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​Monolog

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Memo.1

 

「それでは皆さん、また9月に会いましょう」


先生は微笑んで、ホームルームを終わりますとつけ加えた。途端、教室の中が弾けるような歓声に包まれた…かと思えば、続々と男子が廊下に飛び出していく。何処からか、ほんとガキね〜。と言う女子の声が聞こえた。

――――不意に肩を叩かれる。


「じゃーな!やぶたけ!次回作は入賞すると良いでちゅね〜!」


嫌味ったらしくそう言ったクラスメイトは、返事も聞かずに笑いながら走り去っていく。その背中を軽く睨んでから、俺はランドセルを背負った。

 

 


やぶたけって言うのはあだ名だ。当然、嫌な意味で。本当の名前は破竹。フルネームだと、三枝破竹。

 

――――小説の夢は…小説家。


俺の父さん、小説家なんだ。しかもただの小説家じゃなくて、賞をいっぱい取ってる人気作家。子供向けから大人向けまで幅広く書けて、どれも本当に面白い。そんな凄い作品を書ける父さんが、誇らしかった。だから俺もああなりたいって思って、それからずっと書いてて…小学生になってからは、コンクールに作品を出している。

 

だけどまだ、入賞すらした事がない。


広い世界にはライバルが沢山いる。歳をとれば、もっと競争率は上がる。物語はとっくに飽和しているから、平凡な作品には見向きもされない。父さんみたいに才能が無ければ、立派な小説家なんて叶わない夢だ。人の期待に応える物語を生み続ける事や、売れ続ける為の努力は、並大抵の根気では出来ない。
 

――――理解してた。

 

それでも、なりたいんだ。誰かに感動を与える、そんな存在に…。

 

 


「破竹」


廊下に一歩踏み出した時、聞き慣れた声が俺を呼んだ。


「兄貴」


「帰ろう…と言いたい所なんだけど、梅乃が大変なんだ。一緒に来て」


「げえ…またかよ…」


「あはは。懲りないよね、ほんと」


困った様に笑った兄貴の後ろを、渋い顔で付いて行く。

 

梅乃ってのは、俺の妹。

 

兄の天松、俺、梅乃は全員同い年。所謂三つ子ってやつだ。

 

兄妹で固まったら交友関係に影響が出るかもという母さんの計らいで、クラスはバラバラ。結果、俺は人付き合いが下手なので見事に孤立したものの…二人は普通に友達作って上手い事やってる。

 

けど、帰る時はいつも三人揃ってってのがお決まりだ。別にそれで良い。

 

――――普段通りなら。

 


案の定隣のクラスを覗くと、梅乃が大量の私物に頭を抱えているという夏恒例の光景が広がっていた。

 

兄貴に続いて教室に入る。どうでもいいが、違う教室に入ると他人の家にあがり込んだみたいで何だかそわそわする。間取りは自分のクラスと同じなのにな。


「わぁい救世主〜!持つべきものはお兄様〜!」


「うっせ、馬鹿野郎」


「野郎じゃないよ〜」


「それは失礼しました馬鹿娘」


「ひどい〜!…でも、手伝ってくれるんだもんねぇ。はちくんてばツンデレ〜」


「はちくんって学校で呼ぶな!」


へらへら笑っている梅乃に、兄貴は訊ねる。


「梅乃、荷物はこれで全部?」


「んーん。外に朝顔あるよぉ」


兄貴はやっぱりと言いたげな顔をした。ちょっとは叱りゃいいのに。代わりに俺から言ってやるか…。


「お前、何で前もって持ち帰らねぇんだよ」


「気付いたら夏休みでねぇ」


「それ聞くのもう4回目だわ」


「いつの間にかセミが鳴いててねぇ」


「泣きてえのはこっちだよ」


駄目だこりゃ。


馬鹿梅乃にデコピンしてから、俺は絵の具セットと習字セットを持ってやった。せっかく空けてた両手が塞がったじゃねーか、畜生。


「はちくんはちくん、これもお願いします〜」


は!?こいつ俺の首に体操袋引っ掛けやがった!!


「似合ってるよぉ」


「ぶっ飛ばすぞ」


「きゃ〜」


兄貴を盾にした梅乃が、兄貴越しにちらちらと見てくる。

 

くそ…俺が兄貴に強く出れねえの分かっててわざとだな…。


「ほら、二人共。遊んでたら日が暮れちゃうよ」


「はぁ〜い」


「…おう」


学校を出た俺達は、梅乃の朝顔を持った兄貴を先頭に、縦に並んで歩道を歩く。梅乃は真ん中だ。最後尾にしたら何処に消えるか分からんし。


「夏休み〜夏休み〜夏休みったら夏休み〜」


手にしているピアニカのケースをぶらんぶらんしながら、梅乃が謎の歌を口ずさむ。呑気なもんだ。


「お前、今回はちゃんと宿題終わらせろよ」


「え〜ちゃんとやってるんだよ〜なのに終わんないの〜不思議だねぇ」


「不思議だな〜!俺は絶っっっっっ対手伝わねえからよろしく」


「ケチんぼ〜」


「ケチんぼじゃねえし!!そもそも宿題っつーのは自分でやらなきゃ意味ねえんだよ!!」


喰らえ。ド正論ストレートパンチ。

 

ぶたれてぶーたれた梅乃を、兄貴が前を向いたまま宥める。


「まあまあ、梅乃。宿題なら僕が見てあげるから」


「ほんと!?あまつん代わりにやってくれる!?」


「おいクソガキ俺の有難いお言葉を無かった事にしてんじゃねえ」


聞き捨てならない発言に反射的に口を挟んだ。

 

兄貴は優し過ぎて断れないからな。でも、今回は杞憂だったようだ。


「代わりにやったら、字でバレちゃうよ」


「あ、そっかぁ」


よしよし、黙ったぞ。これで静かに…


「話変わるけどぉ!」


話題が尽きねえ奴だな。


「あたしねぇ、自由研究に野草図鑑作ろうと思ってるんだ〜。ほらぁ、家の裏に大きい山があるでしょ〜?」


あー、はいはいはいはい。


「ついて来いってか」


「はちくんご名答〜!」


「行くとは言ってねえ」


「がーん!」


俺にとって夏休みは貴重なんだ。普段より時間が取れるから、その分コンクールに出す小説のアイデアを練れる。山なんか行ってる場合じゃない。


「あまつん〜」


一緒に来いというニュアンスを込めて、梅乃が兄貴を甘ったるい声で呼ぶ。すると兄貴は予想するまでもなく頷いた。


「分かったよ。一人だと危ないからね」


「いえ〜い!」


「でも…山かぁ…」


ぼやくのも無理はない。兄貴、頭はすげえ良いけど唯一運動は苦手なんだ…母さん譲りで。

 

…………。


くそ…。


「…やっぱ俺も行く」


「どしたのどしたの〜置いてかれるの寂しくなっちゃった〜?」


「んな訳ねえだろ。兄貴に何かあったら心配だから行くんだよ。お前の事は1ミリも心配してねえ」


「あたしを信頼してるって事!?」


「違う!!!」


「うぇっへっへ〜顔真っ赤でやんのぉ〜」


こ、こんのポジティブクソガキァ…。

 

 

――――何やかんやで家に着いた頃には、ちょっと喉が枯れていた。最悪だ。


俺は玄関から梅乃の部屋に直行して、持っていた荷物を運び込んだ。重い荷物からやっと解放されて、自然と溜息が出る。すると、遅れて部屋に入って来た梅乃が目をキラキラ輝かせて言った。


「お疲れ様ぁ!有難うね〜お礼に投げキッスをプレゼント〜」


「しばくぞ」


「投げキッスでは満足出来ないとはマセてるねぇ、はちくん!これぞマセガk


俺は舌打ちと共に速やかに勢い良く念入りにドアを閉めた。

 


階段を降りたら、庭に朝顔を置いて来たらしい兄貴と丁度合流する。リビングのドアを開けると、キッチンに居た母さんが振り向いた。


「おかえり〜。おやつあるわよ」


「やりぃ」


「手洗ってからね」


「分かってるって」


テーブルの上に母さんお手製のクッキーが見えた。疲れて腹減ってたから丁度良いや。しかも母さんの作るやつって、そこらの店のより美味いし。

 

内心ウキウキで洗面所に向かっていると、猛ダッシュしてきたらしい梅乃に後ろから突き飛ばされた。


「やっほ〜!おやつおやつ〜!」


「うわっ!?」


不意を突かれたものの、兄貴が受け止めてくれたおかげで無事だった。後ろから母さんが梅乃を叱る声が聞こえる。にしてもこいつ部屋に居た筈なのに何処から聞きつけやがった…地獄耳かよ…。


「大丈夫?破竹」


兄貴…あの悪魔に少しでもその天使っぷりを分けてやってくれないだろうか。切実に。

 

 


梅乃に奪われないよう必死に確保しつつクッキーを食べた後、俺は自室に向かった。


「はあ…」


消費した体力が尋常ではない。こんな調子じゃアイデア出しは勿論宿題すら捗らない。夕飯まで少し仮眠を取ろう…梅乃に妨害されないように鍵閉めて…と。

 

