にキツかった。向いてないと何度も思った。でも、辞めますと言う勇気が無くて、サボる勇気も無くて、続けていた。

 

でも弓を持っている時は好きだった。何も考えなくて、良かったから。的に矢を中(あ)てる。それだけのシンプルなルール。外さず出来るだけ的の真ん中に飛ばすだけで勝てる。だから簡単に全国大会に行けたし、あっさり一位になった。

 

高校にも弓道部があって、今度はもっとゆっくり出来そうな部活にしようと思っていたけれど…。昔大会で一緒になった事があるという、他校の中学の同級生が居て。あんな凄い戦績があるのに、やらないのは勿体ないと押し切られて、結局入部する事になった。

 

結果は沢山残したけど、目標や熱意を持って取り組んでいた訳ではなかったから…何処か居心地の悪さを感じていた。だから、引退した後はホッとした。面倒で好きじゃなかったコンタクトから、眼鏡に戻せたのも大きかった。

 

 

生徒会長は、中学でも高校でもやっていた。

 

毎回、何故か、いつの間にか…誰が代わりにしたのか、エントリーしている事になっていて。やむを得ず選挙に出る事になって。壇上で話をしたら、就任が決まってしまう。

 

本当は、嫌だった。

 

部活と掛け持ちで、負担が増えて、昔は慣れるまで随分苦労した。帰る頃には疲れ果てていて…でも家族に心配は掛けたくなくて、普通を装って過ごしていた。泥のように眠る日々だった。

 

せめて高校では、生徒会に入りたくなかった。他にやりたいという人がいるなら、絶対その方が良いと思った。

 

でも、やっぱり勝手にエントリーされていて。知り合いの仕業なんだろうとは思うんだけど…悪意を持って、という訳では無いと信じたい。お前が生徒会長だと安心するんだよなーと言われる事が、決して少なくなかったから。

 

部活も生徒会もやらなくて良い今の時期は、僕にとって凄く、楽だった。

 

忙しくて辛かったのは、体力的な面も勿論あるけれど…いつも一緒に行動していた同い年の弟や妹と過ごす時間が明らかに減った事が、一番辛かった。

 

――――僕は、二人が大好きだ。

 

自分の意志をしっかり持っていて、いつでも目的に向かって突き進んでいる…自慢の家族。

 

弟…破竹(はちく)は小学生より前から夢を持っていて、ひたむきに努力していた。小説家になるという夢は、一切ブレる事は無かった。高校生になった今も、勿論努力を続けていて、いつかコンクール出禁になるんじゃないかと冗談を言うくらいには、受賞を重ねている。

 

妹…梅乃(めの)は中学生の時に漫画家という夢を見つけたみたいで、破竹の小説を漫画にする事に情熱を注いでいる。最近はインターネットでも活動を始めたらしく、着々とファンを増やしているそうだ。

 

 

そんな二人の背中を、追いかけていたつもりだった。

でもふと気が付いた。

 

――――僕はいつから置いて行かれてしまっていたのだろう。

 

 

いや、そもそも最初から――――…

 

 

 

「兄貴、お待たせ」

 

「破竹」

 

「帰ろうぜ」

 

教室にやって来た破竹に、うん。と返して。僕は持っていた進路希望調査票を、カバンに突っ込んだ。

 

 

 

廊下を並んで歩く。

 

昔は僕よりも小さかったのに、自然と抜かされてしまった。僕の身長はこれ以上伸びる気配がないから、きっとずっとこのままなんだろうな。

 

体格もしっかりしてて…まるで、僕の方が弟みたいだ。昔から頼りになったけど、もっとずっと、頼もしく感じる。

 

 

「破竹は、さ」

 

「ん?」

 

「進路、どうするか決まってる?」

 

すると破竹は即答した。

 

 

「おう。俺、大学には行かん」

 

 

そわそわした様子で、話が続けられる。

 

「実は父さんが、出版社の仲良い人に俺の小説読ませたんだと。んで、すぐにでもうちで〜って話になったらしくて。親のコネか〜って感じだけど…父さんが善意でやったのは分かるし、この際、乗りかかってみようかなと」

 

「それって…」

 

 

「うん。小説家、なれる」

 

 

なった後で本見せてびっくりさせたいから、まだ女子には内緒な!と、破竹は付け加えた。秘密にしている事を教えてくれたのは、僕が約束を守ると信じてくれているからだろう。

 

僕は、夢を掴み取った弟が、窓から差し込む夕日よりも…余程眩しく見えた。

 

「おめでとう」

 

心の底から、祝福の言葉を送る。

 

「破竹にちゃんと実力があったから、そんな話になったんだと思うよ」

 

破竹は、照れ臭そうに笑った。

 

 

この高校は、今と同様の理由で悩んでいた中学生の頃…学力に見合った所を先生が探してくれて、それで選んだ。

 

そしたら、破竹も同じ所を受験してくれた。偏差値が高い所だったのに、頑張って入ってくれた。別に高校何処でも良いと思ってたし、梅乃は一人で大丈夫だろうし、兄貴と居る…って。

 

破竹はいつも、僕を気に掛けてくれる。心配して、助けてくれる。

 

 

梅乃は美術系の高校に進学した。もっと腕を磨きたいから、らしい。ママを超えたいんだぁ!って言ってた。受験勉強を手伝ったら、無事に合格出来たのあまつんのおかげだよ〜!と喜んでくれた。

 

梅乃はいつも、僕を頼りにしてくれる。勉強で困った時は絶対に僕の元へ飛んで来ていたから、信頼されているのだと思う。

 

…嬉しかった。

 

 

「兄貴は決まったん?」

 

「それがまだ、悩んでて」

 

「そっか。兄貴くらい凄かったら、大学なんて選び放題だろうしなぁ」

 

「ふふ、そんな事ないよ。有難う」

 

謙遜すんなよーと破竹が小突いてくる。選び放題って、本心で言ってくれたのは分かってた。

 

