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​Introduction

​Memory.1

​Interlude.1

​Memory.2

​Interlude.2

​Memory.3

​Interlude.3

​Memory.4

​Memory.5

Interlude.5

​Ending

※クリックで該当する話へジャンプします※

​Introduction

 

「ぼくと、マブダチになって下さい!」

 

 

たまたま見かけた哀れな少女に、気紛れで願いを叶えてあげると言った。誤算だったのは、まさかそんな事を言われるとは思っていなかった事だ。

 

初めてだった。途方も無い程長い時間を生きていて、ボク自身を求められたのは。

 

嫌悪され、憎悪され、殺意を抱かれるのは日常茶飯事。だけどこんなに純粋な眼差しで、好意を向けられた事は無かった。ましてやマブダチなんて…呆気に取られてしまう。

 

しかしボクはどんな願いでも叶えてきた。実現不可能な事は無かった。だから、とびきりの笑顔で宣言した。

 

 

「いいとも!今からキミとボクはマブダチだ!」

 

 

…とは言ったけど、どうしたものだろうか。マブダチなんて宣言しただけでなれるものじゃない。友達とは違うんだから、それでは願いを叶えたとは言えない。

 

ボクは嬉しそうに瞳を輝かせる少女を前に、内心頭を抱えた。

 

――――予期せぬ手探りの日々が、幕を開ける。

Memory.1

 

学校に着いたら、まず内履きに履き替える。

 

多分、大多数の人間はそうします。ぼくは違います。履いてきたブーツのままで問題ありません。ぼくの下駄箱は、もはや飾りでしかないのですから。

 

廊下を歩いて教室を目指します。

 

すれ違った先生に、ぼくはおはようございますと言いました。ちゃんと大きな声で言ったけど、返事はありませんでした。

 

教室に着きました。ドアを開けて足を踏み入れると同時に、元気にご挨拶をします。

 

「みなさま!おはようなのです!」

 

ザワザワしていた教室が、急に静かになりました。しんとした空間で、ぼくは熱烈な視線を受けます。でも、誰からもおはようは返って来ません。

 

自分の席に向かったら机の上に花瓶が置いてあって、そこに白い菊の花がありました。

 

 

椅子に座った瞬間、チャイムが鳴りました。先生が入って来ます。セーフセーフ。危うく遅刻する所でした。

 

先生は淡々と出席を取り始めます。

 

 

ぼくの名前は呼ばれませんでした。それを指摘してくれる人も居ません。

 

――――そう。

 

ぼくは、生徒からも先生からも無視されています。ただ一人を除いて。

 

 

「レン」

 

 

ぼくの名前を呼んでくれる、ぼくだけのお友達。

 

「はい!!」

 

勢い良く手を挙げます。

 

「いつも元気だねぇ」

 

大好きなめがみさまは、教壇の机に腰掛けながら、優しく微笑んでくれました。

 

 

 

ぼくの名前はハイドレンジア。

 

12歳。女の子。中学1年生。誕生日は6月19日。血液型はA型。身長は143cm。体重は…秘密です。

 

両親はいません。

 

お父さんはぼくが小学生の頃に家を出て行きました。暫くして、お母さんは首を吊って死にました。

 

ぼくはおじいちゃんにもおばあちゃんにも親戚の人にも誰にも頼れませんでした。お母さんは不幸を呼ぶ女と言われていたからです。絶対に関わってはいけないのだと。だからお母さんとぼくは、親族と縁を切られていました。

 

お母さんが死んで間もない頃、お父さんも自殺したそうなので、身寄りのないぼくは教会が経営する孤児院で暮らす事になりました。

 

けど歳の近い子が居なくて、どうにも馴染めませんでした。それに、シスターはぼくがぼくって言うのを辞めさせようとしました。将来困る事になりますよ、女の子なのだから私と言いましょうね…って。

 

 

窮屈でした。自分らしく生きたいだけなのに、それが許されない事が。

 

 

孤児院に居場所がないまま、ぼくは春から最寄りの中学校に通う事になりました。

 

楽しみでした。

 

小学生の頃は、親がヤバいという噂のせいでみんなぼくを避けていたので。親が親なら子も子なんてこじつけ甚だしいのです。ぼくはぼくなのに。

 

…だから楽しみでした。

 

新しい学校で気の合う友達を作って、一人ぼっちを卒業すれば…きっと幸せになれる。そう信じていました。

 

――――信じて、いたのに。

 

 

朝礼が終わったので、ぼくはめがみさまと教室を出ます。図書室で本を読む為です。小学校と比べて規模が全然違って、目が眩む程に蔵書があります。しかも全部タダ。読まなきゃ損です。

 

授業前の変な時間に来たけど、カウンターに居る人には叱られません。ぼくはお気に入りのシリーズの本を手に取って、窓際の読書スペースに移動しました。

 

穏やかな天気。ぽかぽかした日差しが心地良いです。

 

「サボり魔レンちゃん。今日も授業受けないのかい?」

 

「お勉強楽しくないのです!」

 

興味の無い物語の考察をするのも、数字と睨めっこするのも、小難しい単語を覚えるのも、遠い昔の事を学ぶのも、普段使いもしない言語を喋るのも、体を動かすのも、ぼくは好きじゃありません。

 

「ま、レンが勉強した所で…ねぇ」

 

「ですです。なので好きな事を好きなだけやるのです」

 

「あはは!それには同感〜」

 

二人で笑い合います。

 

めがみさまは、ぼくを否定しない。

 

だからぼくも、めがみさまを否定しない。

 

こんなに幸せな事が、他にあるでしょうか。 

 

 

何度目かのチャイムが鳴りました。気付けば、辺りは夕焼けに染まっていました。

 

ぼくは、向かいの席で居眠りしているめがみさまのおでこにある角をつんつんします。水で出来た角はぷよぷよしていて触ると面白いです。

 

「めがみさまー起きてー」

 

「うーん…あと5分…いや、あと1万年…」

 

「長過ぎなのです!目覚ましアターック!」

 

ぼくは持っていた本でめがみさまの後頭部をぱかーんと叩きます。

 

「ちょ、おま!?ほんっと遠慮ないなぁ!!」

 

「だってぼく達マブダチだもんっ」

 

「マブダチは寝てるマブダチの頭を本で思いっきり叩かないと思うんだよねぇ!?」

 

「えへへ。ごめんねめがみさま」

 

頭をなでなでしてあげたら、めがみさまはやれやれと溜息を吐きました。

 

「ところでさぁ。そろそろ女神様ってのやめない?ボクはちゃんとあだ名で呼んでるんだし」

 

「でもめがみさまはめがみさまなのですよ?」

 

「い、いや…そうなんだけど。そうなんだけどそうじゃなくて…」

 

長いツインテールのひと房を指でくるくるしながら、めがみさまは拗ねた様に言いました。

 

「女神様はあだ名ではなくない?っていうか…ボクにはイオニアという名前があるっていうか…」

 

「じゃあ、レンにちなんでオニはどうですか」

 

「どうしてあえてそこを切り取ったんだよ」

 

「おにっ」

 

「可愛く言っても駄目!!やだ!!却下!!」

 

「ちっ…」

 

結局、めがみさまで良いって事になりました。

 

 

ぼくとめがみさまは、夕日が照らす屋上に向かいました。

 

「めがみさま」

 

「なんだい」

 

フェンスの向こうに広がる景色を目に映しながら、けれどそれを認識はせずにぼんやりしながら、ぼくはぽつりと言いました。

 

「何処にも行かないで欲しいのです」

 

めがみさまは困った様に黙ってしまいました。そして、暫くしてから質問してきました。

 

「どうしてだい?」

 

「独りぼっちは寂しいからです」

 

「そうかー。ボクは独りでも寂しいと思った事ないなぁ。気楽だし、自由だし、楽しいとは思うけど」

 

でもね、とめがみさまは続けました。

 

「レンの気持ちを、否定するつもりはないよ」

 

「ありがとなのです、めがみさま。ぼくも…一人で居るのは嫌いではないです。無視されるのも慣れましたし、めがみさまの言う通り気楽で自由で楽しいです。だけど、ずっとずっと…独りなのは…」

 

めがみさまはそっとぼくの肩を抱きました。

 

「何処にも行かないよ。ボクはキミの傍に居る。キミの未練が無くなるまで…キミの最期を見届けるまで」

 

 

 

入学式の日。友達作りに胸を躍らせ、張り切って孤児院を飛び出して、学校に向かっている最中。

 

ぼくは事故に遭いました。

 

歩行者信号が青になった途端、横断歩道を駆け抜けようとした時です。信号無視をして高速で突っ込んできた大型トラックに、ぼくが勝てる筈はありませんでした。全身骨折。内臓破裂。為す術なく即死です。

 

 

だけどぼくは此処に居ます。

 

体は壊れたけど、心は壊れなかった。自分の人生を諦められなかった。これからだって思ってたのに。これから幸せになるんだって思ってたのに。理不尽に未来を奪われたのに。

 

まあいっかで、終われる訳ないじゃないですか。

 

でも…何とかこの世界に残る事は出来たけど、ぼくは目的を果たせずに居ました。みんな、ぼくの姿が見えないからです。

 

一言も言葉を交わせなかったクラスメイト。出来るかも知れなかった友達。目の前に可能性が広がっているのに、ぼくはその可能性を何一つ拾えない。拾いたくても拾えない。もどかしさと辛さで胸が張り裂けそうでした。

 

――――ああ、ぼくは死んだまま生き続けるんだ。永遠に独りぼっちで。

 

そんな気持ちを抱えながら、めげずに学校に通い続けました。自分の部屋は知らない子の部屋になっていたので、孤児院に隣接している教会のお祈りの部屋で夜を過ごしていました。

 

折れそうになる心を強く持つ為、毎晩神様にお祈りしました。するとある日、めがみさまが現れたのです。

 

「キミの願いを一つだけ叶えてあげる」

 

そう言ってくれためがみさまは、月明かりに照らされたステンドグラスを背にしていて、凄く綺麗で。生き返らせて下さいって言えば良かったのに、考える前に口が動いてしまったのです。

 

「ぼくと、マブダチになって下さい!」

 

って。

 

 

 

「いやでも、ほんっとレンは凄いよねぇ。あそこでマブダチになって下さいとか普通なら言わないでしょ…ふふ、あははは!」

 

「だ、だってだって!めがみさますっごく綺麗だったのです!お友達になりたいって思ったのです!」

 

「はいはい、有難うね」

 

めがみさまは目元の涙を拭いながら、ぼくの頭をぽんぽんと撫でました。

 

「もし生き返りたいって言われてたら、今頃ボクは此処に居なかったなぁ。確実に」

 

「あ、危なかったのです…!!」

 

「なんでさー。ボク一人とマブダチになるより、生き返って色んな友達作った方が良かったかもよ?」

 

「いじわる言わないで下さいっ!」

 

ぷくっと頬を膨らませると、めがみさまはごめんごめんと軽いノリで謝ってきました。全くもう。

 

「ぼくは、めがみさまと一緒が良いのですよ」

 

「うん」

 

「ずっと…ずっと一緒が良いのです」

 

そっと抱き着いたら、めがみさまは腕をぎこちなくぼくの背中に回しました。

 

「えー…っと…ごめんよ。長く生きてるけど、こんな事やった経験がなくって勝手が分からないんだ」

 

「嬉しいのです」

 

「下手くそなのが良いのかい!?変わった趣味だな!」

 

「ぼくにしかしないのが、って意味ですよ」

 

「あ、あぁ〜…そ、そういう…成程ねぇ…」

――――ぼくは幸せ者です。

でも、どうして?