ベッドに寝転んで瞼を瞑ったら、ノックが聞こえた。

 

控えめだったから多分兄貴だ。返事をしながら鍵を開けると、予想通り兄貴が目の前に立っていた。


「どしたん」


「何かしてた?大丈夫?」


「大丈夫。入る?」


頷いた兄貴を中に入れて速攻鍵を閉め、俺は勉強椅子に腰掛けた。ベッドの上に座った兄貴が口を開く。


「あのね、山に行く話なんだけど…」


「おう」


「母さんに話したら、気を付けて行ってきなさいってさ」


「そっかそっか」


「でね、梅乃が早速明日にしようって言ってて」


まあ図鑑作るんなら早く動いた方が良いだろうな。あいつにしては考えたもんだ。


「破竹はそれでも良かった?」


「おー。別に良いよ」


断ったら兄貴連れて勝手に行きそうだし。それだけは避けねばならん。

 

兄貴はホッとした顔を見せてから、嬉しそうに笑う。


「破竹が来てくれるの、心強いよ」


「そ、そうか?」


「うん。危ないから奥まで入る予定は無いけど、山に梅乃と二人で行くのは…」


「嫌だわなぁ」


苦笑した兄貴は、伸びをしてから立ち上がった。


「話はそれだけ。ごめんね、お邪魔して」


と、俺の勉強机の上…原稿用紙を見て訊ねてくる。


「…順調?」


丸めた原稿用紙で溢れ返ったゴミ箱が物語ってるけど、正直芳しくない。軽いスランプというか…行き詰まってるのが現状だ。


兄貴は、黙り込んだ俺の頭をぽんぽんと撫でた。


「次回作、楽しみにしてるね」


「…ん、ありがと」


クラスメイトの嫌味と違う温かい応援。思わず口元が緩む。期待して貰えると、やる気も出るというものだ。
 

兄貴はいつも、俺が書いた小説を読んでくれて、感想もくれる…俺のファン1号。ちなみに2号は母さんで、3号が梅乃。母さんと梅乃は良かった所しか言ってくれないけど、兄貴は改善点も優しく言ってくれるから助かる。勿論父さんに見せた方が良いのは分かってるけど、プロのアドバイスで成長するのは、何となくズルい気がして。


…いや、それは建前だな。


俺はただ、お前には才能が無いって言われるのが…怖い。

 

 

――――翌日。

 

朝っぱらから梅乃の大声に起こされて、俺は渋々ベッドから出た。リビングに行くと、同じく叩き起こされたらしい母さんと兄貴が居た。


「おっはよぉ〜!!」


一人だけやたら元気な梅乃が声を掛けてくる。フライングでリュックを背負って食卓に座っていた。やる気あり過ぎだろ。俺は呆れながら兄貴の隣に座る。


「おはよう、破竹」


起きたばかりなのかいつもより眠たそうにしている兄貴に、俺は挨拶を返した。

 

…あ。


「寝癖ついてる」


ちょいちょいと兄貴の寝癖を直してたら、梅乃が椅子の上でバウンドしだした。


「えーんえーん!あたしはシカト!?なんでなんで酷いよ〜!」


「ホコリ立つだろやめろ」


「椅子壊れちゃうよー」


俺と兄貴が口々に言うと、梅乃はだらんとテーブルに突っ伏した。やれやれ。


「ほら、朝ご飯作ったから食べちゃいなさい」


目がしょぼしょぼになっている母さんは、そう言ってテーブルに食事を並べてくれた。それからくるりとキッチンに戻っていく。どうやら、弁当も作ってくれているらしい。


「お母さん、有難う」


兄貴の言葉に、母さんはいいのよと笑った。梅乃がもごもごとスクランブルエッグを頬張りながら言う。


「マミー!!これヤミー!!」


はいはい良かったわねーと満更でもなさそうな返事が返ってきた。この流れ、俺も何か言った方が良いのかなと思ったけど…妙に照れ臭くて、言葉が出て来なかった。

 

 


母さんに見送られ、俺達は家を出発した。

 

朝とはいえ、流石夏。普通に日差しが照りつけてきて暑い。麦わら帽子を被ってご機嫌そうな梅乃を視線の先に置きながら、兄貴と並んで歩く。

 

本当優しいよな俺達って…。妹の我儘に付き合って朝早くから…ふわぁあ……欠伸が止まらん。

 

…と、梅乃が立ち止まった。


「どうした」


怪訝な声で訊ねるけど、返事は無い。立ち寝か…?いや、いくら梅乃でも…まさかな。

 

肩を掴んで揺すると、梅乃はようやく口を開いた。


「行かなきゃ」


梅乃はそれだけ呟いて、山に向かって猛ダッシュし始めた。

 

訳が分からないまま、俺は兄貴の手を取って後を追う。

 

 


山に入って、所謂ハイキングコースを歩いていたかと思うと…梅乃は躊躇なく柵を超えて、全然整えられていない森の中に足を踏み入れた。


「おい、梅乃!待て!」


俺の声が届いてないのか、梅乃はずんずん先を行く。見失ったらまずい。


「兄貴…どうしよう」


「破竹、落ち着いて。とりあえず大人を呼ぼう」


でも…もし救助が間に合わなかったら。

 

遭難のニュースが頭をよぎってゾッとした。他人を当てになんてしてられない。

 

焦燥感の赴くまま、俺は兄貴の制止を振り切って梅乃を追い掛けた。

 

 


くっそ…梅乃の野郎、どんだけ奥まで行くつもりだよ。

 

放っておけなかったらしく、俺について来てしまった兄貴は、体力の限界を迎えて苦しそうにしてる。

 

――――このままだと…。


次第に冷静になっていく中で、俺は気付いた。

 

道無き道を進んだせいで、とっくに帰り道が分からなくなっていた事に。


「…兄貴、帰り道分かるか」


過呼吸一歩手前になっている兄貴がふるふると首を横に振る。だよな。そんな事考える余裕ある訳ない。

 

俺は自分のリュックを前で背負い直して、見失わないよう梅乃を凝視しながら、兄貴の前に屈んだ。


「乗って」


せめて三人がはぐれないようにするしか、もう出来る事はない。兄貴が体を預けてきたのを確認して、俺はまた歩き出す。


「…ごめん」


「やめてくれ。兄貴のせいじゃない」


全部俺のせいだ。無理に梅乃を追ったせいで、兄貴は助けを呼びに行けなくなったんだから。

 

 

 

「梅乃、いい加減に止まれよ!!」

――――もう何度目かも分からないまま俺は叫ぶ。

 

バキバキと、木々の隙間から音が聞こえた。兄貴が耳元で小さく悲鳴をあげる。

 

音の主は動物か…それとも人間か。分からない。

 

分からないから、怖い。


「くそ…」


生い茂る葉っぱが空を覆い隠しているせいで、光がわずかにしか届いて来ない。暗さが不安を加速させる。

 

いつの間にか溢れてきた涙を拭う事も出来ないまま、俺は歩き続けた。

 

…ぼやけた視界の中、開けた場所に辿り着く。急に飛び込んできた日差しが眩しくて、思わず目を閉じる。ゆっくりと瞼を開くと、梅乃が蹲っているのが見えた。


「梅乃…」


ホッとした気持ちと、これからどうしようという気持ちとでぐちゃぐちゃになりながら、俺は意識を失ってしまっている兄貴を地面に横たわらせた。それから腕で涙を拭いながら、文句を言ってやるべく梅乃に近付く。


「梅乃!」


パッと振り向いた梅乃は、真剣な顔をしていた。いつもへらへらしてる梅乃らしくない表情に拍子抜けする

 


「はちくん。この子が呼んでたの」


「………………は?」


「え、見えないの?」


梅乃は虚空を抱き締めるようにして、驚いた様に俺を見てくる。

 

いや、意味が分からん。此処には俺達兄妹以外誰も居ない。


「お前、遂におかしくなったのか」


「おかしいのは、はちくんの方だよ!」


あぁ、もう駄目だ。お手上げだ。付き合いきれん。

 

力が抜けて、俺はドサッとその場に座り込む。


「はちくん、この子怖がってる」


「あ、そ… 」


「もっとにっこりしてくれない?」


……。

 

にっこり。


「やっぱやめて怖い」


「俺はお前の方が怖いわ」


虚空をよしよしとあやしてる妹の方が余っ程怖いと思うんですがね。勘弁してくれよ。


「んん…」


俺達のやり取りで目を覚ましたのか、兄貴がもぞもぞと体を起こした。


「破竹…梅乃…此処は…?」


「…分からん。それより兄貴、梅乃がおかしくなっちまった」


膝を抱き寄せてそこに顎を乗せ、俺は半ばヤケクソ気味に言った。兄貴はこっちに近付いて来る。

 

そして。


「その子は?」


俺は耳を疑った。だってまだ、この場に俺達以外の誰かが居るなんて一言も言ってなかったのに。


「あまつんには、見えるんだね!」


梅乃が嬉しそうに虚空を抱き締める。兄貴は頷いて、梅乃の隣にしゃがんだ。

 