でもね、破竹。

 

本当に、そんな事ないんだよ。

 

 

 

――――僕は、何をやりたいと思っているんだろうか。

 

 

校舎を出たら、雨が降っていた。

 

「あ…」

 

さっきまで晴れていたのに。

 

「げぇ。俺、傘持ってねえ」

 

「大丈夫、僕持ってるよ。折りたたみだけど」

 

「流石兄貴!入れてくれ!」

 

「うん、勿論」

 

傘をさしたら、破竹が代わりに持ってくれた。

 

 

僕らは小さな傘に二人で入って、歩道を歩く。

 

破竹は何も言わずに、傘を僕の方へ寄せてくれた。おかげで僕は濡れずに済みそうだけど、破竹は肩が片方完全にはみ出してしまっている。

 

「ねえ」

 

僕が言いたい事を察したのか、遮る様に破竹はこう言った。

 

「良いから」

 

 

 

――――やがて通学路の途中の歩道橋に辿り着いた。ここまで来れば、アパートまでもうすぐだ。

 

 

実は、通っている高校が実家から遠くて。だから今、破竹と…そしてエオリアちゃんと、三人で生活している。

 

寮もあったけど、プライベートは家族だけでゆっくりしたいでしょう、とお母さんが気遣ってくれて、アパートを借りてくれた。男二人だけど、エオリアちゃんが居てくれるなら安心ね。と笑って送り出された。

というのも、エオリアちゃんは僕らの代わりに家事をしてくれている。お母さんから教わっていたらしい。小さいけれど、しっかりしていて…まるで小さいお母さんみたいなんだ。

 

今実家では、お父さんとお母さんと梅乃が暮らしている。お父さんは、お母さんと梅乃だけだと危なくて心配だという事で、僕らが出ている間は、家で仕事をする事にしたらしい。

 

――――だから、お互いに安心して生活出来ている。

 

 

 

「…何だ?あいつ」

 

 

ふと、破竹が怪訝そうに呟く。僕は傘から少し顔を出して前を見てみた。

 

 

橋の手すりの向こう側…とても狭いスペースに、女の子が立っている。

今にも落ちそうだ。

 

 

女の子は俯いて足元をじっと眺めている…かと思えば。

 

 

――――ふっと、体を投げ出した。

Locus.2

僕は考える前に走り出して、気が付けば女の子の腕を掴んでいた。

 

「うっ…!」

 

咄嗟に行動してしまったけど、僕の腕力では持ち上げられそうにない。重みに負けて、手すりの向こう側へ引きずり込まれそうになる。

 

「兄貴!!」

 

切羽詰まった様に叫んだ破竹は、女の子を軽々と持ち上げて、まるで投げる様な勢いで地面へ降ろした。

 

「生きてるか!?」

 

「うん、お陰様で…」

 

つい尻もちを着いてしまった僕の手を取って、破竹は立ち上がらせてくれた。それから、心配そうに僕の周りをぐるぐる回る。怪我をしていないか確認してくれているらしい。

 

…女の子には見向きもしないしする気も無いようなので、僕が声を掛けた。

 

「君、大丈夫…?」

意識を失っていた筈の女の子の目が、パッと開かれる。少しびっくりした。

 

「あ、あれ…私…何を…」

 

もしかすると、記憶が混濁してるのかも知れない。どう説明すべきか悩んでいると、女の子は勢い良く起き上がってこう言った。

 

 

「お、王子様!?!?」

 

 

女の子は座り込んだまま僕を見上げて、目を輝かせる。

 

「えっ?」

 

困惑して固まっていたら、破竹が口を開いた。

 

「兄貴を困らすんじゃねえ」

 

「何よ!!あんたみたいなヤンキーが弟な訳ないでしょ!!」

 

「あ?今度こそ落とすぞクソガキ」

 

「破竹、まあまあまあまあ…」

 

何とか破竹を宥める。ちょっと懐かしい、こういうの。昔はよくやってたな。

…それはさておき。

 

この子、あんな事をしようとしていたとは思えないくらい元気だ。

 

警察とか救急車とか呼んだ方が良いかなと思ってたけど、別人みたいにハツラツとしてるし…心配要らなさそう。勝手な事をして申し訳ないと思ってたから、安心した。

 

 

「こんだけうるさけりゃ大丈夫だろ。行こうぜ兄貴」

 

「あ、うん」

 

「もう行ってしまわれるんですか!?まだ十二時の鐘は鳴ってないのに!!」

 

「…ごめんね、もう行くよ。どうかお元気で。これから良い事が、沢山ありますように」

 

真っ赤な顔で硬直した女の子を残して、僕は破竹に引きずられながら、この場から去った。

 

 

 

バタバタしていたら、すっかり雨で濡れてしまった。今更傘を使うのもという事で、僕達は雨に打たれながら歩く。

 

「何だったんだろうな、あのガキ」

 

「さあ…ここら辺でよく見かける制服だった気がするけど」

 

「多分、近くの中学のだわ」

 

そんな事を話していたら、アパートに着いた。

 

 

 

「ただいま」

 

破竹が中に向かって声を掛けると、エオリアちゃんがひょっこり姿を現した。

 

「おかえりなさい!はちくんさま、あまつさま!」

 

明るく出迎えてくれた彼女は、びしょ濡れで帰って来た僕達を見て目を丸くする。

 

「だ、大丈夫ですか!?丁度、お風呂沸いていますの!」

 

「有難う、助かるよ」

 

屈んでお礼を言う僕に、破竹が言う。

 

「兄貴先入んな」

 

「良いの?」

 

「おう」

 

「でも、破竹が風邪引いちゃうよ」

 

「俺は大丈夫だから」

 

お互い譲らない僕達を見て、もどかしそうにエオリアちゃんが頬を膨らませる。

 

「もう!お湯が冷めてしまいますの!お二人で入って来て下さい!」

 