 

どうして成仏出来ないんだろう。夢は叶ってる筈なのに。

 

めがみさまと一緒に居たいから、なのかな。

 

このままめがみさまと過ごしたら、何か分かるのかな。

 

「ごめんね、めがみさま」

 

「え?何が?」

 

「んーん。何でもないのです」

 

ごめんね、めがみさま。もうちょっと、ぼくの傍に居てね。

​Interlude.1

 

良い感じにマブダチをやれてるんじゃないだろうか…と思う。

 

ただ、レンの願いを完璧に叶えたと断言出来るかと問われたら、何とも言えない。

 

――――分からないからだ。

 

マブダチというのが何なのか、友達とはどう違うのか、明確な判断材料がない。

 

表面上滅茶苦茶仲が良いように見えたらマブダチなのか?

自称すればマブダチになるのか?

盲目的に相手を好いて悪い所が見えなくなればマブダチになるのか?

 

どれも違う気がする。

 

上辺だけの関係は中身が空っぽだし、言うだけならタダだし、都合の悪い事から目を逸らすのはある意味幸せだけど目が覚めたら終わりだろう。

 

 

好感度を上げるだけなら簡単なんだけどなぁ。ボクは相手の全てを視て知る事が出来るから、欲しい言葉を与え、やって欲しい行動を取り、逆に地雷になるような事は避けられる。それだけで相手にとって都合のいい存在になれるし、警戒は解かれたも同然になる。

 

好かれるのは容易い。

 

ただ、片方の好感度が高いだけではマブダチになれたとは言えないだろう。

 

 

難題だ。

 

玩具として気に入る事はあれど、誰かを好きになった事の無いボクには。

Memory.2

 

――――今日ぼくは、死んでて良かったと思いました。

 

というのも暫くの間、体育の授業で……スポーツテストを実施するとの事!!

 

あー。シンプルに地獄で身の毛がよだつのですー。

 

「命拾いしました」

 

「命拾えてはないな」

 

めがみさまは呆れ顔で的確にツッコんだ後、なんとまあ信じられないような事を言いました。

 

「スポーツテスト、そんなに嫌かい?面白そうだけど」

 

「傍から見てる分には愉快でしょうからそういう意味では同意ですが自分がやるとなったら話は変わるのです!!!」

 

「何気に性格悪いよなキミ」

 

「てへぺろ!」

 

「誤魔化すんじゃな……うわわわベタベタ引っ付くなー!?」

 

「よいではないかーよいではないかー」

 

「でぇーい!成敗っ!」

 

「んぐぅ!?」

 

頭にチョップ食らっちまったので、ぼくは渋々めがみさまから離れます。

 

それにしてもスポーツテスト……くっ…忌々しい記憶が蘇るのですよ…。

 

 

そう、あれは小学生の頃。

 

ぼくは運動が得意ではないので、どれをやっても散々な結果でした。真面目にやっているのに、先生にはふざけてないで頑張りなさいと怒られる始末でした。こちとら必死に頑張ってんですよ頑張ってる人間に頑張れとか言うんじゃねえですよと耳元で叫んでやりたかったものです。

 

友達が居ないので人数的に余った子と組まされるのが普通でしたが、お相手は嫌そうな顔を隠そうともしないし口は聞いてくれないし終いには友達の所に行ってお喋りする始末でした。放置されたのを逆手にとってぼくが測定をサボろうとすると、何故かそこだけはしっかり見ていて先生に告げ口するのです。小学生とはいえ侮れないのです。恐ろしい生き物なのです。

 

ちなみに仮病で休もうとしてもシスターも保健室の先生も目ざといのと厳しいのとで許してくれませんでしたとさ。

 

 

胸糞悪い回想を終えた時、体育館という名の拷問部屋でテストが始まりました。おおー。タイミングばっちり。

 

「さあさあ、高みの見物するですよ!」

 

物理的にも精神的にも。なんちゃって。

 

「レン」

 

「なんですか?」

 

「レンもやろうよ」

 

レンモヤロウヨ?

 

「いや、ちょ、え?どゆことなのです?」

 

「レンもスポーツテストやって」

 

?????????????????

 

「頭が理解を拒んでるのでとりあえず答えはノーでお願いするのです!」

 

「まあまあそう言わずに」

 

「や"ー"な"の"て"す"!"!"!"」

 

ぼくは地面に寝っ転がって頭と腕と足をぶるんぶるん振り回して駄々を捏ねました。ついでに胴体はバウンドさせました。

 

「おま、パンツ見えとるパンツ!!」

 

「テスト回避出来るならパンツの一枚や二枚安いもんなのです!!!さあさあご覧下さいなのです!!!」

 

「パンツ鑑賞好きの変態みたいに扱うんじゃないよ!!ボクは変質者ではありません!!中学生にもなってみっともない事してないで早く立ちなさい!!」

 

「断固拒否なのです!!!」

 

「…やれやれ」

 

お。諦めてくれましたかね。

 

「平凡な生徒のテスト眺めるよりレンがやってる所見た方が楽しそうだから、やって欲しかったのになぁ」

 

え…。

 

「でも、嫌なんだったら仕方ないよね…」

 

う…うう…!マブダチが…めがみさまがぼくに期待してくれているっていうのに…ぼ、ぼくは…ぼくは…。

 

「さ、二人で見学しようか」

 

「やっぱりやるのです!!!」

 

ぼくの宣言に、しゅんとしていためがみさまは目を丸くして、たちまち笑顔になりました。

 

んーーーーーーーーーーー………

 

――――もしかして嵌められました?

 

 

「まずは長座体前屈だってさ」

 

ぎええ〜!!体の柔らかさを測定するやつ〜!!

 

めがみさまは測定に使うダンボールみたいなやつを何も無い所からポンと生み出して、地べたに座るようぼくを促しました。

 

「はーい、壁に背中付けてー」

 

「押忍…」

 

「レンは雌では。まあいいや、チャンスは2回だからね」

 

ちくしょう…ちくしょう…逃げられねえのです…自分からやると言った以上やるしかねえのです…乙女に二言はないのです…!!

 

数回深呼吸した後、ぼくは意を決して測定のダンボールに手を添えました。

 

「う、うおおおおおおおおー!!!!!」

 

当たって砕けろなのですー!!!この場合伸ばして千切れろの方が正しいかもですがー!!!

 

「勇ましい雄叫びに反して微動だにしてないけど大丈夫?」

 

「んな事ないのです…ふんぬぬぬぬぬぬ…!!」

 

こんなに頑張ってるのに1ミリも倒れないなんて有り得ないのです。何かの冗談なのです。気持ち的には記録100メートルいってるのです。

 

…まじで動かないなこの体ァ!!

 

気を取り直して二回目に挑戦しましたが、結果は変わりませんでした。めがみさまが批判して来ない事にほっとしたのも束の間。

 

「えー、記録0センチ…っと」

 

無慈悲に現実を突き付けられました。哀れみの篭った視線は何と言うか軽蔑とかじゃなくて心底同情してるとしか思えません……あ、笑いかけられました。完全に気を遣われてるのです。これはいかん。

 

「めがみさま…他のやつならいける気がするのです…!!」

 

はい嘘でーす。いけない気しかしないのでーす。

 

内心ヤケクソのぼくに、めがみさまはにっこり微笑んで言いました。

 

「よし頑張れ!次は上体起こしらしいよ!」

 

聞かなかった事にしたいなぁ。

 

 

 

「30秒間かつ測定は1回だけだってさ。バシッと決めちゃおう」

 

「よぉし、1秒で10回いきますよ〜」

 

「その意気だ!目指せ300回!」

 

無理無理無理無理。そんなの出来るとしたらそいつは化け物なのです。ぼくはか弱い乙女なのです。

 

うじうじしていると、めがみさまは寝転んだぼくの足をがっしり抱いて支えながら、励ましの言葉を掛け続けてくれました。

 

卑屈な心にじんわり染み渡ります。罵声なら山程浴びてきましたが、応援はされた経験がありませんでしたから。

 

「頑張れ頑張れ!レンなら出来る!」

 

「えへへ」

 

「ギネスに載れる!」

 

「えへへ………んえ?」

 

「人類史に名を刻める!」

 

「いやいやいやいや上体起こしで教科書の登場人物になるのはちょっとかなりとてもすごく遠慮したいのですが!?」

 

スケールが広がり続けるエールに思わず突っ込んだ時、笛の音が聴こえました。測定と言う名の修羅が幕を開ける合図です。

 

っす――――――――………っしゃぁ。ここらで一発かましますか。

 

「ふぬぁーーーーーーーー!!!!!!」

 

「凄いよレン!!止まってるように見えるよ!!」

 

残念ながら速過ぎて残像すら見えないのではなく停止しているだけなのです。悲しきかな。

 

「はあ…はあ…はあ…!」

 

腹筋が異常を訴えてプルプル震えています。息が切れて死にそうなのです。誰か…助けて…くれ………。

 

「レン、頑張れ!頑張れー!」

 

諦めそうになったけど、めがみさまの声が真っ直ぐ届いて、ぼくの背中を押しました。頑張れって言われるの、好きじゃなかった筈なのに…どうして。

 

「め”か”み”さ”ま”……」

 

「徐々に上がって来てるよ!」

 

めがみさまの顔が近付いて…いや、近付いてるのはぼくの方か…頭がくらくらするのです…視界がぼやけてきたのです…でも…あと……少し…………

 

――――笛が鳴りました。永遠のように長く感じた30秒が終わりを迎えたのです。

 

そしてぼくは。

 

「お、起き上がってる…」

 

「そうだよ!レン!やり遂げたんだよキミは!」

 

めがみさまはぼくの肩を両手で掴んで、爽やかな笑顔を浮かべていました。ぼくはようやく理解しました。

 

初めて上体起こし成功したのです!!!!