――――悪い夢でも見てんのかな、俺。

 

兄貴までそっち側なんだったら、もう自分の方がおかしいのかと思っちまう。頼む、夢なら早く覚めてくれ。
 

「この子、妖精さんなのかな〜?」


…いや、やっぱ俺の方がまともかもしれん。すっかり普段の調子に戻った梅乃がメルヘンな事言い出してやがる。妖精さんってお前、物語の中じゃあるまいし。いやでも兄貴にも見えてるんだっけ…。


「あ、違うんだぁ。え、なぁに〜?」


俺は逸らしていた視線をこっそり二人に戻す。虚空を眺めてみると…奇妙な感覚に陥った。

 


何も無い筈なのに。目が合った気がした。


「あなた、女神様なんだぁ」


梅乃の言葉の後に現れた『女神様』と、視線がかち合う。

 

その瞬間、俺は厄介事に巻き込まれたのを嫌でも自覚した。

Memo.2

 

「女神…?」

 

薄目でじろじろ眺めると、そいつは梅乃の腕の中で縮こまった。

 

黄緑色の髪に、翡翠の瞳。真っ白なドレス。こじんまりとした体は小柄な梅乃よりも小さくて、耳はとんがってて、頭には小さな角が生えてる。

 

………。

 

「変なガキ」

 

素直な感想を口にすると、梅乃が目を見開いた。

 

「なんて事言うの、はちくん!!そんなだからぼっちなんだよ!!」

 

「うるせえ余計なお世話だ!!」

 

「二人共、落ち着いて…」

 

兄貴が物理的に割って入って来た事で、俺は大人しく黙る。兄貴はチビガキに視線の高さを合わせて、優しく言った。

 

「初めまして、僕は三枝天松。それから弟の破竹と、妹の梅乃だよ。君のお名前も、教えてくれないかな」

 

きょろきょろと俺達三人を見て、暫く迷う様な素振りをした後…チビガキは蚊の鳴くような声で答えた。

 

「わたくしは…エオリアと…申しますの…」

 

それからまた黙り込む。超もじもじしてて俺としてはすげえイライラすんだけど、梅乃はメロメロになっていた。

 

「エオリアちゃん!!かんわいい〜!!妹になって〜!!」

 

う、うわ…頬擦りしまくってる…つーか勝手に兄妹を増やそうとすんなアホ。お前で手一杯だわ。

 

「めのお姉さま…?」

 

あーあ。エオリアがこてんと首を傾げてそんな事を言ってくれやがったお陰で、我が家の暴走列車は遂にぶっ壊れてしまった。後ろにバターンと勢い良く倒れた梅乃は、幸せそうな顔で遠くに行ったようだ。安らかに眠れ。

 

…ん?うるさいのが居なくなった今がチャンスなのでは?

 

兄貴も同じ事を思ってたらしく、俺達は顔を見合わせて頷いた。

 

「えーっと…エオリア。お前、梅乃を呼んだんだよな?目的教えろよ」

 

回りくどいのは嫌いだし、単刀直入に聞く。こんな所まで来ちまったのも、元はと言えばエオリアが原因だった訳だし。ワンチャン家に帰る方法が分かるかも知れない。

 

エオリアは視線を泳がせて、またもじもじし始めた。煮え切らない態度に苛立ちが溜まっていく。

 

「何とか言えっつーの。こんな森の中まで誘い込みやがって」

 

…げっ。目に涙浮かべやがった。

 

エオリアは首を横に振るばかりだ。動作に合わせて涙がポロポロと落ちていく。その様子を見た兄貴は、俺の手を取ってエオリアから距離を取った。

 

「破竹。エオリアちゃん、大分不器用みたいだ。優しく接してあげないと」

 

「う、うぐ…」

 

「とりあえず、僕に任せて」

 

兄貴はそう言うと、エオリアの元に戻って行った。そんで暫く話してたかと思うとこっちに来て、得た情報を教えてくれた。

 

「どうやら、自分が女神である事と自分の名前以外は何も分からないらしい。だからこの森に居た理由は知らないし、ただ此処で泣いていただけで、梅乃を呼んだ訳ではないんだって」

 

「…まじかよ」

 

つっかえねー…やっぱただの迷惑なガキじゃねえか。何が女神だよ、馬鹿馬鹿しい。

 

「おい」

 

エオリアはビクッと肩を跳ねさせたけど、構わず俺は続ける。というか、構ってたら何も言えん。俺も、こいつとは違うベクトルで不器用なのかもな。

 

「お前が本当に女神だって言うんなら、女神らしい事してみろよ。例えば…俺達を家に帰すとかさ」

 

「わ、わ、わかりました…」

 

おう、まさか肯定されるとは思わんかった。どうせ無理だと思ってたし冗談のつもりだった。言うだけタダって成功するんだな。

 

「出来んの?」

 

「はい…多分…」

 

「世界一不安を煽る言葉を添えんな」

 

急に怖くなったわ。やめやめ解散。

 

「僕は、賭けてみても良いと思う」

 

「兄貴」

 

「後がないんだ。お願いしよう」

 

…………………まあ、それはそう。

 

俺は頷いて、エオリアに向き直る。

 

「じゃ、頼むわ。住所は〜…」

 

 

 

「いっでえ!?」

 

エオリアが両手をパンと合わせたかと思えば、次の瞬間家の廊下に居た。そこまでは良いとして、俺の上に梅乃が降ってきて潰されたのは解せない。隣で尻もちをついた兄貴は、状況を飲み込めてないらしくぱちぱちと瞬きするばかりだ。

 

物音を聞いたのか、リビングの方から母さんが現れる。

 

「あらおかえり、早かったわねぇ……って、靴も脱がずに何してんの」

 

「母さん…」

 

「どうかした?」

 

「本物?」

 

「偽物だったら大問題でしょ」

 

「そうだよな。じゃあさ、こいつ…見える?」

 

俺の傍をふよふよ浮いてるエオリアを指さしたら、何と理不尽な事に頭の心配をされるだけで終わった。

 

 

目を覚ました梅乃には、弁当を食べながら事情を説明した。やっぱり本当に女神様なんだぁ〜!エオリアちゃん凄いねぇ!とはしゃぐばかりだった。能天気過ぎて羨ましい。こうなりたくはねえけど。

 

…にしてもちゃっかりエオリアついて来てるじゃねえか。離れる気もないみてえだし…。

 

――――いう訳で、俺達は兄貴の部屋で今後の作戦会議をする事にした。早速梅乃が挙手したので指名してやる。

 

「大変!!あたし、全然野草図鑑作れなかった!」

 

指名しなきゃ良かった。

 

「今日はもう閉店だ。俺も兄貴も」

 

「行こうよ行こうよ行こうよ〜」

 

「っざっけんな!!どんだけお前とこいつに振り回されたと思ってんだ!!」

 

梅乃はわざとらしくエオリアに抱き着く。

 

「悪気があった訳じゃないの〜ごめんなさい〜ほらエオリアちゃんも謝ってるよ可愛いねぇ」

 

「やかましいわ!!悪気があってもなくても迷惑だったのは紛れもない事実だからな!?」

 

「まあまあ…反省してるみたいだし、そこまでにしといてあげなよ」

 

「うす」

 

…そういえば。

 

「なんでお前、母さんには見えなかったんだ?」

 

エオリアはしどろもどろで答えた。いまいち自分でも良く分かってなさそうな雰囲気だ。

 

「わたくし…見られたくないって…思ってますの…えっと…怖いので…」

 

「だからお前最初俺には見えなかったのか」

 

「あ、あう…」

 

「そんなに怖いか?ん?おい?」

 

「はちくん怖いよ〜ガン飛ばさないでよ〜小動物を追い詰める獣だよ〜」

 

梅乃がよしよしとエオリアの頭を撫でまくる。ほんとこいつ女神に懐いてんな。

 

「エオリアちゃんの気持ち次第って事は…少なくとも破竹は今、警戒されてはいないんじゃないかな」

 

「…そうなのかよ、エオリア」

 

エオリアは梅乃に抱き着かれながらこくこくと頷く。

 

「怖い…ですが…悪い人では、ないですの…」

 

「流石女神様だよぉ!はちくんの誤解されやすいポイントを的確に理解してる〜!」

 

「うるせえ梅乃」

 

「照れちゃってさぁ〜このこのぅ〜」

 

「やめ、やめろ!!脇腹触んな!!」

 

じゃれついてくる梅乃をベリッと引き剥がして、代わりにエオリアを与えたら大人しくなった。

 

「エオリアちゃんは、今日からあたしの部屋でねんねしようねぇ」

 

エオリアがぺこりと頭を下げる。女神なのに威厳無さ過ぎてどっちが偉いのか分かんねえな。

 

「めのお姉さま、よろしくお願い致しますの…」

 

「うへへ」

 

変質者みたいな笑い方すんな。いや思い返せばとっくに変質者か。

 

「…別に好きにすりゃ良いけどよ。いつまで居るつもりなんだ」

 

「そりゃ勿論一生だよぉ」

 

「お前には聞いてねえ」

 

俺はエオリアの目を見る。すぐ逸らされたけど、仕方ないのでそのまま続ける。

 