無理矢理浴室に押し込まれてしまった。エオリアちゃん…本当に、お母さんに似てきたなぁ。

 

 

二人で浸かった浴槽は、とても狭く感じた。子供の頃のようにはいかない。

 

――――時の流れと体の成長を、実感した。

 

 

お風呂から上がると、破竹はドライヤーを譲ってくれた。俺の方が時間掛かるから、って。確かに破竹は、髪が長い。短かった時期は、相当昔だと記憶している。

 

 

これは以前教えてくれた事なんだけど…わざと伸ばしているらしい。

 

願掛けなんだって。

 

…もうじき夢が叶うだろうから、近々切るのかも知れないな。少し勿体無い気がするけど、喜ばしい事だ。

 

 

 

「今日、めのお姉さまからお電話がありましたの」

 

破竹の髪をタオルで拭きながら、エオリアちゃんは続ける。

 

「今週末、遊びに来られるそうです!」

 

ふふ、凄く嬉しそう。ニコニコが溢れて抑えられないみたいだ。エオリアちゃんと梅乃は本当の姉妹みたいに仲良しだから、楽しみなんだろう。勿論、僕も久しぶりに梅乃の顔を見られるのは嬉しい。

 

「騒がしくなりそうだな」

 

破竹は口ではそう言うけど、微笑んでいた。

 

 

 

――――翌日。

 

いつも通りの朝を迎えた…つもりが、僕は違和感を覚えた。

 

…体が重たい。

 

布団から出られずに困っていたら、隣の布団で寝ていた破竹が、異変に気付いてくれた。

 

「兄貴、大丈夫か」

 

「…大丈夫…じゃ、ないかも」

 

「だよな。待ってろ」

 

寝室を一旦出て行った破竹は、朝食の支度をしていたらしいエオリアちゃんと戻って来た。恐らく顔を赤くしているであろう僕を、エオリアちゃんは心配そうに見てくる。

 

「まあ…熱がありますね…」

 

「俺、薬局行くわ。学校に欠席連絡しといてくれ」

 

「わかりました!」

 

ラジャーの姿勢を取ったエオリアちゃんだったけど。

 

「な、何と言えば宜しいのでしょうか…?」

 

そうだよね。初めてだし、分からないよね。

 

すると破竹は慣れた調子でつらつらと言った。

 

「もしもし、おはようございます。お世話になっております、三枝天松と破竹の母です。それが、二人揃って風邪を引いてしまいまして…本日は欠席という事で…はい…宜しくお願い致します。失礼致します。みたいな感じで」

 

「了解です!」

 

エオリアちゃんは破竹の言った事を復唱しながら、意気揚々と部屋を出て行く。どんどんお母さんっぷりが加速している気がする。

 

…というか、待って。

 

当たり前の様に自分も休むつもりでいるらしい破竹に、僕は少し嗄れた声で言う。

 

「駄目だよ、破竹…放って置いて。移したら大変…」

 

「やだ」

 

「え、ええ…」

 

「そんな薄情者じゃないんだよ俺は」

 

「それは、知ってるけど…」

 

口ごもる僕の頭を、破竹は優しく撫でてきた。

 

「こういう時くらい、世話焼かせろ」

 

――――ああ、困ったな。こんな事言われたら…断れないや。

 

 

 

その後、破竹は大急ぎで色々買って来てくれた。僕はゼリーを頂いてから薬を飲んで、横になって安静にする。

 

…中々寝付けずにいると、破竹がぽつりと呟いた。

 

「兄貴、覚えてるか」

 

「どうしたの?」

 

「大昔…俺よく熱出してただろ」

 

 

今でこそ元気で頼もしい破竹だけど、幼い頃はよく体調を崩していた。読書が趣味になったのは、家に居ないといけない治りかけの間の暇潰しに丁度良かったから…らしい。

 

僕はよく、そんな破竹の元へお見舞いに行っていた。梅乃は…騒ぐからって、お母さんに抑えられてたっけ。

 

 

「あの頃は、有難うな」

 

「うん」

 

「体調悪い時に一人で居ると、何か寂しくなってさ。それがすげー嫌だったから…兄貴が来てくれたの、嬉しかった」

 

 

大事な弟が苦しんでいるのは、悲しかった。何も出来なくて、辛かった。せめて、傍に居たいって思ってた。

 

…そっか。きっと、破竹も同じなんだね。

 

 

「だから、今一緒に居てくれてるの?」

 

照れ臭かったのか、破竹は顔を背ける。でも、ちゃんと頷いてくれた。

 

「…有難う」

 

穏やかな気持ちに包まれて、安心して。僕はいつの間にか、眠っていた。

 

 

 

ピンポーン、という音が聞こえて目を覚ます。外を見ると、すっかり夕方になっていた。

 

看病してくれていた破竹とエオリアちゃんは、眠ったままだ。休んだからか大分元気になったので、二人を起こさない様に布団から出て、玄関に向かう。

 

 

…誰だろう。

 

宅配を頼んだ憶えはない。お母さんからは仕送りしたとは聞いていないし、梅乃が来るのは今週末…まだ先だ。

 

心当たりが無くて不安になりながら、覗き穴を見る。

 

 

――――扉の先には、誰も居なかった。

 

 

子供のイタズラかな。僕らのアパートは住宅地の中だし、一階にあるから…きっとこういう事もあるのだろう。

 

気を取り直して、寝室に戻ろうとする。

 

 

その矢先、窓に人影が映った。

 

 

カーテンを閉めているから、シルエットしか分からない。きょろきょろとした動作をしている。まるで、中を覗き込もうとしているみたいだ。

 

泥棒かも知れない。

 

僕は恐怖を押し殺し、破竹達の元へ向かう。

 

 

 

「破竹…起きて…」

 

申し訳ないと思いつつ、揺さぶる。

 

「んー…?どうした、兄貴」

 

「外に誰か居る…」

 