 

たかが1回、されど1回。他人が鼻で笑うような記録だとしても、ぼくにとっては大快挙なのです。

 

「やったー!!やったー!!」

 

「胴上げだー!」

 

「一人で胴上げは難易度高いのでは!?」

 

「大丈夫だ問題ない!それぇー!」

 

「わーい!!めがみさま力持ちー!!わーい!!」

 

そんな楽しい時間も奇跡も都合良く続かず。

 

日を跨いで行われたその他の測定の結果は――――

 

ボール投げ→後ろにしか飛ばなかったので記録マイナス。

立ち幅跳び→同上。

反復横跳び→何故か無限に同じ方向に跳び続けてしまい記録無し。

50m走→1km走ったのかと思われるようなタイム。

シャトルラン→開始直後に何も無い所にも関わらず躓き顔から地面に突っ込み記録0回。

握力→赤子以下。

 

「レン…」

 

めがみさまは、俯きながらぷるぷると震えています。

 

怒ってる?泣いてる?どっち?

 

期待してくれてたのに応えられなかったから、きっと不快にさせちゃったんだ。

 

ああ…ぼくは…本当に駄目駄目なのです…。

 

「最っっっっっっ高に面白かったんだけど!!!」

「あるぇーーーーーー!?!?!?」

 

ガバッと上げられた顔には、ぼくの予想を180度裏切る満面の笑みがありました。

 

「滅茶苦茶笑ったよこの数日の間!腹筋がいくつあっても足りないや!」

 

「めがみさま…」

 

「もーいっそシックスパック目指しちゃう!?なんてねー!可愛くないから却下ー!」

 

けらけら楽しそうにしているめがみさまを見て、ぼくはつい。

 

「う…ううう…」

 

安心して泣いてしまいました。するとめがみさまはぎょっとして、困った様にわたわたし始めました。

 

「ど、どしたどした!?情緒不安定か!?レンが泣いてると違和感凄くて嫌だな!?だから…えーっと…とにかく!泣くな!レンには笑顔がお似合いだ!」

 

めがみさまなりの不器用な優しさが嬉しくて、ぼくはぽろぽろ涙を零しながらも笑ってみせました。

 

「うっわ涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってる!!汚い!!」

 

「良い雰囲気だったのに台無しなのです!!」

 

「あはは!こういうのむず痒いんだもーん」

 

へらへらしつつも、めがみさまはぼくの目元を拭ってくれます。ぼくがいつも前髪で隠している、左目の方も。

 

めがみさまは怪訝そうに首を傾げました。

 

「レン…この目、何があったんだい」

 

「気持ち悪いですよね。見ない方が良いのですよ」

 

「んな事言ってないだろ!まあ、答えたくないなら別に良いんだけど。どうせ視れば分かるし」

 

「プライバシーの侵害なのです!」

 

「女神なので無効でーす!」

 

…もう。

 

 

ぼくの左目は、焦点が合いません。

 

お母さんとお父さんが喧嘩していた時。殴られそうになったお母さんを、ぼくは咄嗟に庇いました。そしたら、お父さんの握り拳がぼくの左目に当たってしまったのです。

 

怪我をしてから左目の視力が落ちてしまって、いつの間にか斜視になっていました。眼帯を付けたら怪我人感丸出しで何か嫌だったので、オシャレを兼ねて前髪で隠すようになりました。まあ、その結果ますます悪化したんですけど。

 

殴られた日を境に、お父さんとは心の距離が出来てしまいました。いつも申し訳無さそうで、一歩どころか十歩くらい下がってるみたいでした。喧嘩の理由は分かりませんが、穏やかなお父さんが怒った上にお母さんに手を挙げたのは、後にも先にもあの一回でした。

 

もしぼくが止めに入らなかったら、どうなっていたんだろう。

――――そして、斜視になってからクラスメイトはますますぼくを避けました。

 

「怖い」「移ったら大変」「きも」「近付かないでくれる」「こっち見ないでよ」

 

「化け物」

 

 

「レン」

 

めがみさまに呼ばれて、ぼくは我に帰ります。

 

「その目は、キミの勇気の証だ」

 

わざと伸ばした長い前髪を、そっとぼくの耳にかけ。めがみさまは、優しく微笑んでくれました。

 

ぼくの左目から視線を逸らさずに。

 

「頑張ったね」

 

…ああ。

 

ぼくはずっと、誰かにそう言って欲しかったのかもしれません。頑張れじゃなくて、頑張ったねと。

 

だってもう、いっぱい…いっぱい、頑張ったから。

 

また泣き出したぼくを、めがみさまは抱き締めてくれました。

 

お母さんと違って、ひんやり冷たい。でも、とても温かい。

 

ぼくが泣き止むまで、めがみさまはずっと、頭を撫でてくれました。

Interlude.2

 

人の不幸は蜜の味。

 

泣き顔は最高のエンターテインメント。

 

なのに、レンが泣いているとすぐに泣き止ませたくなった。

 

どうして。

 

 

――――そういえば、以前会ったアンドロイドと刀は、自分達の事をマブダチだと言ってたっけ。

 

一緒に居た期間はかなり短かった筈なのに、良い意味で互いに気を遣う様子が無かった。言葉はストレートなのに相手を思いやっていないという訳ではなく、相手を知り信頼しているからこその発言だったように思える。

 

マブダチとは、支え合い、必要とし、互いを大切に想い合う関係…なのだろうか。

 

誰も必要として来なかった。支え合う相手なんて居なかった。大切な誰かも居なかった。

 

そんなボクが、レンとマブダチになれるのかな。

Memory.3

 

さあ、今日も元気良く登校です。

 

「みなさまー!おはようなのですー!」

 

ドアを勢い良くバーン!からの教室中シーン…。ちょっと癖になりつつあります。

 

教壇に腰掛けながらヒラヒラと手を振ってくるめがみさまに、ぼくはとことこ近寄りました。そこでふと、黒板に書かれた日付が目に入って…そういえばと思い出します。

 

「めがみさま!」

 

「ん〜?」

 

 

「今日、ぼくの誕生日なのです!!」

 

 

テンションアゲアゲなぼくと対照的に、めがみさまは冷静に顎に手を添えました。

 

「死んでる場合って歳取った事になるの?」

 

「マジレス」

 

「いや、そこんとこどーなのかなーって」

 

「前例がないので第一号のぼくが今決めます決めましたつべこべ言わずに祝いましょう」

 

「祝って欲しがりさんめ」

 

教壇から勢いをつけて身を離しためがみさまは、そうと決まればとぼくに言いました。

 

「誕プレ、何が欲しい?」

 

誕生日プレゼント、略して誕プレ!年に一度のお楽しみ……とはいえ、どうしよう。死んでる今は欲しい物がないのです。

 

「えーっと…」

 

そうだ、誕生日といえば!

 

「ケーキ……ケーキが食べたいのです!」

 

「ふふん、お易い御用さ」

 

めがみさまは片腕をぐるぐる回して、気合十分といった様子。ぼくの為に張り切ってくれてるの、嬉しいな。

 

…あっ。

 

「めがみさま、お願いがあるのですよ」

 

「リクエストかい?歳の数だけ重ねたケーキにしようかと思ってたんだけど」

 

「ニュアンスほぼ同じなのにスケール違い過ぎて節分の時に豆食べるやつがめっちゃ可愛く思えるのです」

 

でもあれはあれで地味にキツイんですよね…ってそうじゃなくて!

 

「あのですね、いつもみたいにポンって出すんじゃなくて…めがみさまの手作りのケーキが食べたいのです!」

 

 

誕生日はいつも、お母さんとぼくの二人でパーティをしました。お父さんはお仕事が忙しくて中々家に帰って来れなかったので、代わりに電話でおめでとうを言ってくれました。

 

お父さんが用意してくれていた誕プレをお母さんから受け取って、お母さんが歌ってくれるハッピーバースデーの歌をプレゼントを抱きながら聴いて、お母さんの手作りケーキを食べて…。

 

生まれてきて良かったなって思える、優しい時間でした。温かくて、幸せな日でした。そして、それが当たり前だと思っていたのが、どれだけ愚かだったのかを思い知りました。

 

お父さんもお母さんも居なくなって、孤児院に来てからは子供が沢山いるから経費を考えるとパーティなんて出来ないって言われて、友達もいなくて、いつしかぼくは誰にも祝われなくなったからです。

 

――――寂しかった。誰にも必要とされていないという事実を押し付けられるようで。

 

…だけど今年は違います。めがみさまが居てくれる。絶対、素敵な誕生日になるに違いないのです。

 

 

「て、手作りぃ〜!?」

 

「駄目ですか?」

 

ぼくが秘技・うるうる上目遣い攻撃を繰り出すと、めがみさまは目を固く瞑ってツインテールを両手で軽く振り回しながら唸りました。The・苦悶の表情って感じです。

 

「なんでそんなわざわざ面倒な事を…」

 

「手作りっていうのがミソなのです!」

 

「え、ケーキに味噌入れろって!?味噌ケーキとか初めて聞いたわ…もしかしなくても味覚ぶっ壊れてんの?」

 

「ちーがーうーのーでーすー!!!」

 

「だああああーー!!!冗談だって!!!ごめんって!!!」

 

縄を振り回すカウボーイみたいにめがみさまのツインテールをぶん回したら速攻謝ってくれました。てへ。

 

「仕方ないなぁ。我儘なマブダチの為に、パティシエールになってあげるよ」

 

やったー!!