「流石に、ずっとこのままって訳にはいかねえだろ」

 

「わかって…おります…ですが…わたくし…行く宛てが…」

 

「行く宛てが無いなら作れば良い」

 

エオリアはきょとんとした目で、自分から此方を見つめてきた。

 

「誰にだって、そんなもん最初からないんだよ。自分でこうするって決めて行動しようと思って、そこからようやく行く宛てってのが出来る訳で」

 

「はちくんなんか小難しい事言ってるぅ」

 

梅乃の呻きに兄貴が口を開く。

 

「破竹は、目標を立てないと何処にも行けないって言っているんだよ」

 

「あ〜そゆことねぇ。最初からそう言ってよ〜」

 

すいませんね分かりにくくて。

 

納得したと言いたげに頷いていたかと思えば、梅乃は名案が浮かんだ時みたいにハッとした。

 

「エオリアちゃんのやりたい事、一緒に探してあげよぉ!」

 

「え?」

 

「え〜?」

 

「何でだよ」

 

「そういう流れじゃなかったの〜?」

 

「俺忙しいし」

 

「はちくん放任主義〜!」

 

言い合う俺達に、エオリアが焦った様に口を挟んできた。

 

「あ、あの…みなさまのお手を煩わせるのは…」

 

すると梅乃と兄貴は口々に言う。

 

「気にしなくて良いんだよぉ」

 

「うん。放って置けないし」

 

…………。

 

2対1……。

 

「…くそ。はいはい俺が元はと言えば提案しましたもんね責任取らせて頂きますよ」

 

「素直じゃないんだからぁ」

 

けっ。

 

「有難うございます…!えっと…めのお姉さま…あまつさま…それから…」

 

じっと俺を見て、エオリアは。

 

 

「はちくんさま」

 

 

「俺だけ何かおかしいだろ!!!!!!」

 

「まあまあまあまあ〜良いじゃん、はちくんさま(笑)」

 

「うるせえボケ!!!お前がはちくんはちくんうるせえのが原因だろ絶対!!!」

 

「破竹落ち着いて落ち着いて、どうどうどうどう…」

――――その日の夜。

 

何となく寝付けなくて、俺は勉強机に向かっていた。夜は静かで集中しやすいし…今手をつけてる小説の続きを書こうと思ったんだ。

 

…でも、鉛筆は中々動かない。やっと動いたかと思えば、書いては消し、書いては消しを繰り返して…全然進まない。

 

鉛筆をくるくる手で弄んで、原稿用紙を眺めていると。

 

「あの…」

 

「うわ!?!?」

 

唐突に隣から声を掛けられて、俺は思わず悲鳴をあげる。驚かせてきた張本人…エオリアは、ぴょんとその場で飛び跳ねた。

 

あー…び、びっくりした…心臓止まったかと思った…。鍵かけてたのにどうやって入ったんだ。いや、女神だから関係ないのか。くそ…プライバシーの侵害だ。

 

「どうしたんだよお前。梅乃の部屋で寝てたんじゃねえのかよ」

 

「えっと…物音がしたので…気になって…」

 

耳良いな。壁そんなに薄くない筈なんだが。

 

「そりゃ悪かったな」

 

…と、エオリアが机の上の原稿用紙をじーっと見つめているのに気が付く。

 

「何?興味あんの?」

 

こくこくとエオリアが頷いたので、俺は気分転換がてら話を続ける。

 

「お前、小説って知ってるか」

 

「その…知識では…一応…」

 

「じゃあ、まだ読んだ事はねぇんだな」

 

俺は本棚から父さんの本を一冊持って来て、エオリアに手渡した。

 

「それ、俺の一番好きなやつ。父さんが書いたんだ」

 

まじまじと本を裏返したり掲げてみたりしていたエオリアは、ようやく表紙を開く。それから没頭した様に、黙々と読み始めた。

 

父さんの書く小説は掴みが上手くて、目を通した人の心を離さない。展開もダレが無くて無駄を省いている。凄く読みやすいんだ。次から次へ、ページを捲る手が止まらなくなる…だから、エオリアがこうなったのも頷ける。

 

見てたら俺も何か読みたくなって、適当に選んだ一冊を開いた。

 

 

数時間後、エオリアは本を閉じながら長い感嘆の溜息を吐いた。

 

「お…面白かったです…」

 

「良かったな」

 

「こんなに小さな物なのに、世界が広がっておりました…」

 

「そうだろそうだろ」

 

興奮した様子のエオリアに、俺は嬉しくなる。一番のお気に入り…一番尊敬する人の本を、好いて貰えたんだからな。

 

…俺が目指してるのは、誰かにこんな風に笑って貰える話を書ける小説家。

 

物語は人に感動を与える。紡いだ文字が世界を生み出して人を引き込む。普通に生きてちゃ味わえない体験を、教えてくれる。

 

それを今、目の前で改めて実感した気分だった。

 

「他の本も、読んでみて良いですか?」

 

「おう。いいぜ」

 

「有難うございます…!」

 

エオリアは満面の笑みでそう言って、本棚の前に釘付けになった。かと思えば、此方に戻って来て。

 

「もしかしてなのですが、はちくんさまもお書きになられるのですか…?」

 

キラキラした目を向けられる。

 

やべ。最初にレベル高い物見せたせいで、それが基準になってそうだ。ハードルの高さを越えられる自信がねえ。

 

「ま、まあ…小説家目指してるし」

 

「凄いです!」

 

「いや…その…何個か書いたけど、まだ何の結果も出せてねえから…」

 

エオリアは首を勢い良く横に振った。

 

「書き上げているという事が、凄いです!」

 

…。

 

「…ありがと」

 

「是非見せて欲しいですの!」

 

「えー…ったく、しゃーねぇな…あんま期待すんなよな」

 

俺は勉強机の引き出しから、コンクールに提出した小説をコピーしてホチキスで留めたものや、書いたけど何処にも出してないものを、机の上に置いていった。

 

「こんなにいっぱい…!?」

 

「あー…全部数えたらどうなんだろ…」

 

思い付いたら書いてたし、相当な量なのは間違いない。エオリアは俺の小説を手に取ってにこにこと微笑んでいる。

 

「字がきれいですね」

 

「はは。汚かったら読めねえからな」

 

パソコンでも小説は書けるけど、俺は手書きが好きだった。書いてるって実感が好きなんだ。

 

…今でこそ当たり前にやってるけど、昔、綺麗な字を書けるようにってすげえ練習したんだっけ。

 

「…あの、はちくんさま…全部読んでも良いでしょうか…!」

 

「全部!?マジで言ってんのかよ!俺の読むくらいなら、そこの本棚にある父さんの本読んだ方が余っ程有意義…」

 

俺は言葉を途切れさせた。真剣そうなエオリアの目を見て、それは野暮だと思ったからだ。

 

「……感想待ってます」

 

「はい!」

 

 

 

「はちくーーーーん!!はちくーーーーん!?」

 

「…んあ?」

 

ドアの向こうから梅乃の声が聴こえて、目を覚ます。いつの間にか寝落ちしてたみたいだ。エオリアはというと、部屋の真ん中で俺の書いた小説に囲まれながら、真剣そうに原稿用紙を捲っている。

 

鍵を開けると、梅乃が部屋になだれ込んできた。エオリアを見つけた途端、ホッとしたように胸を撫で下ろす。

 

「あ〜良かったぁ〜…エオリアちゃん居たぁ…」

 

梅乃に連れ回されていたらしく、兄貴が遅れて部屋に入って来た。

 

「おはよう、破竹」

 

「はよ」

 

「はよ、じゃないよぉ!起きたらエオリアちゃん居なくて、家中探しても居なくて、すっごい心配してたんだから〜!!」

 

「探せてないのが破竹の部屋だけだったから…ごめんね、無理に起こして」

 

「おう。まさかそんな事になってるとは思ってなかった。すまん」

 

梅乃は頬をパンパンに膨らませていたかと思えば、エオリアを見て首を傾げた。

 

「エオリアちゃんは何してるの?すんごい集中してるみたいだけどぉ」

 

「…俺の書いた小説、読みたいって言ったから」

 

「それで全部読ませようとしてんの!?はちくん鬼なの!?鬼いちゃんだったの!?」

 

「違ぇわ!!あいつの希望だわ!!」

 

「なーんだ、びっくりしたぁ〜」

 

へらへらと笑って、梅乃は続ける。

 

「それならあたし宿題しようかなぁ。あまつん手伝って〜」

 

くるりと踵を返して、梅乃は兄貴を連れて部屋を出て行った。怖いくらい随分あっさり引き下がったな…何か悪い物でも食ったんか…?まあ、いいか。

 

 

俺の書いた小説を読んで、分かりやすく一喜一憂してるエオリアを眺めていたら…やっぱり物語は人に読んで貰えてなんぼなんだろうなと思った。

 

書く事自体が楽しいのは勿論だけど、自分が面白いと思って作ったそれを、誰かに読んで貰えて…面白いと思って貰えたとしたら。きっと小説を書く者として、それ以上に幸せな事は無い。

 

「…有難うな」

 