眠そうにしていた破竹の目が、パッと見開かれた。

 

 

 

エオリアちゃんを寝室に残して、二人で問題の窓に向かう。人影はもう無かった。

 

「居ねえな…」

 

声を潜めて、破竹が呟く。僕は頷いた。

 

「気のせい…だったのかな」

 

「だったら良いけどさ…」

 

 

その時、ポストがガシャンと音を立てた。

 

 

僕は驚いて、声も出ず棒立ちになった。破竹は臆せず扉に向かって行く。

 

…ポストの中から何か取り出して、怪訝な顔で戻って来た。

 

「何かこれ、開けちゃいけねえ気がする」

 

汚い物を摘むようにして持っていたのは、折りたたまれた便箋だった。

 

「…さっきの人影が入れたのかも」

 

一応見てみようという事になって、開く。そこには。

とだけ書いてあった。

 

「何だよこれ…気持ち悪ぃ…」

 

鳥肌を立てた破竹が、すぐさまゴミ箱に便箋を捨てる。

 

僕が体調を崩したのを知っている…という事は、クラスメイトの中の誰かだろうか。わざわざ来てくれたなら、直接言ってくれたら良かったのにな。

 

あれ、でも。

 

――――僕、誰にもアパートの事教えてない。

Locus.3

 

色々不可解な事はあったけど、無事体調は良くなった。

 

――――ただ、登下校中に違和感を抱く日々が続いた。

 

視線を感じる、と言うのだろうか。

 

破竹も何かおかしいと思ったみたいで、道の途中で振り返ったりしてくれるんだけど…犯人は分からない。

 

「こういうのって、昔もあったりしたか?」

 

「…いや、無かったと思う」

 

「ラブレター貰ってた時期も?」

 

「うん…あれ、何で知ってるの?」

 

「昔、梅乃から聞いた」

 

「そうなんだ」

 

僕には有難い事に、ラブレターを色んな人から貰っていた頃があった。でも良い人達ばかりだったのか、トラブルが起きた事は一度も無い。梅乃の言葉を借りるなら、ファンレターだったから…なのだろうか。

 

 

とりあえず学校外で単独行動はしないという事で、話が纏まった。

 

余りにエスカレートしたら警察沙汰になってしまう。出来るだけそれは避けたいし、穏便に解決出来たら良いのだけど…。

 

 

――――でもその考えは、甘かった。

 

 

帰宅すると、エオリアちゃんが真っ青な顔で震えていた。

 

「どうした、エオリア」

 

破竹が問うと、エオリアちゃんは便箋を差し出す。

 

「こ、これが、ポストの中に…」

 

そこに書かれていたのは。

破竹は、エオリアちゃんを抱き締める。

 

「くそ…誰なんだよ…」

 

悔しそうに呟く破竹の隣で、僕は便箋を眺めながらふと思い出す。この字は…。

 

 

――――歩道橋で助けた女の子の遺書と、似ている。

 

 

一瞬見えただけだったから、確証は無いけど…奇妙な事が起き始めたタイミングを考えると、決して的外れではないかも知れない。

 

 

破竹にそれを伝えると、納得した様に唸った。

 

「あいつ…兄貴の事、王子様とか言ってたもんな」

 

「…やめて貰うように言わないと」

 

「そうだな。エオリアも怯えてる」

 

――――その時。

 

ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!!!!​!!!!!

 

 

エオリアちゃんが小さく悲鳴を上げる。もしかして、留守番中ずっとこんな感じだったのだろうか。

 

破竹にエオリアちゃんを任されて、僕は彼女を安心させるべく抱き締めた。

 

「ごめんね…巻き込んで…」

 

状況が飲み込めていないらしく、エオリアちゃんは震えるばかりだった。

 

大切なエオリアちゃんを怯えさせられた事で我慢がピークに達したのか、破竹が勢い良くドアを開く。

 

「やめろ、クソガキ!!!!」

 

扉の先には。

 

 

「うっわ激おこだ!!ごめん!!張り切り過ぎた!!」

 

 

――――舌を出しながらウインクする、梅乃が居た。

 

 

「久しぶりぃ!一日早いけど、学校帰りにそのまま来ちゃったぁ!泊まってって良いよね〜?」

 

此方の事情を当然知らない梅乃が、あっけからんと笑う。エオリアちゃんは、梅乃の顔を見て安心したのか泣き出してしまった。

 

「め、めのお姉さまぁ…」

 

「どどどどどどどうしたのエオリアちゅゎんぬ!?!?泣かないで泣かないでよちよちよち可愛いねぇ〜!!」

 

「梅乃」

 

「なんだいはちくん」

 

「危ねえから帰れ」

 

「え?どゆこと?」

 

 

言いたい事は分かる。僕も同じ気持ちだ。付け加えるなら、エオリアちゃんを連れて実家へ避難して欲しい。

 

でもまずは、説明が先だ。

 

 

「梅乃、実はね…」

 

 

 

「な、何それぇ…まじか…」

 

エオリアちゃんを抱いて頭を撫でながら、引き攣った顔で梅乃が言う。

 

「あまつんが王子様なのは分かるけど、アプローチの仕方が魔女も裸足で逃げるレベルだねぇ…」

 

「だろ」

 

「ピンポン連打タイミング悪過ぎてごめん」

 

「本当にな」

 

つーかどんな時でもやるな、と破竹は梅乃のおでこを指で弾いた。いてて、と笑った梅乃が言う。

 

「立派なストーカーだけど、警察に言わないの?」

 

「考えたんだけど、逮捕ってなったら恨まれそうで…」

 

「ん〜…確かにぃ」

 

「いっそぶっ飛ばせば懲りるんじゃねえか」

 

「はちくんが逮捕されちゃうよぉ」

 

 

僕らは考え込む。

 

 

「犯人さんが、諦めてくれたら良いのですが…」

 

 

エオリアちゃんの呟きに、三人でそれだ!!と声を揃えた。エオリアちゃんが目を丸くする。

 