 

 

家庭科室に向かっている最中、めがみさまが訊ねてきました。

 

「レン、どんなケーキがいい?」

 

「そうですねえ…」

 

ケーキといえば…もう二度と食べられない、お母さんが作ってくれたケーキを真っ先に思い出します。

 

二人で食べ切れるこじんまりとしたサイズ。ちょっと焦げているスポンジがぼそぼそした生クリームで覆われていて、小さくて酸っぱいイチゴが歳の数分乗っているのです。

 

これがいいと詳細を伝えたら、めがみさまは驚いていました。

 

「クソマズそうだけど良いのかい?」

 

「うん!思い出の味なのです」

 

「り、了解…にしても完璧な女神様であるボクにあえて失敗作を所望するとは…」

 

レンと居ると飽きないよ。という呟きを、ぼくは聴き逃しませんでした。思わず笑みが零れます。

 

 

ぼくたちは、丁度空いていた家庭科室に侵入しました。

 

「んじゃ早速、材料を出しまして」

 

ぽいぽいと必要な物を作っためがみさまは、いつも付けているアームカバーを外しながら辺りを見渡しています。

 

「道具はもう揃ってるみたいだね。感心感心」

 

「家庭科室の名は伊達じゃないのです!」

 

「なんでレンが得意気なんだか」

 

やれやれと肩を竦めてから、めがみさまは調理を開始しました。

 

 

――――す…凄い!瞬く間にケーキが出来ていきます!

 

「スポンジを無駄に長く焼く!」

 

焦げ茶色のスポンジの上にー!

 

「生クリームは猛烈に混ぜる!!」

 

ぼっそぼそのクリームを塗りたくってー!!

 

「酸っぱいイチゴを13個乗せる!!!」

 

完成なのですー!!!

 

なんという事でしょう。驚きの神業、もとい女神業。熟練の職人もびっくりの速度で作ってくれました。

 

「終わった後に言うのもなんだけど…まじでいいのかこんなんで」

 

「はい!流石めがみさまなのです!再現度エグいのです!」

 

「嬉しいような嬉しくないような…なんだこの複雑な感情は…」

 

 

めがみさまはケーキにロウソクを立てて、火を灯してくれました。それからこほんと咳払いをした後、照れ臭そうにハッピーバースデーの歌を歌ってくれました。

 

ぼくがふーっとロウソクの火を吹き消すと、めがみさまはパチパチと拍手しながら言います。

 

「レン、誕生日おめでとう」

 

「有難うなのです!」

 

満開の笑顔で応えたら、めがみさまはフォークを手渡してきました。

 

「それ全部食べていいよ」

 

なんですと!小さいとはいえ、ホールケーキを一人で食べるなんて…夢みたいなのです!

 

――――でも。

 

「一緒に食べる方が楽しいのですよ!半分こしましょう!」

 

「全力で遠慮しますぅー!そんな不味そうな物食べたくないですぅー!」

 

「まあまあまあ」

 

「もがぁーーー!?!?」

 

無理やりお口にケーキを突っ込んであげました。めがみさまってば照れ屋さんなんだから〜。

 

「お味はどうですか?」

 

渋々といった様子で咀嚼しているめがみさまに訊ねた後、ぼくもケーキを頬張りました。うーん、この美味しいとはお世辞にも言えない味…懐かしいのです…。

 

「想像してたよりは食えなくもないかな…ま、このボクが作ったんだから当然だけど…」

 

めがみさまはそう言って、今度は自分からケーキを口に運びました。

 

「…ボクさ。誰かの誕生日祝うなんて初めてだよ」

 

「そうなんですか!?めがみさまもぼっち仲間だったんですね!」

 

「やかましいわ!!ボクはぼっちじゃなくて一匹狼なの!!」

 

「物は言いようなのでs…もごー!?」

 

へへ。ケーキ突っ込まれたのです。

 

「つまり光栄に思えって事」

 

「わー光栄なのですー」

 

「棒読みかよ!」

 

「光栄!!!!なのです!!!!」

 

「ボリューム上げりゃいいってもんじゃなーい!!!」

 

二人で笑い合った後、ぼくは言いました。

 

「そういえばめがみさまのお誕生日は?」

 

「ボクの?」

 

「はい!お祝いして貰ったお返しをしたいのです!」

 

「それはいい心がけだなぁ」

 

「じゃあ…」

 

教えてと続けようとしたけど、めがみさまの言葉に遮られてしまいました。

 

「残念だけど、分からないんだよね」

 

「ど、どゆことなのですか」

 

めがみさまは片肘をついて、フォークをペン回しの要領で器用に弄びながら、何でもないように続けます。

 

「そのまんまの意味。ボク、気付いたら生まれてたの」

 

「えっと…じゃあ、お母さんもお父さんも居ないのです…?」

 

「そだよ」

 

あっけからんと答えられて返答に困っていると、めがみさまは続けました。

 

「ボクはね、真っ暗な闇の中に生まれたんだ。自分の姿すら見えないような、まるで深海みたいな場所に」

 

お母さんも居ない。お父さんも居ない。一人ぼっちで暗闇に居るなんて…そんなの、ぼくは耐えられない。

「怖くありませんでしたか…?」

 

「怖くはなかったよ。でも、何も無い場所だからつまんなくてね」

 

めがみさまは立ち上がって、窓に向かいました。そして窓を開けてから躊躇なく窓枠に腰掛けると、外に投げ出した足をぶらぶらさせながら言います。

 

「だから世界を創った」

 

ぼくはめがみさまの近くに歩み寄りました。

 

「此処だけじゃない。ボクは沢山の世界を創ったんだ。暇潰しの為に」

 

ぼくが住んでいる世界以外にも、もっともっと…色んな世界が。途方もなくて、想像したら頭がパンクしてしまいそうです。でも、これだけは分かります。

 

「ぼく達が出会えたのは、奇跡なのですね」

 

「なんだよ唐突に」

 

だってそうでしょう。星の数より多い人が生きている中、どんな世界にだって行けるめがみさまが、この世界に来て、ぼくという故人もとい個人に出会う。仮にぼくがどんなに計算が得意だったとしても、きっとその確率は出せないと思うのです。だから。

 

「めがみさまとマブダチになれて…良かった」

 

ぼくは、心の底から安堵しました。

 

めがみさまに見つけて貰えなかったら。

めがみさまとマブダチになれなかったら。

 

ぼくもめがみさまも、永遠に独りぼっちだったから。

 

「レン」

 

「なんですか?」

 

「これあげる」

 

そう言ってめがみさまが手渡してきたのは、一枚の画用紙でした。そこに描かれていたのは…

 

「ぼく…?」

 

――――ぼくの似顔絵だったのです。

 

「ケーキは誕プレって感じしないしさ。いらなかったら捨てていいよ」

 

顔を背けてそう言っためがみさまの、素直じゃない所が愛おしくて。ぼくは、座っているめがみさまの腰に抱きつきました。

 

「捨てる訳ないじゃないですか…有難うなのですよ」

 

写真みたいに描かれた似顔絵は、笑顔を浮かべていました。これがめがみさまのぼくへのイメージなのだと思うと、もっともっと笑顔で居ようと思えました。何よりも嬉しかったのは、端っこの方に書かれた小さな文字。

 

――――『マブダチ』

 

「大事にするのです。似顔絵も、めがみさまの事も」

 

めがみさまは、返事の代わりなのか、ぼくの頭をぽんぽんと撫でました。顔を上げると、めがみさまは優しく微笑んでいました。嬉しくなって、ぼくは笑顔を返します。

 

…あ!良い事を思いついてしまったのです!ぼく天才かもしれないのです!

 

「めがみさま!誕生日がないのなら、ぼくと同じ日にしませんか!」

 

「へ?」

 

「そしたら一緒にお祝い出来るのです!」

 

「いやそんな無茶苦茶な…」

 

あれれ!?不発!?

 

「…まあ、いいけど」

 

いいんかい!!わーい!!

 

「お誕生日おめでとうなのですめがみさま!」

 

「ありがとー」

 

「今からお誕生日会リターンズやるのです!もっかいお祝いするですよ!」

 

「マジでぇ~?」

 

「マジマジのマジなのですー!」

 

ぐいぐいとめがみさまの腕を引っ張って、ぼくは食べ終わったケーキのお皿があるテーブルに戻ります。

 

「さあ!ワンモアケーキ!」

 

「祝われる側が作るのおかしいだろ!?今度はまともなやつにするからな!?」

「ばっちこーい!!」

 

――――ああ、やっぱり誕生日は素敵な日。幸せな日、なのです。

​Interlude.3

 

ボクは、信用させて信頼させて裏切って相手が絶望する様を見るのが好きだ。

おだてて調子に乗らせて蹴落とすのが好きだ。

 

苦痛に歪む表情は、幸福に満たされた表情の後に見る事でより魅力を増す。所謂ギャップというやつ。

 

だからとても楽しみだった。

 

レンの願いを叶えた後、彼女を突き放したなら…きっと極上の絶望を魅せてくれる。

 

 

……そんな風に考えていた事もあった。

 

 

今は違う。何故か、レンにだけは不幸を望む気にならなかったんだ。

 

 

初めての事だった。誰かの誕生日を祝うのは勿論、強引に誕生日を作られて祝われるのも。

 

それから、一日の中でこんなにケーキを食べたのも初めてだったし、めっちゃ音痴なハッピーバースデーの歌を贈られたのも初めてだったし、似顔絵を描かれたのも初めてだった。

 

 

レンが描いてくれたボクを見る。

 

幼稚園児並の拙い絵。デカデカと書かれた歪な『マブダチ』という文字。

 

うっかり下手くそと言った時、顔を真っ赤にしてぷりぷり怒ってたっけ。あれは面白かったなぁ。

 

 

こんなに温かな気持ちになるなんて、らしくない。

 

――――どうしちゃったんだろう、ボクは。

Memory.4

 

ぼくは意気揚々と学校に向かっていました。

 

うーん、良い天気!梅雨がすっかり明けて、夏到来って感じです。

 

 

「レン、おはよー」

 

「おはようなのです!めがみさま!」

 

いつも通り教室に入ったぼくですが、実はここに来るまでに違和感がありました。

 

「あれ?やっぱり誰も居ない…」

 

そう。いつも賑やかな筈の教室に、クラスメイトの姿がないのです。他のクラスも同じ感じでしたし、学校全体が静まり返っていて…。

 

「そらそうだよ。だって夏休み期間中だもん」

 

「んな!?」

 

聞いてないのです!!