気付けば、口からそんな言葉が零れていた。

 

 

 

――――後日。

 

全部読み終えたというエオリアは、一作一作に感想をくれた。まとめて読んだのにそれが出来るって事は、しっかり読んで憶えてくれているからこそだろう。

 

…嬉しかった。

 

熱意を込めて書き上げた作品。評価はされなくても、俺にとっては時間を注ぎ込んだ大事な宝物だったから。

 

「とても優しい物語でした」

 

原稿用紙を抱き締めて、エオリアは言う。

 

「作品とは、まるで心を映す鏡のようですね」

 

「…いや、買い被りすぎだろ。俺はそんな優しくねえ」

 

「そうでしょうか…?」

 

「…………多分」

 

エオリアがふっと噴き出して笑う。つられて、俺も笑った。

 

 

最初はあんなにウザいと思ってたのに、今は全然そんな風に感じなくて。

 

――――こいつに出会えて、良かった。

 

そう思った。

Memo.3

 

夏休みも半分を過ぎた。

 

俺と兄貴はとっくに宿題終わらせたけど、梅乃はまだまだ先が長い。

 

「今日はドリル1ページやりまぁす」

 

こんなペースだからだ。

 

「やる気あんのかお前」

 

「あるからやるんでしょ〜」

 

「1ページとかナメてんだろ。兄貴がちゃんと間に合うようにってスケジュール組んでくれただろうが」

 

「従ってたら一日が宿題で終わっちゃうしぃ」

 

「そうなりたくなけりゃさっさと解け。今日の分終わるまで部屋から出んな」

 

「あ〜ん!スパルタだよぉ〜!」

 

ったくこいつは…。

 

俺は、梅乃のベッドの上でちょこんと座ってるエオリアに目をやる。じっとしてるせいか、まるで人形みたいだ。

 

「エオリア、こんな所居ても暇だろ。散歩でもしようぜ」

 

声を掛けると、エオリアは嬉しそうに頷いた。すると梅乃は椅子に座ったままバタバタと足を振る。

 

「いやぁ〜エオリアちゃん行かないでぇ〜」

 

「嫌なら早く宿題終わらせるんだな」

 

兄貴に監視を頼んで、俺はエオリアと外に出た。

 

 

並んで歩道を歩く。

 

エオリア本人が相手に望まない限り、エオリアを触る事はおろか見る事も出来ない。つまり派手で目立つエオリアが外に出ても、騒ぎにならないって事だ。

 

それが分かってからは、度々散歩に出掛けている。閉じ篭もるよりは発見があるだろうからな。一人で行くのはまだ不安らしいから、俺達の中の誰かが付き添ってるけど。

 

「雲がとっても、もくもくしてますの」

 

「おー入道雲か…もしかすっと、今日は天気荒れるんかも」

 

「は、はわわ…」

 

「怖いのか?」

 

エオリアはこくこくと勢い良く頷いた。

 

「家の中に居れば大丈夫だよ。絶対ではないけど」

 

目を丸くしたエオリアは、長い袖の中で握り拳を作り、決心したようにキリッとしてみせる。

 

「み、みなさまに何かあったら…わたくしが…!」

 

うーむ。頼りなくて微笑ましい。

 

「…お前、良い奴だな」

 

照れ臭そうに笑うエオリアに、俺も笑い返した。

 

――――そんな時。

 

 

「やぶたけぇ〜!お前一人で何喋ってんだよ〜!」

 

「しかも笑ってたぞ!気持ち悪ぃ!」

 

 

声のした方を見ると、俺の事を良く思ってないらしいクラスメイトの男子達が居た。どうやら公園でサッカーをしていたようだ。

 

エオリアが不安そうに俺を見てくる。

 

「大丈夫、無視しとけば良い」

 

「は、はい…」

 

「相手するだけ時間の無駄だ…くだらねえ。行こうぜ」

 

するとその態度が気に食わなかったのか、ぞろぞろやって来た数人に囲まれた。

 

「あんまおれらの事ナメんなよ」

 

売り言葉に買い言葉って言うけど、言われっぱなしは性に合わん。

 

「ナメてんのはお前らも同じだろ。いや、集団じゃなきゃ来れない訳だし…ビビってるの方が正しいか」

 

鼻で笑ってやると、みるみる内に顔を赤くした。図星なのが丸分かりだ。

 

「…やぶたけぇ!!」

 

胸倉を掴まれた。けど、中々殴りかかってはこない。目に迷いの色が見える。人を殴る覚悟もねえのに喧嘩を売るとはどういう了見だ。付き合ってやる価値もねぇ。

 

「どけ、馬鹿!!」

 

胸倉を掴んでた奴を突き飛ばして、違う男子が俺の顔に一発食らわせた。エオリアが悲鳴をあげる。

 

…あーあ、嫌なもの見せちまった。

 

「手出したの、そっちからだからな」

 

俺は目の前の相手の腹に、思いっきり蹴りを入れる。そいつは軽く吹っ飛んで、後ろに居た男子も巻き込んで倒れた。逃げてく仲間を横目に、リーダー格みたいな男子が何やら喚き出す。

 

「…お、お前、ムカつくんだよ!!おれは他と違いますみたいなツラして…おれらの事馬鹿にしてんだろ!!」

 

え、ええー…俺ってそんな顔してた…?

 

「別にそんな風に思ってなかったよ。今は心底軽蔑してっけど」

 

「け、けいべつ…?」

 

これだから本を読まねえお子ちゃまは困る。

 

「…馬鹿にしてるって意味」

 

「ぶっ殺す!!!」

 

で、出たー。子供ってすぐ殺すって言うよなぁ。やれるもんならやってみろってんだわ。俺より弱い癖に。

 

「…エオリア?」

 

俺は全く真に受けてなかったけど、エオリアは違ったみたいだ。血相を変えて俺の前に出る。

 

「や、やめて下さい…!殺すだなんて…!そんな事、絶対させませんの!」

 

どうやら男子達に姿を見えるようにしたらしく、奴らは唖然とした顔でエオリアを見ている。

 

「な、なんだ…こいつ…」

 

「コスプレってやつじゃね…?」

 

「いやでも、浮いてるよ…」

 

「じゃあ幽霊!?」

 

「角生えてるから鬼かも!!」

 

「…つまり化け物って事じゃん!!!!」

 

情けない事に、リーダー格以外の男子は悲鳴をあげながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 

「失礼な。エオリアは女神様だっつーの」

 

エオリアと目が合うと、困った様な笑顔が返って来た。

 

「あいつら…おれを置いて行きやがって…」

 

そうだ。口止めしとかねえと。

 

「おい」

 

リーダー格の男子に足でコンクリート塀ドンしつつ、にっこり笑顔を携えてお願いした。

 

「俺に喧嘩売るのは好きにしろ。ただ、兄貴や梅乃に手出したら許さねえ」

 

「ひ、ひぃい!!」

 

「あと今日の事は誰にも言うな。子分にも言っとけ。もし言いふらしたら…」

 

「し、しない!!しないから許してえ!!あいつらにもちゃんと言っておくからあああー!!」

 

あーらら。焦り過ぎて足もたついてズボンどころかパンツ半脱げになったまま去っていきよった。大人だったら通報されてたぞ。

 

「…台風が去ったな」

 

「迫真の笑顔でした!」

 

「マジ?おかしいなー優しい笑顔のつもりだったんだけどなー」

 

声を上げて笑い合う。

 

「…助かったよ、エオリア。あのままなら大乱闘になる所だった」

 

怪我したら心配されるし、極力手は使わないようにしてるけど万が一があったら最悪だし。

 

「はちくんさまを守れて、嬉しいですの…でも…」

 

エオリアの顔が曇る。もしかして、あいつらに言われた事気にしてんのかな…あんのクソガキ共め。

 

「別に気にする事…」

 

「痛かった、ですよね…」

 

「へっ?」

 

「えっ?」

 

あれ?違った?

 

「あの、パンチされちゃってましたから…」

 

そっちかー!!