「流石エオリアちゃん!我が妹!そうだよ、向こうから諦めてくれれば解決するじゃん!」

 

「名案なのは確かだけどよ…どうすんだ?」

 

首を傾げる破竹に、梅乃が言う。

 

「恋を諦めさせるなら、そりゃ失恋だよぉ」

 

「ああ、成程」

 

「あまつん彼女いる?」

 

「…ごめん、いない」

 

「そっかぁ…」

 

梅乃は瞼を閉じて、渋い顔をする。

 

「彼女居たら諦めるかなーって思ったんだけどぉ…でも過激派だったら、その彼女消せば自分が彼女になれるって思いそうだねぇ…」

 

「怖過ぎんだろ」

 

「でも、一理あるかも」

 

「いけそうだったらあたしが彼女のフリして何やかんやするんだけど…一筋縄じゃいかない相手には厳しいかぁ…」

 

ほぼ振り出しに戻って、また考え込む。

 

 

「彼女さんが駄目なら、彼氏さんはどうでしょう…?」

 

 

エオリアちゃんが、またぽつりと呟く。それだ!!が一日に二回も揃うなんて中々レアだ。

 

「ほんとエオリアちゃん天才過ぎぃ!男が好きなんだって思えば、流石に諦めるよね!」

 

「盲点だったな。そもそも対象外って突きつけりゃ良かったのか」

 

「あ、あの…二人共」

 

「どうしたのあまつん」

 

「その作戦ってさ…つまり、僕が男の人と…?」

 

「そうなるねぇ」

 

「えっと…」

 

「協力してくれそうな友達とか居れば良いけどぉ…極力巻き込みたくはないよねぇ」

 

「お強い殿方がお相手でないと、何かあった時に心配ですの」

 

梅乃とエオリアちゃんの視線が、破竹に注がれる。

 

「…え、俺?まあ、良いけど…変な意味じゃなくて。兄貴は嫌じゃねえか?」

 

「いや、僕は…エオリアちゃんこそ嫌じゃない?」

 

「わたくしは、あまつさまも大好きですから!気にしませんの!」

 

「エオリアちゃ〜ん!あたしの事はぁ〜?」

 

「勿論、大好きです!」

 

「アハァ〜!!!!!!エンジェル!!!!!!」

 

エオリアちゃんにじゃれつく梅乃を横目に、破竹が言う。

 

「俺はあの中学生に顔割れてるけど、恋愛対象が弟ってなったら尚更ドン引きするかもしれん。やる価値はある」

 

「う、うん」

 

 

その後、僕らは…というより梅乃が…作戦を考えてくれた。

――――決行は明日だ。

Locus.4

 

作戦開始時刻がやって来た。僕と破竹は、二人でアパートを出る。

 

 

既にバレているかはさておき、中に僕ら以外の二人が居るのがバレたら怪しまれるかも知れない。という事で、梅乃とエオリアちゃんは留守番だ。

 

そして今日は土曜日…もしストーカーがあの中学生の女の子であれば、学校が休みなので丸一日見張っているだろうという推測を立てている。

 

そうでなければ破竹の頑張りが報われないので、むしろ居て欲しい。

 

 

梅乃が作ってくれた台本を頭に叩き込んでいる僕達は、早速それに則り恋人らしい振る舞いを心掛ける。

 

設定では、僕らは兄弟でありながら恋人という禁断の関係で、親に理解して貰えず駆け落ちしてアパートに住んでいる高校生………らしい。

 

 

「今日、天気良いな」

 

「そうだね、破竹」

 

「デート日和ってやつだな」

 

…梅乃、何でこんなに破竹が言わなさそうな事を言わせる台本にしたんだろう。何やら凄く楽しそうだったけど。

 

ちゃんと守ってる破竹も破竹だよ。真面目なんだから。

 

「そんな事、外で言わないで。恥ずかしいよ」

 

「はは、すまん」

 

破竹、演技上手…凄く自然だ。自分じゃないって割り切ってるのかな。こういう才能があったなんて知らなかった。

 

「天松」

 

「…ん?」

 

恋人なら兄貴とは呼ばないでしょ、という梅乃の意見を汲んだんだけど…名前で呼ばれ慣れてないから、少し戸惑う。

 

気が付けば兄貴だったからなぁ。名前覚えててくれたんだなって思わず感動してしまう。

 

「手…繋いでいいか」

 

「うん、勿論」

 

手繋いで歩くなんて、もう何年ぶりだろう。あの頃の手よりも、全然大きい。

 

――――でも、温かいのは変わらないや。

 

 

 

僕らは手を繋いだまま歩いて、カフェに向かう。

 

…こんな所初めて入った。梅乃曰く、デートなら定番らしい。デートした事無いって言ってたけど。

 

 

呪文みたいな注文を何とかクリアして、手に入れたコーヒーとケーキを持って、テラス席に座る。

 

ちょっと肌寒いけど、店内よりは店外の方がストーカーがストーカーしやすいだろうという破竹の提案だ。見せつけなければ意味が無いから理屈は分かるけど、そんな観点で席を選ぶのは後にも先にもこの一回であって欲しい。

 

そんな事を考えながら、コーヒーを一口飲む。

 

…わあ、美味しいなぁ。今度皆で改めてゆっくりしたい…。

 

「天松」

 

「……あ、どうしたの?破竹」

 

いけないいけない。つい反応が遅れる。

 

「それ、一口くれ」

 

僕の分のケーキを指さして、破竹が言う。普段ならお皿ごと渡す所だけど、ええっと確か台本では…。僕は一口分のケーキを、フォークを使って破竹の口元に運んだ。

 

「はい、あーん」

 

「ん」

 

「美味しい?」

 

「超うんめえ」

 

あ、これは素だ。

 

「でも母さんのケーキの方がうめえな」

 

こらこらこらこら、また素が出てる…まあ少しくらいならいいか。

 