 

「昨日ホームルームで担任の先生が言ってたじゃん」

 

聞いてなかったのです!!

 

「あーあーその顔…案の定だわー。どうせレンの事だからと思って、今日も此処で待ってたんだ」

 

「流石マブダチ!お見通しって訳ですね!」

 

「読みやすいんだよキミが」

 

てへぺろ。

 

 

…夏休みといえば。

 

大量の宿題を放置して、最終日に慌てて答えを見ながら丸写ししてたっけ。提出するまで先生にしつこく早く出しなさいって言われるので勉強は嫌いですが頑張ってました。出す事だけは。自由研究は粘土を適当にこねくり回して3分で造形した物を提出して終わらせました。

 

よくある里帰りというイベントはお母さん共々親族と縁が切られているぼくには無縁でしたし、ずっと家の中に居るのは気が滅入るので学校の図書室に日が暮れるまで篭っていました。楽しい時間だったけど毎日同じ事の繰り返しなので、絵日記にはループ物みたいに同じ事を書いてました。お父さんが居た時はたまにお出かけとか出来たんですが、離婚後はそうもいかず。ちなみに夏休みは毎食菓子パン。不味くはないんですけど流石に飽きてくるので無性に給食が恋しくなりました。

 

あとクラスメイトの顔を拝まなくていいのは気が楽でしたね。まあ罵声を浴びせられる以外は基本的に無視されてたのである意味自由でしたし、授業は気が向いた時だけ参加して9割くらい図書室で本の虫になってたので、大したメリットとも言えないんですけど。

 

 

不登校にならなかったのは、学校に行った方が家でぼーっとするよりも暇潰しになったのと、なんだかんだぼくは学校に行くのが好きだったからです。お母さんは薬を飲んで寝るを繰り返す人だったので、家に居てもご飯は出てこないし何より話し相手が居ないんですよね。それを言ったら学校にも話し相手は居ませんが、本はいっぱいあるし給食は美味しいし、家に居るよりはマシでした。

 

お母さんの事は好きでしたが、当時未熟なぼくは自分第一でした。お母さんを一人にしてしまったのは、思い返せば完全にぼくの落ち度です。

 

 

お母さんは生活能力に乏しく、収入はなく、心の病気に罹っていて、頼れる親族は居ない人でした。けれどお父さんは離婚を選びました。親友の連帯保証人になったが為に、多額の借金を背負ってしまったからです。ぼく達に迷惑を掛けないようにと、お父さんは家を出て行きました。

 

離婚後は生活保護を受けて、ぼくの養育費はお父さんが借金の返済の傍ら払ってくれて、それで何とか生活出来ていました。だけどそれはある時ぱったり止まってしまいました。お父さんが勤めていた会社が倒産したのです。転職活動は芳しくなく、お父さんは養育費どころではなくなってしまいました。ぼくとお母さんの生活は、日に日に苦しくなっていきました。

 

その結果、離婚してから半年が経った真夏のある日。お母さんは自殺しました。

 

遺書にはこうありました。

 

『沢山の人に迷惑を掛ける人生でした。関わった方の不幸は全て私のせいです。きっと私が生きている事で今後も誰かが不幸になってしまうでしょう。私の傍に居てくれるレンも、もしかしたら…。それだけは避けなくてはいけません。こんな命で償い切れないのは承知の上ですが、私に出来る事はこれしかありませんでした』

 

『レン、生まれて来てくれて有難う。せっかく選んでくれたのに、こんなお母さんでごめんね。どうか貴方は幸せになってね』

 

 

…ぼくがもっとしっかりしていれば。

 

 

――――いや、不毛な考えはよさないと。

 

終わった事、起きてしまった事は変えられない。過去には戻れない。今を生きるしかない。既に死んでしまっているぼくが言っても、皮肉にしかならないけれど――――…

 

 

「レンー?レンってばー」

 

「…おっと!どうしました?」

 

「聞いてなかったんかい!!」

 

痛くないぺちぺちとした往復ビンタをされながら、ぼくは平謝りしました。誠意が伝わったのか、めがみさまは改めて言い直してくれます。

 

「夏休み、どうやって過ごすのさ?」

 

「えー…」

 

「何その微妙な反応。いつもどうしてた訳」

 

「図書室で本読んでました」

 

「それだけ!?」

 

ぼくが頷くと、信じられないといった様子でめがみさまは目を丸くします。

 

「…よし、質問を変えようか。レンはボクと何をしたい?」

 

え、何を……あ、そうか。一人じゃないなら、本を読む以外の選択肢が増えるのか。

 

「こら!まーたフリーズして!」

 

行きたい場所…あります。一つだけ。

 

「レン?」

 

 

「ぼく、海に行きたいです」

 

 

「お。良いセンスしてんじゃん」

 

めがみさまは何故か嬉しそうに、にっと笑いました。そして、手を差し出して続けます。

 

「早速行こうか」

 

 

 

「う…」

 

「う?」

 

「海なのですーーーー!!!!!」

 

海に向かって大声を出したら、めがみさまはガニ股になって砂浜の上にひっくり返りました。

 

「なんつー声量…」

 

ぷぷっ!耳を抑えてぴくぴくしてるのです。めがみさまのお耳は長いので、音が聞こえやすいのかもしれないですね。せっかくだしついでにパンツでも見ようと思って移動したら、嫌な気配を察したらしいめがみさまはガバッと起き上がりやがりました。

 

惜しい。もうちょっとで見えたのに。

 

めがみさまは体に付いた砂を払いながら、不満そうに言います。

 

「全くもう!鼓膜破れたかと思ったじゃんよ!」

 

「破れるまで試してみますか?」

 

「馬鹿なのか!?!?」

 

「馬でも鹿でもないのです!!!」

 

「こ、この屁理屈幽霊め…」

 

肩を竦めためがみさまは、海に視線をやりました。ぼくもめがみさまの隣に座って、同じ方向を見つめます。

 

地平線の向こうまで、青が続いています。空と海はすっごく離れている筈なのに、こうして見ると境目が分からなくなって、何だか面白いです。

 

ぼーっと静かにしていたら、風が波の音を運んできてくれて…ううむ、和む。雄大で力強い音にも、優しく包み込む穏やかな音にも聴こえます。海って不思議。自分がちっぽけに思えてきますね。実際そうなんですが。

 

「どう?海」

 

「最高なのです…」

 

「ふふん、そうだろ?此処は穴場だから、尚更さ」

 

この浜辺は、夏休みシーズンにも関わらず、ぼくらの他に誰も居ません。まるでプライベートビーチなのです。

 

「…ボク、海が好きなんだ」

 

「そうなのですか」

 

「うん。度々足を運んじゃうんだよね」

 

「良い所ですもんねぇ…」

 

目を閉じて、潮の香りを楽しみながらぼくは言います。めがみさまは満足そうに微笑んで、伸びをしました。

 

「そういや、此処でぼんやりしてたら云百年経ってた事あるよ」

 

「暇を持て余し過ぎでは!?」

 

「あはっ!実際暇だもーん!」

 

まあ、オールウェイズ暇でしょうとも。

 

「…今は、暇じゃないけど」

 

めがみさまはそう呟きながら立ち上がり、海に向かって砂の上を歩いて行きます。いつもふわふわ浮いてるのに、わざわざ地に足をつけているのが珍しくて。めがみさまの裸足を真似て、ぼくはブーツと靴下を脱いで、後を追い掛けました。

 

「あちっ!あちちっ!」

 

砂の上あっついのです!!は!?キレそう!!熱した鉄板と同義なのです!!でもこの感触ちょっと癖になる!!

 

「何やってんのー」

 

髪を靡かせながら振り向いためがみさまが、くすくすと呆れた様に笑っています。

 

「火傷しそうなのです!!めがみさまは熱くないんですか!?」

 

「ぜーんぜん?」

 

「嘘だぁ〜!?」

 

えーん!めがみさまはとっくに辿り着いて海水に足を浸してパシャパシャやってるのに、ぼくはまだ砂地獄に囚われてるのですー!

 

「早くおいでー」

 

「進んでるのに離れていってる気分なのです!!」

 

「なーにそれー砂漠のオアシスかよー」

 

けらけら笑っていたかと思うと、めがみさまは仕方ないなあとこっちに歩いて来てくれました。へへ。何だかんだで優しいのです。

 

 

めがみさまの助けを借りて、ぼくは無事海に辿り着きました。めがみさまがくれた水着を着て、浮き輪でぷかぷか浮かびます。

 

「ひゃ〜!冷たくて気持ち良いのです!」

 

ひんやり快適!めがみさまが浮き輪に取り付けてある紐を持ってくれているので、流される心配はありません。存分に満喫出来ます。

 

「はしゃぎ過ぎて浮き輪からすっぽ抜けないようにね〜」

 

「子供じゃないんだから大丈夫ですよぉ!」

 

そんな事ある訳!しかも幽霊が溺れるなんて…ないない!えへへ!ばしゃばしゃ!じたばた!わーい!

 

「あばばぶくぶくぶく……」

 

んぁあれれるぅえーーーーーーーー!?浮き輪吹っ飛んでったのですがーーーーーーーー!?溺れおぼっ溺れてますなのですんぎゃあぁぁぁあ!?!?

 

「レンー」

 

「ぼぼぼ!?」

 

「足伸ばしてみなー」

 

足をっっっ!!伸ばすっっっ!!