 

「全然大丈夫だ。慣れてるし」

 

「そんなの、慣れちゃ駄目です!」

 

今にも泣きそうな顔のエオリアに、抱き締められる。

 

「…はちくんさまが痛いのは、わたくしも痛いです」

 

「それは…困るな…」

 

「はい…」

 

エオリアの背中に腕を回そうかどうか悩んでいると。

 

 

「二人で何してるの?」

 

 

「うわーーーーーーーーー!?!?!?」

 

「ひゃーーーーーーーーー!?!?!?」

 

俺とエオリアはパッと勢い良く離れた。声を掛けてきたのは兄貴だ。隣にはにまにました顔の梅乃も居る。

 

「な、何で此処に…勉強してた筈だろ…」

 

「梅乃が、外の空気吸いたいって言うからさ」

 

「で、騒がしかったから来てみたのぉ!」

 

「そんな野次馬精神捨てろ!!」

 

「んっふっふ〜でもその野次馬精神のおかげで良いもの見ちゃったぁ〜」

 

あーあーあーうぜえーーーーーーー。

 

「エオリア、こいつの記憶消せねえか?」

 

「で、出来ます!多分…」

 

他の記憶も消えそうだから、やっぱいいっす。

 

 

 

ぽつぽつと雨が降ってきたので、全員で帰宅した。玄関にある鏡で顔を見ると…よし、腫れてない。痣にもなってない。大して痛くなかったから大丈夫だろうとは思ってたけど。

 

「おかえりー。良いタイミングだったわね」

 

母さんがリビングから顔を出した時、玄関ドアの向こう側からシャワーみたいな勢いの雨の音が聞こえて来たかと思うと…雷が鳴った。

 

滑り込みセーフとはこの事か。

 

 

 

――――夜になったけど、嵐は鎮まる所か勢いを増すばかりだった。雷が落ちる度に家が少し振動して、強風で窓が音を立てる。

 

「こ、怖いですの…」

 

「分かるよ…家が壊れたらと思うと不安になる…」

 

「やだぁ〜!!雷やだぁ〜!!」

 

「お前ら…」

 

毎度毎度こうなんだよな。嵐が来ると兄貴も梅乃も俺の部屋に来る。そしてベッドを占領される。今回はエオリアも加わってますます大所帯だ。俺のベッド、壊れませんように。

 

「はちくんは何で怖くないのぉ〜!?」

 

「何でって言われてもなぁ」

 

あ、光った。

 

「ぎゃーーーーーー!!!!今絶対近くに落ちたぁーーーーーーー!!!!」

 

梅乃はエオリアと抱き合ってぷるぷる震えている。兄貴は毛布を被って丸くなってしまった。兄貴が完全防備モードに入ったら、嵐が終わるまで何があっても出て来ない。例外はあるけど。

 

「ねえねえはちくん、あれやってよぉ」

 

涙声の梅乃の言いたい事を悟り、俺はやれやれと溜息を吐く。

 

「………仕方ねえなぁ」

 

本棚から適当に一冊選んで、ベッドに腰掛けた。

 

「やったぁ!はちくんの読み聞かせだぁ!」

 

梅乃が俺の背中に体を預けてくる。昔に比べて重たくなったもんだ。エオリアは、俺の腕を遠慮がちに握ってきた。兄貴も毛布から顔だけ出して、聴く姿勢に入っている。

 

「えへへぇ。はちくんの声って、なんか落ち着くんだよねぇ」

 

「安心感があるよね」

 

「分かりますの…!」

 

なんか照れるからやめろし。

 

「…読むぞ」

 

雨音と雷鳴をBGMに、俺は表紙を開いた。

 

嵐の夜は、こうやって読み聞かせをしてんだ。ちょっと恥ずいけど、悪い気は…しない。

 

 

――――やがて、三人分の寝息が聴こえて来た。

 

俺は本を閉じて、電気を消して、起こさないようにそっと寝転ぶ。

 

「…おやすみ」

 

瞼を閉じると、雷が返事をしてくれた。

Memo.4

 

筆の調子が良い。久しぶりに書き進められている。

 

傍らにふよふよ浮かんでいるエオリアも、そんな俺を見て嬉しそうだ。

 

…だけど、何やら下が騒がしい。梅乃が俺を呼ぶ声が聞こえて来る。

 

何だろうと思いつつ、階段を下りたら。

 

そこには…半年ぶりに見る父さんが居た。

 

 

父さんはストイックであると同時にかなりアクティブで、遠出する事が多い。母さん曰く、色んな場所に行って見聞を広めて、小説に活かす為らしい。

 

そうやって旅を終えて帰って来たら、一週間くらい書斎に篭ってバーッと書き上げるんだ。いつ飯と風呂を済ませてるのか分からない。超集中とでも言うべきなのかな…正直、真似出来る気がしない。

 

書き終わったら編集の人の所に行って、その足でまた旅に出てしまう事がほとんど。

 

家に居る時間は、ほんの少し。話した事は、あまりない。

 

だから…どう接したら良いのか、戸惑う。

 

 

「お、おかえり…」

 

「ただいま。元気にしてたか」

 

「…うん」

 

俺の横を通り過ぎる時、父さんは頭をぽんと撫でてくれた。でも、それだけ。

 

「あ…」

 

書斎から、鍵を閉める音が聴こえる。

 

いつも俺もやってる事だけど…何だか、拒絶されたように感じた。

 

「はちくん、パパお土産くれたよぉ!なんか美味しそうなお菓子〜」

 

「…そか。良かったな」

 

嬉しそうな梅乃を見て、複雑な気持ちになる。

 

こいつ、これで満足なのかな。たまにしか会えないのに…ろくに話も出来ないのに。

 

「破竹…大丈夫?」

 

「おう、大丈夫」

 

何でもないのを装って、俺は踵を返す。下りて間もない階段を上っている最中…何だか足が重たかった。

 

 

すっかりやる気が削がれて、順調だった執筆を中断する。椅子に座る気力も無くベッドに仰向けになると、エオリアが心配そうに覗き込んで来た。

 

「何かあったのですか…?」

 

「んー…ちょっとな」

 

梅乃の真似をしてエオリアの頭を撫でてみると、少しだけ和んだ…けど…。

 

「今…あんまり家に居たくねぇ」

 

「それなら、お散歩しましょう!」

 

「…ん」

 

エオリアの提案に乗って、俺は支度を始める。暗くなる前には戻るつもりだけど、そんなすぐに帰りたいとは思ってないし…気が変わった時の為に、執筆道具一式は持って行こう。

 

カバンの中に原稿用紙と筆箱を入れて、俺はエオリアと廊下に出る。

 

階段を下りたら、兄貴と梅乃、母さんの楽しげな声がリビングから聴こえた。何処と無く疎外感を感じて、胸がキュッとなる。混ざろうと思えば、普通に受け入れてくれるのは分かってるけど…今は、そんな気分にもなれなくて。

 

「わっ…」

 

「おっと、すまん」

 

下を向いて歩いてたら、トイレから出てきた父さんとぶつかってしまった。

 

受身を取れなくて尻もちをついた拍子に、カバンから原稿用紙が飛び出す。ちゃんと閉めてなかったのが災いしたらしい。起き上がるより先に急いでそれを拾おうとした時…父さんが原稿用紙を見ている事に気が付いた。

 

俺が小説家を目指してる事を、父さんは知らない。

 

「破竹、これは…」

 

「あ…」

 

頭が真っ白になって、動けなくなる。父さんは固まった俺を立ち上がらせてくれた後、原稿用紙を拾い上げた。

 

「お前が書いたのか」

 

「…ち、違…兄貴が…」

 

「いやこれ、破竹の字だろう」

 

駄目だ。嘘が通用しない。

 

「………俺が、書いた」

 

正直に白状する。すると父さんは言った。

 

「読んでも良いか」

 

「…えっ」

 

まだ途中だけど、今書いてる作品は会心の出来だった。きっと俺の最高傑作になるに違いない。続きを書くのに躓いてたけど、既に書いた部分は何度も読み直して推敲を重ねてて、これ以上自分では直しようがない程だった。

――――見せるべきなのか。

 

もしかしたら褒めて貰えるかも知れない。応援してくれるかも知れない。

 

――――けど、もしも…。

 

俺の中で、期待と不安がせめぎあう。

 

 

「…破竹は、小説家を目指してるのか?」

 

 

父さんの問いに、一瞬呼吸が止まる。

 

怖くて顔を見れない。手が勝手に震える。指先が冷たくなっていく。するとエオリアが俺の手を握ってくれた。

 

少しだけ勇気が湧いて、俺は頷く。

 

「それ、まだ途中だけど…読んで良いよ」

 

声が震えそうになるのを、必死に抑えて答えた。父さんが原稿用紙に目を通し始める。不安を誤魔化したいという気持ちからか、今度は口が止まらなくなった。

 

「実は俺、父さんの作品のファンで。すげえ面白いって感動して、それから自分でもずっと書いてるんだ。もう何作書いたか分かんないくらい沢山書いた。実はコンクールにも出してるんだけど、まだ入賞すら出来てなくて」

 

「破竹」

 

俺は思わず肩をびくりと震わせた。父さんが原稿用紙を返してくる。

 

「あ、もう読めたんだ…プロは読むのも速いんだね…」

 

間が、静寂が、怖い。

 

「父さん…?」

 

呼び掛けたら、父さんは悲しそうな顔をしながら口を開いた。

 

 

「向いてない」

 

 

衝撃的な言葉が頭の中を埋め尽くす。崖から突き落とされた様な感覚を覚えて、一瞬意識が遠くなる。

 

――――紙が破れる音がした。

 

ハッとなって見ると、手が勝手に動いていた。

 

原稿用紙がただの紙切れになっていく。

 

頑張って書いた作品だったのに。

 

ひらひらと落ちたそれを踏み越えて、俺は玄関へ走る。父さんの声が聴こえたけど、構わず外へ飛び出した。

 

 

 

ひたすら走った。走って、走って、走り続けた。ショック過ぎて涙が出ない…こんなの、初めてだ。

 

宛てもないまま駆け抜ける。何処か遠くに行きたかった。とにかく遠くに。

 

「はちくんさま!!」

 

後ろからエオリアの声が聞こえて…俺は立ち止まる。

 