「これも美味しいけどね、気持ち分かるよ」

 

「なー。最近食えてねえな」

 

「今度帰った時に、一緒に頼んでみよっか」

 

「うん」

 

――――ふふ。やっぱり破竹は、普段通りが一番素敵だ。

 

 

 

カフェを後にした僕達は、近くの広場に向かった。

 

中学生ならそんなにお金持ってないだろうという事で、極力お金要らずのデートプランを組んである。

「結構混んでるな」

 

「そうだね」

 

「はぐれないように、しっかり俺に捕まっとけよ」

 

「うん」

 

破竹の腕に…ええっとこんな感じかな…自分の腕を絡ませてっと…。

 

身長差が逆転したからか、結構やりやすかった。

 

 

ふと、花壇に咲いている花が目にとまって、僕は思わず台本に無い台詞を言ってしまう。

 

「…綺麗」

 

すると破竹は唐突なボールをしっかり拾ってくれた。

 

「天松の方が綺麗だよ」

 

「そ、そう?」

 

「…実際兄貴は綺麗だと思う」

 

ぼそりと付け加えられた言葉が嬉し恥ずかしで、つい僕は普通に照れてしまった。

 

「顔真っ赤じゃん」

 

あ、台本にあった台詞の組み合わせ。破竹は軌道修正上手いなぁ。

 

「からかわないで!」

 

「可愛い」

 

「…破竹の、ばか」

 

 

馬鹿なのは僕だ。

 

大切な弟に何をさせているんだ。早く破竹を解放してあげたいと切実に思う。でもこの作戦は、あの女の子が登場するまで終われない。

 

ごめんね、破竹…もう少し我慢して…。

 

 

 

「あ。スワンボートがあるよ、破竹」

 

台本では、池に行ってこれに乗ると書いてあった。梅乃曰く、並大抵のメンタルの持ち主は一人で絶対に乗らないカップルや家族連れ御用達の乗り物…らしい。

 

という事で、僕達はスワンボートに乗り込んだ。

 

「ママ〜あのお兄ちゃん達二人で乗ってた〜」

 

「あらあら、仲良しなのね〜」

 

擦れ違った後のボートから、そんな声が聞こえた。

 

「分かってんじゃん、あの家族」

 

嬉しそうにしてる破竹を見て、僕も嬉しくなる。

 

「ずっと、仲良しでいようね」

 

「おう。勿論」

 

ほっこりしていたら、破竹がぼそりと耳打ちしてきた。

 

「兄貴…あいつ来てる」

 

「えっ」

 

「一人でボート乗ってるぜ」

 

 

…あ、本当だ。

 

 

来ているという事は、見てるという事だ。休日、わざわざ一人でスワンボートに乗ろうとする中学生なんて滅多に居ないだろう。つまり、ラストミッション(梅乃命名)をこなせば完璧。

 

最後のひと押し…それは…。

 

「天松」

 

破竹が僕の顎に手を軽く添える。くいっ、と上を向かされたかと思えば、破竹の顔が近付いてくる。僕は思わずぎゅっと目を瞑った。

 

するフリなのは分かってるけど、やっぱりどうしても恥ずかしいものがある。

 

と、その時。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

 

叫び声が聞こえたかと思うと、ボートが衝突の衝撃で揺れた。ガクンという振動で体勢がズレる。

 

 

………え?

 

 

柔らかい感触がして、僕は瞑っていた瞼を開けた。

 

目の前には、ぽかんとした、真っ赤な顔の破竹が居た。

 

 

 

僕は、全てを察した。

 

 

 

「ごめん、破竹。忘れて。今すぐ」

 

「んな無茶な…」

 

「エオリアちゃんとした事あったでしょ?それを思い出してさ…」

 

「まだやった事ねえ」

 

 

何という事だ。

 

まさか付き合ってもう8年経つ二人がそこまで清く正しい交際をしていたなんて。いや、それは素敵な事だから問題じゃない。問題なのは。

 

 

「…初めてだった」

 

そう言って破竹は俯いてしまった。僕も申し訳なさのあまり俯いた。いっそこのまま池の中に飛び込んで沈んでしまいたい気分だった。どう責任を取れば良いんだ。切腹すれば許してくれるかな。

 

「でも、兄貴もそうだよな」

 

「え?あ、それは、うん」

 

「じゃあ、お互い様って事で…」

 

ま、丸く収めようとしてくれている…なんて優しい弟なんだろうか…。

 

僕は心の中で滝のような涙を流しながら、力強く頷くのだった。

 

 

 

ボートから降りて、僕と破竹はようやく女の子と対峙する。

 

ここまで来る為に破竹が失った物が多過ぎるので、早い所ケリをつけたい。

 

「ゆ、ゆ、ゆ、ゆる、ゆる、許せない…わわわわ私の王子様に何て事してくれたのよ…」

 

君がぶつかって来なかったら未遂で終わったんだけどね。

 

「お前のじゃねえ。天松は俺の恋人だ」

 

嘘でもそんな事言うのは辛い筈だ。破竹はどれだけ心を削っているんだろうか。任せてばかり居られない。

 

「僕は、ずっと前から破竹が好きだった」

 

大事な弟として。と内心つけ加える。

 

女の子は勢い良く首を横に振った。

 

「そんな訳ない!!!!王子様が…王子様が実の弟に好き放題される訳ない!!!!」

 

「言い方よ」

 

思わず破竹が素で突っ込んだ。今日好き放題してるのはむしろ僕の方だと思うので是非訂正させて欲しいんだけど、余計拗れそうなので黙る。

 

「私の方が好きなのよ!!!!邪魔なのよあんた!!!!」

 

女の子はそう言うと、懐からカッターを取り出した。チキチキと刃を伸ばして、破竹に刃先を向けて、じりじりと詰め寄って来る。

 

「目障り…消えて…」

 