 

「あのね、此処ボクの腰までもない浅瀬だからね」

 

「立てました」

 

「運動音痴って浅瀬でも溺れるんだ〜」

 

「腹も立ちました」

 

むくれるぼくの膨れたほっぺをつんつん突きながら、めがみさまは腹を抱えて笑っていました。

 

 

この後はスイカ割りをしました。めがみさまがわざとぼくを変な所に誘導したり、ぼくが誘導した時はめがみさまが目隠しに穴を開けてたり、色々滅茶苦茶で面白かったです。

 

海を眺めながら二玉分のスイカを平らげるチャレンジの最中、めがみさまは言いました。

 

「ところでさ。レンは、何で海に来たかったの?」

 

「え?」

 

「真っ先に行きたいと思った場所だったんでしょ?何か理由があったんじゃないの?」

 

ぼくは返事の代わりにスイカにかぶりつきます。そしたら、うっかり種を飲んでしまいました。

 

「レン…飲んだね?」

 

「へ?」

 

「スイカの種を飲んだら、お腹の中でスイカが育つんだよ」

 

真顔で嘘ついたですよこのめがみ。

 

「へへーん!騙されませんよ!」

 

「なーんだ知ってたかー」

 

「だって昔、お父さんが同じ事言って…」

 

 

――――ぼくが、本当に小さかった頃。幼稚園に行ってなかった時の事。

 

一度、家族三人で海に来たのです。

 

あの頃はまだお母さんが比較的元気だった気がします。正直記憶が曖昧で朧気なので、どうして海に来たかまでは覚えていません。ただ、凄く遠出をしたのだけは分かります。ぼくが住んでいた場所は、所謂内陸だったので。

 

楽しかったからまた来たいと思ったのか、と言われたら…実はそうではありません。

 

水着の中に砂が入り込んで不快だったのと、スイカを食べた時にお父さんが言った冗談で大号泣したのは覚えてるんですが、それ以外は覚えてないのです。人間の記憶って皮肉ですね。嫌な事はしっかり刻み込まれてる。

 

…だから。

 

 

「ぼくが海に来たいと思ったのは、良い思い出に塗り替えたいと思ったからなのです」

 

「えらく前向きな回答が来たな」

 

「えへへ」

 

「でもそれって遠回しに海ディスってるよね」

 

「ち、違…くはないし誤解でもないのです!!」

 

「お前〜!!」

 

めがみさまはスイカの種をぷぷぷっとマシンガンみたいに飛ばしてきました。

 

「うわーん!!きちゃないのですー!!」

 

「神聖な女神のタネマシンガンが汚い訳ないだるぉ!?有難く受け止めろや!!」

 

「やなのですぅー!仕返ししちゃるのですぅー!」

 

「やーい下手くそぉー!」

 

「ぐぬぬー!!」

 

 

――――遊び倒してすっかり辺りが暗くなりました。そろそろ今日は帰るんだろうなと、ぼくは月明かりに照らされた海を見つめていました。

 

昼間とは打って変わって、真っ黒に見える海。綺麗だった青が、今は見えません。夜の闇に溶け込んだせいか、全てを飲み込むような雰囲気を醸し出しています。でも不思議と怖くはなくて。めがみさまの瞳に似てるからかな。

 

「レンー」

 

「はいなのです!」

 

「線香花火しようぜ」

 

「わあ!良いですね!やりましょう!」

お母さんが好きで、昔よく一緒にやったっけ。ぼくはじっとするのが苦手だったので、勝負したらいつも負けましたけど…それも良い思い出です。

めがみさまに手渡された線香花火の束から一つ抜いて、ぼくはしゃがみます。点火待ちの姿勢。めがみさまは正面で胡座をかいています。おっさんみたいでちょっと面白いです。

 

「じゃ、やりますか〜」

 

「せっかくなので勝負しましょ!」

 

「いいよん」

 

「やった!先に落ちた方が負けですからね!」

 

「あーいよ」

 

ふっふっふ。きっとめがみさまは誰かと線香花火勝負なんてした事無い筈!めがみさまには悪いけど、ここは経験者のぼくが圧勝ですかね〜!

 

 

惨敗しました。

 

 

「次は花火大会行くかー」

 

「どかんとあがるやつですか?」

 

「そうそう。自分でやろうと思えば造作もないけど、人間が作ったものを見るのも一興かなって」

 

「行きたい行きたい!」

 

「決まりだね」

 

線香花火のささやか感や手のひらに収まるような可愛らしさも好きですが、空一面を覆う大きな花火も圧巻で好きです。うるさいから耳塞がないと見れないけど。

 

 

片付けが終わって、いよいよ帰る雰囲気になった時。

 

めがみさまはノートみたいなものをポンと作り出して、それをぼくに握らせながら言いました。

 

「ボクからの宿題」

 

驚いて言葉も出ないぼくに、めがみさまは微笑みます。

 

「この絵日記を、楽しい思い出で埋める事。ちなみに拒否権はないからなー」

 

「めがみさま…」

 

感動のあまり思わず泣きそうになってしまったけど、心配は掛けたくなかったので、グッと堪えて…ぼくはおどけてみせました。

 

「し、死んでも宿題があるなんて〜!」

 

「あはは!甘いよレン!」

 

――――ああ。こんな毎日が続くなら、ずっと夏休みだったらいいのに。

 

 

教会に帰って、ぼくはめがみさまに貰ったクレヨンを使って、早速宿題に取り掛かりました。ステンドグラスから差し込む光を明かりにして、その下に座り込んで…。

 

『今日は、マブダチと海に行きました――――……

Interlude.4

 

夏休み最終日が終わった翌日。登校して来たレンから、絵日記を受け取った。

 

字も絵も安定に汚くて、小学生の方がまだマシなんじゃないかと思える。ただ、解読した文字から得られる内容に被りは無かったし、絵日記に描かれたボクやレンらしき物体の表情は全部笑顔だった。

 

理想通りで、ボクは大層満足した。お互い充実した夏を過ごせたって事だ。実際レンは『こんなに夏休みが楽しいなんて思わなかったのです!』と笑っていた。

 

 

…多分、ボクとレンは、本当の意味でもうマブダチだろう。

 

つまり、レンの願いを叶えたという事になる。それなら、もう一緒に居る必要は無い。ボクはレンの願いを叶える為に傍に居たのだから。

 

――――でも、どうしてだろう。

 

今日もいつもの場所で、ボクはレンが来るのを待ってしまっている。

Memory.5

 

「うっひゃ〜!賑わってる!」

 

今日は文化祭。学校の門をくぐった途端、別世界が広がっていました。風船もあるし、飾り付けがモリモリでカラフルで、楽しいが爆発しています。学校ってテーマパークでしたっけ?

 

ステージでは何やらテレビの番組みたいにマイクを持った人達がわいわいやってるし、屋台も沢山あるし、外部からも人が来ていて…な、なんだこりゃー!!

 

最近学校中で物作りが流行ってるなーとは思ってましたが、まさかこんな事になろうとは。

 

 

とにかく、まずはめがみさまと合流ですね。

 

という事で人混みを掻き分け(幽霊だから避ける必要は別に無いんですが人と重なるのが嫌なのです)、何とか自分のクラスに辿り着きました。しかしぼくは教室の前で立ち尽くします。

 

なんということでしょう。ぼくのクラスが…

 

 

「お化け屋敷…ですと…」

 

 

きゃーきゃー言いながら入っていく女子生徒達が居たので、開いたドアの隙間から一瞬だけ中の様子を伺いましたが…暗過ぎて何も見えませんでした。

 

――――嘘でしょ。ぼくこの中に入らないといけないんですか。

 

い、嫌だぁぁ…!!ホラーは専門外なんですよぉ!!昔一度だけお化け屋敷に行った事がありますが、怖くて通路でうずくまってしまった時に、係の人が声を掛けてくれたんです。でも…でも!!その人が真っ白なムンクの叫びみたいなお面を付けてて!!暗闇の中でそのお面だけがぼうっ…と浮かんでて!!それが怖くて怖くてそれ以来完全にトラウマに!!

 

とはいえ…いつも通りならめがみさまは教室の中に居る筈。こんな場所で一人にさせる訳にはいかないのです。迎えに行かなきゃ。

 

意を決して、ぼくは教室に入りました。

 

 

ひ、ひぃっ!!なんでこんなに寒いんですか!?誰ですかエアコンの温度最低まで下げたのは!!しかもカーテンを真っ黒な物に変えたらしく、光が入らない様に工夫を凝らしやがったおかげで何も見えません。廊下と接している窓も黒いボードみたいなもので遮光されています。おのれ…余計な努力を…!!

 

「め、めがみさまぁ…居るなら返事してなのです…」

 

いつもならポンと出てくる大声量が、今回ばかりは仕事してくれません。ひぃ…ひぃ…。

 

どうやらダンボールで通路が作られていて、それに沿って先に進む仕組みっぽいです。これなら暗くても迷子にはなりませんね。ご丁寧にどうもなのです。わははは。ちくしょう。

 

おどろおどろしい人形やお墓から全力で目を逸らし、恐る恐る前に進みます。ぼくはみんなには見えないから、驚かされる心配はありません。そこだけは安心です。もしそんな事されようものなら心臓が口から飛び出て死にま…

 

「きゃあああああぁーーーーー!!!!!」

 

ひぃいいいいいいいい!?!?!?!?

 

遠くから聞こえた誰かの悲鳴のせいで、ぼくはその場にへなへなと座り込んでしまいました。しかも迫り来るようにドンドンドンドン!!と鈍い音がしています。も、もう駄目…腰が抜けました…動けないのです…。

 

「めがみさまぁ…助けてぇ…」

 

丸くなってぐすんぐすん泣いていたら…

 

「レン!」

 

何と、めがみさまの声が!