「…エオリア」

 

肩で息をしながら振り向くと…エオリアは、頬を濡らしていた。

 

「何で、お前が泣いてんだよ」

 

嗚咽で肩を震わせながら、エオリアは答える。

 

「あなたさまが、苦しんでいるから」

 

声をあげて涙をぽろぽろ零し始める姿を見て、思う。

 

「はは…代わりに、泣いてくれてんのかよ」

 

――――俺、こいつには勝てねえや。

 

 

 

近くにあった公園のベンチに、並んで座る。泣いているエオリアを抱き寄せて、俺はずっと黙っていた。

 

何だろう。燃え尽きた気分だ。

 

エオリアも兄貴も母さんも梅乃も褒めてくれたからって、天狗になってたんかな。いや、まあ…見せるまでもなく分かってた事だけど。俺の作品が父さんに認めて貰える訳、ないって。

 

…改めて自覚したら、段々目頭が熱くなってきた。

 

「くそ…っ…」

 

ああ、分かった。

 

――――俺、悔しいんだ。

 

鼻水を啜ると、エオリアが顔を上げて、よしよしと頭を撫でてくれた。優しくされると、余計に泣けてくる。何でだろ……これ駄目だ。止まらん。

 

カバンの中にティッシュがあったのを思い出して、ひたすら鼻をかみ続ける。涙は出るものだと諦めた。ベンチの上が丸まったティッシュでいっぱいになる。頭痛い。

 

…そんな俺に、エオリアはずっと寄り添ってくれていた。

 

 

――――夕方五時を知らせる鐘が鳴る。もうこんな時間か。軽く一時間経っててビビる。

 

すんげえ帰りにくいけど、泣いたら結構スッキリしたし…プチ家出、そろそろ終わらせねえと。

 

「エオリア」

 

泣き疲れて寝ちまったらしいエオリアに声を掛ける…が、起きそうにない。

 

俺はティッシュをゴミ箱に捨ててから、エオリアを背負った。傍から見ればエアおんぶしてるやべえ奴だけど…どうでもいいや。

 

真っ直ぐ走ったから、帰り道は分かりやすい。見知らぬ道をゆっくり歩いて行く。

 

…すると。

 

「はちくん居たーーーー!!」

 

声を張り上げる梅乃が、遠くに見えた。ぜえはあ言いながら、電話片手に駆け寄ってくる。

 

「あ、もしもしあまつん!?はちくん見つけた!今から一緒に帰る!パパとママに伝えといて!」

 

母さんから借りたらしい電話をポケットに仕舞いながら、梅乃が言う。

 

「パパが土下座して待ってるよ!早く帰ろ!」

 

「な、なんだそれ」

 

「いやほんとほんと」

 

何で父さんが土下座して待ってんだ…?

 

頭が疑問符でいっぱいになりつつ、俺は梅乃と家に向かった。

 

 

 

玄関の扉を開けると。

 

「破竹!!!!本当にすまない!!!!」

 

マジで土下座してる父さんに迎えられた。

 

「いや、ちょ、え?や、やめてよ父さん…あの…普通にして欲しい…」

 

父さんの傍らには、母さんと兄貴が立っていた。二人共、若干肩で息をしている。梅乃みたく近所中探してくれてたのかも知れない。

 

「母さん…兄貴…心配掛けてごめんなさい…」

 

兄貴は首を振って、眠ってるエオリアを引き取ってくれた。母さんは優しく抱き締めてくれる。

 

「いいのよ。ああもう、滅多に泣かないあんたがこんなに泣くなんて…」

 

俺から体を離した母さんは、履いていたスリッパを手に持って父さんの尻をスパーンと叩いた。

 

「あんた父親失格よ!!!!」

 

「本当に!!!!申し訳ない!!!!」

 

「パパ最低ー!!!!」

 

こんなにキレてる母さんもこんなに情けない父さんも、初めて見た。何て言うか、家族でも知らない事って沢山あるんだなって気がした。

 

…しれっと参加して尻叩くのやめてやれ、梅乃。

 

 

スリッパを履き直した母さんが、荒らげた息を整えてから言う。

 

「帰って早々悪いんだけど、この人と話してやってくれないかしら」

 

「父さんと?」

 

おずおずと立ち上がった父さんが心底申し訳なさそうに口を開く。

 

「誤解を解かせて欲しいんだ」

 

 

 

父さんの書斎に通される。入ったのは初めてだった。ちょっとドキドキする。

 

本がぎっしり詰まった沢山の本棚を眺めてると、父さんがリビングから椅子を一つ持って来た。父さんはそれに座って、書斎に元々あった椅子を俺に使わせてくれる。

 

二人で向かい合ったら、わざとらしい咳払いをしてから…父さんはこう言った。

 

「…小説書くの好きか」

 

「うん」

 

反射的に返す。

 

「だよな。凄く楽しんで書いたんだというのが、伝わって来た」

 

父さんは優しい声でそう言って、セロハンテープまみれの原稿用紙を手渡してきた。

 

「これ…俺の…」

 

自分で破いちまった、新作の原稿……直してくれたんだ。涙腺が緩んでるのか視界が滲む。

 

一度手放したそれをぎゅっと抱き締めて、俺は呟いた。

 

「ごめんな」

 

そんな俺を見た父さんは、膝に手を置いて項垂れた。

 

「本当にすまん…言葉が、足りなくて。……なあ、破竹。自分の作品に、自信はあるか」

 

「…うん」

 

「父さんも同じだよ。だからこそ、お前もそうなんだろうと分かった」

 

俯いたまま、話は続く。

 

「きっと、小説家になったら辛い思いをしてしまうと思って、つい…向いてないと言ってしまったんだ」

 

父さんはそこで、自嘲するように笑った。

 

「だからと言って泣かせるようじゃ、全然駄目だよな」

 

 

…俺は内心、不思議な気持ちになっていた。こんなに父さんと話した事なんて…ましてや、二人きりで面と向かって真剣な話をした事なんて、無かったから。

 

いや、俺が父さんを勝手に恐れて避けてたから…機会が無かったんだろうな。

 

 

「…父さんはこれまで、編集の人に何度もダメ出しされてきた。自分が良いと思っていたものは世間ではウケないんだという事実を幾度も突きつけられた。両手足の指で数え切れないくらい、心が折れた。頑張って考えた物語が他人の手で弄られて…それが世に出て評価されても、心から嬉しいとは思えなかった」

 

俺は、父さんの話に黙って耳を傾ける。

 

「自信があればある程、泣きたくなるくらい辛い思いをする。父さん、今までにもう何度泣いたか分からん」

 

泣くんだ…意外…いや、意外でもないか。普通に泣きそう。

 

「でもな。父さん諦めが悪かったから、辛い道でも歩き続けたんだ。そうしたら、段々と売れる作品はどういう物なのかが分かっていって…編集の人からの修正も減っていった。けどな、それは求められている物を書けるようになってきたというだけだ」

 

父さんはここで、深呼吸を一つ挟んだ。そして、俺の目を真っ直ぐに見て言う。

 

「破竹。お前は父さんに似ている」

 

「…俺が?」

 

頷いた父さんは、温かい声で続けた。

 

「負けない心、諦めない気持ち…何より自分の作品を愛する力を持っている。それは、道無き道を行ける力だ」

 

道無き、道…。

 

「父さんは、人に敷かれた道を選んでしまった。でもお前は違う。疲れたなら休んで良いし、嫌になったら諦めても良い。だから、やれる所までやってみなさい」

 

父さんは、俺の肩に手を添えて。

 

 

「頑張れ破竹。唯一無二の小説家に、お前ならなれる

 

 

――――断言してくれた。

 

「息子が自分の作品をきっかけに同じ道を進もうと思ってくれていたなんて、こんなに誇らしい事はないよ」

 

感極まった俺は、思わず父さんに抱き着いた。ガタイのいい方では無いからちょっと危なっかしかったけど、ちゃんと受け止めてくれた。

暫く抱き合った後、父さんがふと口を開いた。

 

「…そういえば破竹。父さんの作品の中で一番好きなのって、何だ?」

 

俺のお気に入り。ずっと前から決まっていた。

 

タイトルを伝えたら、父さんは本当に嬉しそうに、声をあげて笑った。

 

「それ、ヤケクソになった父さんが編集の言葉を押し退けて書きたい物を書いた時のやつだ!」

 

 

 

書斎から出た後、久し振りに…本当に久し振りに、家族全員で夕飯を食べた。

 

目を覚ましていたエオリアは、俺の傍で嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 

――――翌朝。

 

「夏休みで良かった…」

 

洗面所の鏡には、知らない人間が映っていた。

 

「あっはー!!ま、まぶ、瞼っ!!ハチに刺されたみたいになってるぅ!!まさにハチくん!!」

 

「お前も仲間にしてやろうか」

 

笑い転げてヒーヒー言ってる梅乃を、兄貴がたしなめてくれる。

 

「こら、梅乃」

 

「ご、ごめ……ブフッ!!」

 

完全にツボってやがる。こりゃ顔が戻るまでは見せらんねえな。

 