一触即発な張り詰めた空気の中…カッターを胸の前に構えて、女の子が走り出した。

 

「うぉらああああああーーーーー!!!!!!」

 

――――破竹は、いとも容易くいなす。するりとカッターを取り上げて、女の子を地面に伏せさせた。鮮やか過ぎて、思わず見とれてしまった。

 

「はい、一丁上がり。天松の気を引きたけりゃ、俺より強くなる事だな」

 

破竹は刃を仕舞ったカッターを自分のポケットに片付け、パンパンと手を払う。

 

………。

 

…………か、

 

 

「かっこいい…」

 

 

「よせよ兄貴」

 

ごめん。つい本音が。あの、本当にかっこいいと思う。エオリアちゃんも好きになる訳だ。

 

 

 

地面に突っ伏していた女の子は、暫くするとわんわん泣き出した。

 

「わ、私学校で虐められててぇ…」

 

「そりゃそうだろうな」

 

「もう嫌になって死のうと思ってぇ…」

 

「人目につく所でやるなよ」

 

「そしたら天松様が助けてくれてぇ…」

 

「俺も助けたけどな」

 

「もう王子様にしか見えなくてぇ…」

 

「それは分かる」

 

「運命だと思ったのぉ…」

 

「それは分からない」

 

 

「あんたさっきから合いの手入れてんじゃないわよ!!!!!!」

 

 

きー!!と女の子が甲高い声で叫ぶ。僕は、そんな女の子の近くにしゃがみ込んだ。

 

「…有難う。僕なんかを好きになってくれて」

 

「王子様…」

 

「でもね、僕にはもう…好きな人が居るんだ」

 

「そんな…」

 

「ずっと、ずっと…僕は、破竹が好き」

 

「うう…」

 

「だから本当に僕を想ってくれているのなら、応援して欲しいな」

 

「仰せのままにぃ…」

 

 

暫く間があり、女の子は残念そうにこう言った。

 

 

「でも私、明日引越すからもう応援出来ないんですぅ…」

 

 

「「え?」」

 

 

――――――――――――え?

 

 

「自殺しようとしたの親にバレた時に…転校しようって言ってくれてぇ…遠い所に引越しする事になったんです…。なんか、一人で悩んでたの馬鹿だったなぁって…」

 

女の子はよろよろと立ち上がり、僕に向かってぺこりと頭を下げた。

 

「あの時、助けて貰えなかったら…私、親不孝者になってました。だから、本当に…有難うございました。初めて人を好きになったから暴走しちゃって…沢山迷惑かけて…ごめんなさい…」

 

「…そっか」

 

僕は、女の子の頭を撫でる。すると破竹が言った。

 

「初恋は実らねえって言うよな」

 

そっぽを向いて、こう続ける。

 

「次は、正々堂々頑張れよ」

 

女の子は、破竹からのエールに笑顔で応えた。

 

「はい!!先生!!!」

 

「は?」

 

 

女の子は「お幸せに!!」と言い残して帰って行った。

 

 

「僕らも帰ろうか、破竹」

 

「おう」

並んで歩く。勿論、もう演技する必要は無いので、手は繋がない。

「兄貴」

 

呼び方もすっかり元通りだ。

 

「俺さ、今日結構楽しかった」

 

「え…」

 

「兄貴は?」

 

 

……そんなの。

 

 

「楽しかったに、決まってるよ」

 

微笑む破竹に、僕も微笑み返す。

 

「まあでも、今日あった事は俺らだけの秘密って事で」

 

「そうだね。墓場まで持って行こう」

 

「はは、そりゃいいわ。どうせ同じ墓入るから、そん時の思い出話にしようぜ」

 

沢山の物を失ったけど、思い出という宝物は得た。

 

――――どこか清々しい気持ちで、僕らは帰路に着くのだった。

Locus.5

 

アパートのリビングにて。

 

カバンの奥に眠っていた…折り目が入ってしまった白紙のままの進路希望調査票を、僕は眺めていた。

 

騒動があったからか、先生に提出を促されるまですっかり忘れていた。明日渡しますと言ってしまったから、今日中に考えてしまわないと。

 

――――でもやっぱり、一人で考えても埒が明かない。

 

そこで僕は、丁度遊びに来ていた梅乃にアドバイスを求める事にした。

 

 

 

「実はあたしもちょ〜っと考え中なんだよねぇ」

 

煎餅を齧りながら、梅乃は上を向く。

 

「梅乃も?」

 

「そぉ。漫画の専門学校に行くのは決めてるんだけど、何処にしようかなぁって」

 

話によると、実家から通える評価まあまあの所にするか、実家からは遠くて通えないけど有名な所にするかで悩んでいるらしい。

 

うーん…。

 

「梅乃は本気なんだし、実績があって信頼出来る所の方が良いと思うよ」

 

「やっぱそーだよねぇ…ママにもそう言われたぁ」

 

でも…と梅乃は言葉を濁す。僕には心当たりがあった。

 

 

「…寂しい?」

 

 

僕もそうだった。行った方が自分の為になるかも知れない場所とはいえ、賑やかな実家から離れて一人で暮らすのは…余りにも寂しい。

 

破竹やエオリアちゃんがついて来てくれて、どれだけ救われたか。

 

 

「そーなの!そこなの!あたし家事もやった事ないしさぁ。毎食コンビニ弁当なんてやだぁ」

 

毎食は流石にキツイものがあるなぁ。エオリアちゃんはいつも手料理を振舞ってくれているんだけど、体感、外食より自炊の方が余程体に良いと感じる。

 

「自分で作ってみたら?」

 

「いや無理無理!あたし家庭科散々だったんだよ!?もし包丁で怪我したら、痛くて漫画描くどころじゃなくなるよぉ!」

 

何としても手だけは死守する破竹に似ているな、と思った。クリエイティブな活動をするなら、手は必須だもんね。

 

梅乃は大きな溜息の後、ぽつりと言った。

 