 

ぼくは嬉しくてパッと顔を上げました。

 

でも目の前に居ためがみさまは。

 

懐中電灯を。

 

顔の下から。

 

当てていたのです――――…

 

幽霊なのに気絶しちまったぼくは、目が覚めたらめがみさまにお姫様抱っこされていました。天井すれすれをふよふよ飛んでいますなう。

 

「顔を見るなり失神なんて、全く失礼だなー」

 

「あれはめがみさまが悪いのです!!どう考えてもわざとだったのです!!」

 

「んふー」

 

にやにやしながら開き直っているらしい確信犯のめがみさまに、ぼくは言いました。

 

「やっぱりオニって呼んでやるのです」

 

「ちょ!?やめろやめろ!可愛くねえからそれは!」

 

「ふーんだ!なのです!」

 

「からかい過ぎたってーごめんってー」

 

めがみさまが、角でぼくのほっぺをつんつんしてきます。えへへ。くすぐったいのです。

 

「しゃーなしで許してやるのです!」

 

「やった〜」

 

「その代わり、もうちょっと抱っこして下さい!」

 

「ふふ、はいはい。イオニアタクシー、特別にタダだよん」

 

わーい!

 

 

模擬店を回って食べたい物を集めた後、ぼく達は素人学生特有のぐだぐだステージを立ち見していました。湯気が出ている熱々のたこ焼きを何食わぬ顔で口に放り込んで、めがみさまが言います。

 

「ミスコンねぇ…ボクが出たらぶっちぎり優勝しちゃうな」

 

「学生以外が参加するのはルール違反なのです」

 

「じゃあレンが代わりに出てよ」

 

「えっ!?ぼく優勝出来ますかね!?」

 

「いやー無理だろ」

 

「なんですとぉー!?」

 

「ぺちゃぱいちんちくりん」

 

「特大ブーメランなのです!!」

 

ぅゎっちゃあー!?!?たこ焼き口に放り込まれたのです!!あっっっつ!!よくこんなマグマみたいな物平然と食えてましたねこのオニ!!

 

ぼくが慌ててかき氷をかき込んで消火を図っていると、めがみさまはタピオカミルクティーをストローでぶくぶくしながらステージを一瞥して、鼻息を一つ。

 

「つまんない」

 

「ぼくも飽きてきちゃいました」

 

「狭い界隈の中で顔面競って何が楽しいんだか」

 

「くだらんなのです」

 

「世界一美しいのはボクだよなぁ?」

 

「世界一可愛いのはぼくですよねぇ?」

 

――――まじまじ見つめ合ってたら何だかおかしくなってきちゃって、ぼくらは噴き出します。

 

「これが似た者同士ってやつか」

 

「ナルシスト系マブダチなのです」

 

「よく上手くやれてんな、おい。…校内でも散歩するか」

 

「賛成なのです!」

 

おてて繋いで廊下を歩いていると、気になる教室を見つけました。静かで人気がなくて、逆に興味を惹かれます。

 

「ねえねえ、めがみさま。ちょっと行ってみませんか?」

 

指をさしながら提案したら、めがみさまは暫く沈黙してから頷きました。

 

「…いいよ」

 

少し様子がおかしいのが気にかかりながらも、ぼくは教室に入ります。

 

 

中には、大きく拡大された写真が沢山展示されていました。まるで小さなギャラリーです。写真の近くには、タイトルと解説が添えられているみたい。

 

黒板には『忘れてはいけない歴史』と書かれていました。これがテーマなのでしょうか。何だか、此処だけ雰囲気が重苦しいです。

 

…まあ、せっかく入ったので軽く見てみましょう。

 

 

『冥界』というタイトルの写真は、ぼく達の住んでいる世界の風景とそっくりです。ビルが立ち並んでいる摩天楼。解説には『かつて、私達の祖先にあたる人々は冥界で暮らしていました』とあります。って事は、ぼくが住んでいるこの世界は…何なのでしょう。

 

『化け物』というタイトルの写真は、倒壊した建物の中心で、誰かが後ろ姿で立っているものでした。黒い髪の…この人が、化け物?そんな風にはとても思えません。『冥界は突如現れた化け物の影響により、住む事が難しくなりました』うーん…この化け物さんは、何処の誰で何が目的だったのかな。

 

『恐怖』というタイトルの写真は、泣いている人達が写ったものでした。『化け物が及ぼした被害は、建物の倒壊のみならず、人々に深い心の傷を残しました』ふーむ。殺されるかも!って思ったらそりゃ怖いですよね。当然の心理です。

 

『脱出』というタイトルの写真は、大きな黒い穴に沢山の人が駆け込んでいるものでした。『恐ろしい化け物は、冥界に閉じ込める事になりました。この時に祖先達の避難先として用意された新しい世界こそが、私達が暮らす現在の世界です』あー成程。いや、用意って…そんな凄い事出来るのは…。

 

「随分熱心に見てるじゃん」

 

黙って後ろを付いてきていためがみさまに、不意に声を掛けられて、ぼくは思わずその場で跳ねてしまいました。

 

「意外と興味深くて、ついつい」

 

そっか、とめがみさまは微笑みました。

 

「これ、歴史の教科書にも書いてあるらしいよ。授業で真っ先に履修させる内容だって」

 

「そうなんですか?いやはや、ぼくには無縁で…」

 

なんかめがみさまの様子がシリアスなような…早く出た方が良さそうかも。

 

「次が最後の展示らしいので、パパッと見て来ます!」

 

「レン」

 

引き止められて振り向くと、めがみさまはこれまで見た事のない冷たい表情をしていました。

 

「戻ろ」

 

「え?」

 

「今なら、まだ間に合うから」

 

「それって…どういう…」

 

 

「知らないままでいられるから」

 

 

有無を言わさない迫力に、ぼくは思わず生唾を飲みます。一体この先に何があるというのでしょうか。ぼくは、何を知らないのでしょうか。

 

「…いいよ、行っても」

 

ぼくが困惑していたら、めがみさまは、ふっと口元を弛めました。何処か諦めた様に。

 

「ねえ、レン。知った後でも、ボクとマブダチでいてくれる?」

 

「当たり前じゃないですか!」

 

急に何を言ってるんですかこのめがみさまは。揺るぎない事実だというのに。

 

「という事で、見て来ます!」

 

ぼくはめがみさまを置いて、ズンズンと奥に進みました。その先にあったのは、今までの写真より一際大きい写真。

 

 

『女神イオニア』

 

最愛のマブダチが、邪悪な笑みを浮かべた姿で、写っていたのです。

 

 

『女神イオニアは、化け物を生み出した最悪の女神です。実質冥界を滅ぼした張本人であり、人々が嘆き苦しむ様を見て楽しんでいました。女神イオニアは人々が必死に懇願してようやく、新しい世界を作ったと伝えられています』

 

『願わくば、二度と私達の前に姿を現しませんように』

 

…ぼくは、いつの間にか拳を握っていました。怒りが込み上げて来て、手が震えます。

 

「何ですか、これは!!ふざけんな!!!こんな嘘よくも堂々と!!!」

 

「レン」

 

「めがみさまはこんな酷い事しない!!たまにいじわるだけど、それ以上に優しくて…ぼくの、大事なマブダチなのに…なんで…こんな…」

 

「…レン」

 

「悔しくないんですか!?誰が言ったか知らないけど、つまらない嘘で貶されてるんですよ!?」

 

めがみさまは、ぼくを抱き締めました。荒らげた息が落ち着いていくと共に、悲しくなって、哀しくなって、涙が溢れました。

 

「レンは、優しい子だね」

 

「そんなんじゃないです…腹が立っただけです…」

 

「優しいよ」

 

めがみさまはぼくから体を離すと、ふわりと距離を取りました。

 

「ごめんね、レン。全部…本当の事なんだ」

 

「えっ…?」

 

「此処に書いてあるのは真実。それに、ボクは他の世界でも沢山似た様な事をしてきた」

 

信じられない。いくらマブダチの言葉でも受け入れ難い。だって、ぼくの中のめがみさまのイメージとかけ離れてる。性質の悪い冗談にしか思えない。

 

「信じて、くれないよね。でもね、それが本当のボクなんだよ。嫌悪され、憎悪され、畏怖されている最悪の女神…そうやって生きてきた。それを良しとしてきた。娯楽という快楽を得る為に手段は選ばなかった。後悔なんて一度も抱いた事は無かった」

 

…嫌だ。めがみさまが、どんどん遠ざかっていく気がする。居なくなっちゃう気がする。

 

ぼくが知っちゃったから?過去とか、そんなのどうでもいいのに。ぼくはめがみさまがどんな神様だとしても、マブダチでいてくれるなら何だっていいのに。

 

だってぼくは知ってる。めがみさまがどれだけぼくの事を想ってくれているか。あの優しさは、幸せは、思い出は、決して嘘偽りなんかじゃない。

 

「待って…」

 

言いたい事なんて沢山あるのに、嗚咽が邪魔をして、何とか出せた言葉はそれだけだった。

 

――――駄目。めがみさまが行ってしまう。話す為の時間が足りない。止まれよ、馬鹿嗚咽。まだ伝えられてない。ぼくはまだ、何も伝えられてない!!

 

「…有難う、レン。楽しかったよ」

 

指を鳴らす音が聴こえて、ぼくの視界は白に染まった。意識を失う直前見た、めがみさまの頬には。

 

涙が一筋、流れていました。

Interlude.5

 

ボクは生まれて初めて流れた涙を拭いもせずに、レンから貰った似顔絵をぼんやり眺めながら、放心していた。

 

 

頭が真っ白になって、衝動的に逃げてしまった。

 

レンに嫌われたと思った。レンに拒絶されると思った。

 

レンはそんな事しないって信じたかったけど、何でだろう。それ以上に怖くなったんだ。ボクはレンを信じ切る事が出来なかった。

 

…会わせる顔がない。

 

 

――――ああ、らしくない。こんな別れは。

 

飽きた。と吐き捨てて去る事が常だったのに。

いいや。と思ったから去る事が常だったのに。

 

離れたくなかったのに、去ってしまった。

 

 

…今からでも、戻って謝ろうか。そしたら、また…マブダチに…。

 

ううん、駄目だ。きっとボクは、本当の意味でレンを幸せにしてやる事が出来ない。

 

 

レン。

 

これは、ボクの勝手な罪滅ぼしだ。キミは怒るかな、悲しむかな。きっと、喜んでくれると信じたい。

 

――――有難う。大好きだよ。だから。

 

…ばいばい。

Ending​

 

「レン」

 

誰かが、ぼくを呼んでる。

 

「レン!そろそろ起きないと!」

 

懐かしい声。でも有り得る訳がない…声。

 

「入学式、遅刻しちゃうわよ!」

 

 

「お母さん!?」

 

 

ガバッと起き上がると、ぼくは布団に居ました。紫陽花の柄のシーツ。間違いない。随分ご無沙汰だけど、ぼくがアパートで使っていた布団だ。

 

そして隣で目を点にしているのは、死んだ筈のお母さん。

 

「あらま、急に覚醒したわね」

 

朗らかに笑う様子は、ぼくの記憶の中のやつれた姿とは随分かけ離れていて…元気だった頃のお母さんみたいでした。

 

「おはよう、レン」

 

お母さんの後ろから、お父さんがひょっこり顔を覗かせます。理解が追いつかなくて言葉が出ないぼくを見て、勘違いしたらしい二人は笑いました。

 

「まだ寝ぼけてるみたいね」

 

「明日から中学生だって、昨日は夜遅くまではしゃいでいたからなぁ」

 

どういう事?