「はちくんさま、わたくしもお揃いですの」

 

同じく瞼を腫らしてるエオリアが、何故か嬉しそうにそう言ってきた。

 

「可愛い顔が台無しだな」

 

「顔のせいでかっこいい台詞台無しだよぉ」

 

腹立ったから梅乃を羽交い締めにしてると、父さんがリビングから出て来た。

 

「おはよう。朝から元気だなぁ」

 

朝食を食べ終わったらしく、書斎に入って行く。

 

――――鍵がかかる音はしなかった。

 

この時は偶然かと思ったけど…作品を書き終えて家を出るまでの間、父さんは一度も書斎の鍵を閉めなかった。

Memo.5

 

――――夏休みも残りわずか。

 

そんなある日、梅乃の絶叫が家に響き渡る。

 

いつもの事だとスルーして執筆していたら、兄貴を連行しながら梅乃が部屋にやって来た。

 

「大変だよ、はちくん!!」

 

「はいはい」

 

「ちょっとぉ!真面目に聞いてよぉ!」

 

俺はくるっと椅子を回転させて、梅乃に体を向ける。そしたら梅乃は一冊のノートを差し出してきた。

 

「見てこれぇ」

 

中をパラパラ捲ってみたけど、ごく普通の何の変哲もない真っ白な未使用ノートだった。

 

「…これが何だよ」

 

「あたしの野草図鑑」

 

……………………察し。

 

「すっかり忘れてたの!!今すぐ山行くからついて来て!!」

 

「もう適当に粘土こねくり回す自由工作の方にしとけよ」

 

「やだぁ」

 

「俺はそうしたぞ」

 

「手抜きの極みぃ」

 

「手抜けるものの手抜いて何が悪い」

 

「…もー!とにかく来て!やるって決めたからには、やるの!」

 

 

 

夏休み初日以来の山に、今回はエオリアも一緒にやって来た。

 

エオリアにとっちゃ里帰りになるんだろうか。分からんけど。

 

梅乃があーだこーだ言いつつ草をスケッチしているのを、三人で遠目から見守る。

 

「草なんて全部一緒に見えるけどな」

 

持って来たメモ帳に小説のアイデアを書き出しながら、俺は呟く。

 

「ふふ、そんな事ないよ」

 

「みなさま個性がありますの」

 

「そんなもんかねぇ…」

 

アイドルグループのメンバーの顔は一見同じに見えるけど、よく見れば全然違うのと同じ原理なんかな。

 

「…ん?」

 

てくてくと梅乃が歩いて来る。

 

「虫にでも刺されたか」

 

「そんなのいちいち報告しに来ないよぉ!重大な事に気付いたんですぅ!」

 

「どうしたの?」

 

兄貴が促すと、梅乃は言った。

 

「あたし、草の名前分かんないから図鑑に出来ないんだぁ」

 

じゃあそれ、ただのスケッチブックじゃん。

 

「帰ろぉ」

 

ひゃー無理だと分かった途端に切り替え早いなこいつ。出かける前の自分の発言忘れてそー。

 

 

 

――――帰宅早々。梅乃は俺のアドバイス通り粘土での自由工作に切り替える事にしたらしく、こう言った。

 

「二人共、粘土ちょーだい」

持ってねえのかよ。何処までも他力本願ならぬ兄貴本願な妹だな。

 

「…良いけど、ちょっとしか残ってねえぞ」

 

「僕もあんまり残ってないや」

 

「何とかやってみるから大丈夫!」

 

こいつの大丈夫は世界一信用ならねえ。

 

 

梅乃に粘土をケースごと渡した後、俺は机に向かう。

 

…そんな時、ふと思い出した。

 

「そうだ」

 

傍らに居るエオリアが首を傾げる。俺は訊ねた。

 

「お前、目標見つかったのか?」

 

以前に比べて随分しっかり話す様になってきたし、そろそろ目標の方も立てたのかなーって軽い気持ちで聞いたんだけど…エオリアは沈黙を続けている。ので、俺は付け加える。

 

「まあ、ゆっくり考えりゃ良いと思ってるけどさ。一応聞いてみようと思って」

 

「…はちくんさま」

 

「おう」

 

「目標の前に、聞いて欲しい事がありますの」

 

何やら神妙な顔付きだ。俺が頷くと、エオリアは語り始めた。

 

「実は先日…わたくしが生まれた時の事を、思い出したのです」

 

 

 

わたくしは、真っ白な…本当に真っ白な、何も無い場所へ生まれ落ちました。

 

分かったのは自分が女神であるという事と…エオリアという名前だけ。

 

何も無い白の世界で、独りぼっちで…寂しくて。わたくしはずっと泣いていました。

 

 

…ある日、白の世界に亀裂が入りました。亀裂の向こう側は真っ暗で、自分の姿すら見えなくなりそうでした。

 

怖くて踏み出せずに居ると、黒の世界で…青い光が瞬いたのです。

 

あまりに眩しくて、わたくしは思わず目を瞑りました。

 

そうして…再び瞼を開いた時。気が付けば、この世界の…あの山に居たのです。

 

あの時は、理由が分かりませんでした。

 

 

「だけど今は、分かる気がしますの」

 

エオリアは微笑む。

 

「きっと…あなたさまに出会う為だった」

 

余りにも純粋で、綺麗な…一点の曇りもない瞳。

 

「俺に…」

 

「はい」

 

いや、ズルいな。そんな事言われて喜ばねえ奴いないだろ。

 

「だからわたくし、目標が出来ましたの」

 

エオリアが、俺の手を取る。振り払うという選択肢は無かった。だって、俺は。

 

「ずっとあなたさまの傍に居たい。だから、わたくしの行く宛てに…居場所になって欲しいのです」

 

どんどん赤くなっていくのが分かって、思わず手で顔を隠す。

 

「それって…その…つまり…」

 

「愛の告白じゃ〜ん!!」

 

梅乃が部屋になだれ込んでくる。兄貴が後ろであーあと言いたげな顔をしていた。

 

「何で邪魔しちゃうの、梅乃…」

 

「ごめん!!テンション上がっちゃって!!」

 

ずるずると兄貴に引きずられて梅乃が退場していく。なんか、だいぶ逞しくなって来たな兄貴。

 

 

 

俺はまた妨害が入らないように部屋の鍵を閉めて、聞き耳を立てられても大丈夫なようにドアから一番遠い位置にあるベッドへエオリアを連れて移動した。

 

「え、えーと…返事、良いか」

 

頬を赤く染めたエオリアがこくこくと頷く。

 

くそ…梅乃が愛の告白とか言いやがったせいでどうしても意識しちまう…けどエオリアは相当恥ずかしいのを我慢して伝えてくれた筈だ。

だから覚悟決める。

 

本音を、伝える。

 

「…俺も、お前と一緒に居たい」

 

エオリアは目を少し見開いたかと思えば、瞼を閉じてぽろぽろと涙を流した。そんなエオリアを抱き寄せ、俺は続ける。

 

「好きだ」

 

エオリアは俺の背中に腕を回す。

 

「わたくしも、大好きです…!」

 

 

 

廊下に出ると、下の階から梅乃の声が聴こえて来た。

 

「ママ〜お赤飯炊いて〜」

 

あいつ……。

 

「はちくんさま」

 

「ん?」

 

まだほんのり頬に熱を帯びたエオリアに声を掛けられる。

 

「実は、読んでみたいお話があるのです。もし、良かったらなのですが…」

 

「リクエストか!受け付けてねえけど…良いぜ、お前は特別な」

 

ぱぁっと嬉しそうな笑顔を咲かせたかと思うと、エオリアはこそこそと耳打ちしてきた。

 

「マジで?」

 

「はい!」

 

「…仕方ねえなぁ」

 

照れ臭いけど、たまにはそんな作品を書くのもありだろう。

 

俺は早速机に向かう。

 

原稿用紙を用意して、鉛筆を握る。

 

そうだな…タイトルは――――――――…

Monolog

 

製本された本達が並ぶ、まるで夢のような場所…。

図書館に赴いたわたくしは、人々を眺めていました。

ああ、この方が読んでいるのは…わたくしの良く知っている著者の本。

あちらの方が読んでいるのも、そう。

わたくしは、思わず笑みを溢しました。

 

実感したからです。

――――愛するあの人の夢は、今も叶い続けているのだと。

 

懐から、原稿用紙を取り出します。

 

とっても有名な人気作家さまの、何処にも出版されていない…世界で一つだけの宝物。

 

――――わたくしの大切な、記憶。

 

手書きの文字で綴られた文章に目を通せば、あの頃の思い出が鮮やかに蘇ってきます。

 

 

「お姉ちゃん」

女の子に呼ばれて、わたくしは笑顔で応えます。小さな子どもの中には、たまに、わたくしが見える子が居るのです。

「これ読んで欲しいの~」

無垢な瞳で差し出された本は、児童向けの本でした。

​「まあ、懐かしい」

 

それは、わたくしが初めて読んだ本。あの人が、一番のお気に入りだと言っていた本。

 

快く受け取り、わたくしは読み聞かせを始めます。

さあ、伝えましょう。

心弾む物語を――――――――…

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