「あたし、誰かについて来て欲しい」

 

そんな時。夕飯の材料を買いに出かけていた、破竹とエオリアちゃんが帰って来る。

エオリアちゃんは目立つから一人で買い出しに行けないので、週末に僕らが付き添って、まとめて材料を買っているんだ。テキパキと指示を出してくれるから、いつもすぐに終わる。

 

今日は僕の事情を察して、二人で行ってくれた。二人の時間を作ってあげたいと思っていたので、色んな意味で助かった。

 

 

「ただいま」

 

「ただいまです!…あらら?めのお姉さま、どうしたのですか?お腹痛いのですか?」

 

ソファにだらんと横になってしまった梅乃に、エオリアちゃんが駆け寄る。そんなエオリアちゃんをガシッと掴んで隣に寝転ばせた梅乃は、ぎゅっと抱き締めながら満足気に笑う。

 

「エオリアちゃん、捕獲ぅ」

 

「うふふ、捕まってしまいましたの〜」

 

「うぇっへぇぇん…二人共ズルいよぉ…こんな可愛い子と同棲なんて羨ましいよぉ…」

 

「お前も昔はしてただろ」

 

めそめそ泣く真似をする梅乃を、破竹が呆れた様にバッサリ切り捨てる。

 

「まあまあ…今梅乃悩んでるから、優しくしてあげて」

 

「そーなん?」

 

破竹に事情を説明すると、うーんと唸られた。

 

「俺は実家戻るつもりだし…ちょっと暫くバタバタしそうなんだよな」

 

小説家になるんだもんね、それはそうだ。

 

「ええー!?じゃあ、必然的にエオリアちゃんも実家!?」

 

「はい…はちくんさまは、わたくしの居場所…ですから…」

 

照れ臭そうにエオリアちゃんが微笑む。梅乃はエオリアちゃんを抱き締めて、振られた〜!!と叫んだ。

 

「じゃあもう実家の近くの学校でいっかぁ…」

 

納得いってない様子で、渋々と言うように梅乃が呟く。

 

…女の子の一人暮らしは危ないし、家事が出来ないなら健康に支障が出てしまうのは間違いない。妥当な判断ではあるけど…でも、せっかくなら梅乃には有意義な時間を過ごして欲しかった。

 

――――だから。

 

 

「僕、付き添いしようか?」

 

 

家族の中で現状フリーなのは僕だけだ。それに、たまに家事を手伝ってたし、全くの未経験ではない。

 

梅乃がガバッと起き上がる。

 

「本当!?」

 

「うん、勿論」

 

「二人で大丈夫か?…まあ、大丈夫か。山に行く訳でもないしな」

 

破竹が笑う。懐かしいな、山に行ったの。昔の事だけど、鮮明に思い出せるくらいには印象に残ってる。

 

「やったー!あまつんとランデブー!」

 

さっきまでしょげていたとは思えないくらい、梅乃が元気を取り戻す。僕は嬉しくて微笑んだ。

 

 

僕も今後どうするか悩んでたし、行きたくないなら大学は無理に行かなくて良いってお父さんもお母さんも言ってくれてたし…やりたい仕事も今は特にない。

 

それなら…梅乃の夢を、サポートしたい。

 

 

僕は、人に頼るのが苦手だ。迷惑なんじゃないかな、とか。手間を掛けさせるのが申し訳ないな、とか。そんな事ばかり考えてしまうから。

 

でも、大切な家族に頼られるのは…大好きだった。

 

 

 

――――翌日。

 

朝一番に職員室に行って、僕は先生に進路希望調査票を手渡した。書いてある内容が予想外だったのか、先生は軽く二度見していたけど…何処か嬉しそうだった。

 

「三枝さん、良い顔をするようになりましたね」

 

「えっ」

 

「前までは、凄く焦っている様だったから」

僕は、笑顔で答える。

 

「やりたい事が、見つかったんです」

 

 

 

破竹と下校中、何処か足取りが軽かった。

 

 

やりたい事があるというだけで、凄く…わくわくする。

 

梅乃は、やがて素敵な作家になるのだろう。

 

そんな梅乃に必要とされていると思うと、凄く誇らしくて…楽しみだった。

 

 

「兄貴、嬉しそう」

 

「ふふ。破竹には分かっちゃうか」

 

「弟だからな」

 

二人で笑い合った後、破竹は僕がどうして嬉しそうなのかも察していたらしく、こう言った。

 

「梅乃の事、任せた」

 

何だかんだ、心配してたんだ。破竹らしいや。

 

「うん。任せて」

 

 

さあ、帰ろう。

 

――――小さなお母さんが、僕らを待っている。

Shining

 

「やばーーーーーーい!!!!締切勘違いしてたぁーーーーーーーー!!!!」

 

「お前なぁ。せっかく兄貴がスケジュール立ててくれてたのにさぁ」

 

「分かってるよ!!ごめんねあまつん!!ああああもうとにかく手を動かしますぅ!!」

 

「もし無理そうだったら、編集の人に電話するよ」

 

「本当ぉ?編集さん怖いから助かるぅ!」

 

「甘やかすな兄貴。ガキじゃねえんだから、それくらい自分でさせろ」

 

「ぐぬぬ…鬼いちゃんめ…破竹じゃなくて鬼畜だよぉ…きちくんだよぉ…」

 

「けっ。言ってろ」

 

「頑張って、めののん先生」

 

「応援してますのー!」

 

「はぁい!めののん先生、いっきまぁ〜す!!」

 

「調子良いぜ、全く」

 

「そういえばママも今修羅ってるらしいよぉ」

 

「計画性の無さは親譲りだったか」

 

 

笑い声が響いた。

 

 

――――僕は今、作家になった二人を、陰ながら支えている。

 

 

「さあ、もうひと踏ん張りだよ」

 

 

笑みを携えて、僕は言う。

 

大切な家族の背中を見守りながら。

 

――――生きていく。

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