 

今日は中学校の入学式?そもそもどうしてお父さんもお母さんも生きているんでしょうか。なんで?分からない。ぼくはめがみさまと文化祭に…。

 

「大丈夫?レン。顔色が悪いわ」

 

「悪い夢でも見てたのか?」

 

「夢…」

 

夢…全部、夢だった?お母さんが死んだのもお父さんが死んだのもぼくが死んだのも全部…夢…?

 

そんな、筈が。

 

「災難だったわね、レン。朝ご飯は出来てるから、まず顔を洗って来たらいいわ」

 

お母さんに促され、ぼくはよろよろとおぼつかない足取りで洗面所に向かいました。

 

 

鏡の前に立ったら、ぼくの両目はしっかり同じ方向を向いていました。左目の斜視が無くなってる。確かにあった筈の事実が、無かった事になってる。

 

此処は夢なのでしょうか。それとも、ぼくは長い長い悪夢を見ていただけなのでしょうか。

 

水はひんやり冷たくて、とても夢の中だとは思えませんでした。

 

 

朝ご飯…凄く、美味しい。お母さんは料理が下手だった筈なのに。ううん、それも夢の中の事だったのかも。

 

あんなに鮮明だった筈の記憶に、段々自信が持てなくなっていきます。

 

 

食事を終えて、お母さんに手渡された黒いセーラー服に着替えました。初めて着た…筈なのに、もうずっと着ていた気がする。

 

「成長を見越して大きめにしたものの…これだと袖がダボダボ過ぎるかな。ちょっと捲った方が良いんじゃないか?」

 

「まあ、ほんとね。でも、可愛いから大丈夫よ!」

 

心配するお父さんと、天然なお母さん。大好きな、ぼくの家族…。

 

「レン、一人で髪を結べるようになってたのね。いつの間に練習したの?凄いわ!」

 

孤児院に行って自分でやるようになったから出来る…のに、でも、あれ?孤児院なんてぼくは行く必要ない。夢の話…だよね…。

 

「そ…そうなのです!えっへん!」

 

お父さんは優しく頭を撫でてくれた後、ちょっと機種の古い愛用のカメラを持って言いました。

 

「今日はレンの晴れ姿、いっぱい撮るからな!」

 

「ふふ、楽しみねえ」

 

 

 

お父さんは、学校に向かって車を走らせます。助手席に居るお母さんが、喉乾いてない?と聞いてくれたので、お茶を一杯貰いました。

 

後部座席のぼくは、記憶が曖昧なまま、車に揺られていました。何が本当で、何が嘘なのか、分かりません。めがみさまは何処に行ってしまったんでしょうか。そもそも、めがみさまなんて居なかったのでしょうか。

 

そんな訳、ないのに。

 

…ふと、スカートのポケットに違和感を覚えました。

 

手を突っ込むと、折り畳まれた紙が入っていました。

 

「あっ…」

 

それはめがみさまがくれた…マブダチと小さく書かれた、笑顔のぼくの似顔絵。

 

――――やっぱり、あの日々は夢なんかじゃなかった!

 

じゃあこれが夢…なのかと言うと、違う気がします。現実なのは間違いない。でも此処は、ぼくの記憶と食い違った…ぼくにとって都合が良過ぎる世界。

 

きっと、めがみさまが何かしたんだ。

 

 

 

学校に着いた途端、ぼくは車から飛び出して、駆け出しました。お父さんとお母さんが呼んでる。でも、振り返る事なく前に進みました。桜並木を走り抜け、校舎に突っ込みます。

 

驚く程に体が軽い。思い通りに動く。速く走れる。階段なんて段飛ばし。だから辿り着くのは簡単でした。

ぼくは自分のクラスの教室の扉を、勢い良く開きます。きっと居てくれると信じて見た先には。

 

「レン」

 

「めがみさま…」

 

「いつも元気だねぇ」

 

大好きなめがみさまが、教壇の机に腰掛けながら、優しく微笑んでいました。

 

 

「もう…何から質問したらいいか分からないですよ…」

 

「だよね」

 

入学おめでとうと黒板に書かれていて、飾り付けがされた、誰も居ない教室の中。ぼくとめがみさまは向かい合っていました。

 

「…とりあえず、何をしたのか説明して下さい」

 

するとめがみさまは簡潔に言いました。

 

 

「書き換えたんだよ」

 

 

ぼくが首を傾げたら、めがみさまはふっと笑って続けます。

 

「…キミの人生が不幸になる要素を虱潰しに消した上で、時間を巻き戻したのさ。お母さんは不幸をばらまく女じゃない。お父さんとお母さんはいつも仲良しで喧嘩なんてしない。お父さんに借金なんてないしお母さんは至って健康。だから二人共自殺してないし、レンは殴られてないから目はどちらも正常だし、勿論優しくて明るいレンは誰にも虐められない。ちなみに運動音痴を直したのは慈悲」

 

「なんで…。ぼくは、こんな事望んで無かった」

 

「本当に?心の底からそう言える?こんなにも幸せで温かな未来が約束された世界なのに。ボクはキミの望みを叶えた筈だよ」

 

「違う!ぼくの望みは…」

 

「レン」

 

めがみさまは愛おしいものを見る瞳で、ぼくを見つめます。

 

 

「ボク、キミに幸せになって欲しいんだ」

 

 

呆気に取られたぼくに、めがみさまは続けます。

 

「だから、お別れを言いに来た」

 

とんでもない発言にハッとなって、ぼくは口を開きました。

 

「待って下さい!!何でそうなるんですか!?」

 

「ボクと居たら、キミは幸せになれないから」

 

「はぁー!?いつからそんなマイナス思考になったんですか!あんなにナルシストだったのに!」

 

めがみさまは浮かない顔で、力無く笑うだけです。もう!調子狂うなぁ…!

 

「…世界を変えた時、ぼくの記憶も似顔絵も消さなかったのはどうしてですか?」

 

「忘れられたら、寂しかったから」

 

「それなら、ぼくと一緒に居れば良いじゃないですか」

 

「駄目だよ。キミにはキミを幸せにしてくれる家族がいて、沢山の友達が…」

 

――――もどかしさが限界突破して、ぼくはめがみさまを抱き締めました。

 

 

「…要らない。こんな紛い物の現実なんて、要らない」

 

 

幸せでしょうとも。全ての嫌な要素が消し飛ばされた世界で生きるのは。

 

けれど。

 

「ぼくは全部覚えてる。ぼくの歩んできた真実を覚えてる。散々でした。クソみたいな人生でした。でもそれがぼくの人生なんです。受け止めるしかないんです。認めるしかないんです。例えどれだけ最悪だったとしても」

 

めがみさまを抱き締める手に、思わず力が入ります。

 

「だけどぼくは恵まれていた。絶望に沈む中、手を差し伸べて寄り添ってくれるめがみさまが居たから。ぼくはめがみさまに沢山の幸せを貰いました。だから、ぼくが一緒に居たいと心から願うのはめがみさまだけなんです。どんなに昔酷い事をしてたって、この先ぼくを裏切るかもしれなくたって、そんなのどうでもいいんです」

 

めがみさまは観念したように、そっとぼくの背中に腕を回してくれました。

 

 

「…ぼくは、めがみさまと生きたい」

 

 

耳元で、鼻をすする音が聞こえます。

 

「やーい、泣いてやんの!なのです!」

 

「う"る"さ"い"な"あ"…」

 

「ぼくに選んで貰えて嬉しかったんですね!」

 

めがみさまは、ぷいっと顔を背けて、ぼそりと言いました。

 

「そうだよ」

 

愛しさが湧いて一層抱き締めるぼくに、めがみさまは言いました。

 

「…もう迷わない。ボクは、レンを信じる」

 

「信じてくれてなかったんですか!?心外です!!絶交してやるのです!!」

 

「やだやだ!!絶交やだーーー!!!」

 

「嘘でーーーーーす!!!」

 

「馬鹿ぁー!!!馬と鹿のキメラ!!!」

 

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、ぼくとめがみさまは笑い合いました。

 

 

 

――――耳に喧騒が戻って来ます。

 

マブダチなら頑張って生きた人生を否定しないで欲しいというぼくの希望で、世界を元に戻して貰ったからです。

 

広がる光景は間違いなくあの時の文化祭の続き。

 

…これで一安心。ぼくは運動音痴幽霊に逆戻りです。

 

「ねえ、レン」

 

「なんですかー」

 

もじもじしながら、めがみさまは訊ねてきます。

 

「これからも一緒に居てくれるんだよね?」

 

「そりゃ勿論!」

 

「じゃあ、成仏しないよね?」

 

 

「…ん?」

 

 

あれ、なんかぼくの体が光に包まれて…。

 

「ちょっ!!レン!!成仏してる!!」

 

「のわぁあ"ーーーー!?!?幸せ過ぎて未練無くなっちゃったのかもです助けてめがみさまーーーー!!!」

 

「ふざけんなーーーー!?!?ストップ!!!ストップーーーー!!!」

 

 

 

その後、めがみぱわーで何とか現世に留まれたぼくに、めがみさまは言いました。

 

照れ臭そうに、でも、最高の笑顔で。

 

「ごめんね、レン。もうちょっと、ボクの傍に居てね」

 

ぼくは間髪入れず、笑顔で答えました。

 

「当然!だってぼくらは…」

 

 

――――マブダチだから!

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