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​World.1 氷雪の世界

​World.2 砂塵の世界

​World.3 深海の世界

​World.4 摩天楼の世界

​World. ██の世界/前編

​World. ██の世界/後編

※クリックで該当する話へジャンプします※

 

ここらでは見た事ないねぇ」

 

「そんな風貌、見たら絶対忘れない筈だもの。間違いないよ」

 

「…そうですか。有難うございます」

 

「貴方、苦労なさってるのね。若いのに髪が真っ白だなんて…」

 

「頑張ってね」

 

僕は一礼して、研ぎ終わった包丁をご婦人達にお返しする。

 

 

この村での聞き込みは終わった。店仕舞いして、次の人里を目指そう。

 

 

重い荷物を背負いながら雪道を歩くのにも、随分慣れた。しっかりした足取りで前に進む。

 

 

情報はまだまだ足りない。だけど諦めない。

 

――――いつかきっと、あの人を見つけてみせる。

World.1 氷雪の世界

 

雪がしんしんと降り積もっていく。淡々と、黙々と、それが定めであるかのように。

 

――――いつもの光景だ。

 

雪が絶えないこの国は、常に曇天に包まれている。

正直、気が滅入るんだよな。三日に一度くらいは青空を拝みたい。到底無理な話なのだが。

 

 

…ここらで自己紹介といこう。俺様の名は海雪(かいせつ)。

 

意思を持った、刀だ。

 

 

どういう事だ?と思う奴もいるかもしれないが…そういう事だ。ここらでは珍しい話ではない。刀に限らず、どんな物にも意識が宿る。必ずではないけどな。

 

とはいえ、物はいつか壊れる。生き物と同じで、容赦なく死ぬ。だから意識が宿っちまった方が、何となーくキツイ気がすんのは俺様だけだろうか。

 

何せ、自力で動く事が出来ねえ。同じく意識がある『物』と喋るくらいしかやる事はねえし、人間と喋る事は不可能だ。まあ仮に喋れたとして、不気味がられてぶっ壊されてお陀仏だろうけどな。

 

つまり結局何が言いたいかと言うと、とにかく暇だって事だ。超絶暇。暇!暇!暇!だってせっかく生まれたってのに、刀は時代遅れだーみたいな世間の風潮のせいで誰の手にも渡らず廃棄処分だぜ?納得いかねーっての!

 

刀鍛冶してた俺様の主人は、今じゃ包丁研ぎ屋にジョブチェンジしてやがるし。結構儲かってるらしい。良かったなちくしょー。

 

ぬくぬく暮らしてる主人と違って、俺様は屋外のガラクタ置き場に放置されてる真っ只中。明日にでもゴミ収集の業者がえっちらおっちらやってくるそうだ。ご苦労なこった。

 

――――ってな訳で俺様の命もあと僅か。

 

何とも呆気なくて味気なくてあっという間の人生だ。虚しくて笑っちまうぜ。

 

ん?

 

雪を踏む音がする。客かな。

 

「ごめんください」

 

若い女の声だ。主人が扉を開けると、そいつは言った。

 

「武器を探しています」

 

武器?武器だと?どうしてまた。

 

「お嬢さん。悪いが、他をあたってくれんかね」

 

冷やかしだと思ったのか、主人は面倒臭そうに答えた。客に対してなんちゅー態度だ!せっかく来てくれたってぇのによ!

 

「そうですか」

 

ああ言われちゃ仕方ないんだろうが、女は潔く帰ろうとした。

 

「しけた店ですね」

 

すげえ捨て台詞だなおい。主人泣いちゃうからやめたれ。

 

それはさておき。

 

あの女、武器を探してたよな?このご時世に。って事は………

 

…だああーっ!!待て!武器なら此処にいる!!気付いてくれ!!連れて行ってくれー!!!!

 

俺様の念が届いたのか、主人は思い出したように女を呼び止めた。

 

「そういやぁ、昔打った刀がある。処分する予定だった代物だが、良ければ持っていくかい?」

 

 

主人に連れられて、女がやって来る。

 

雪のように白い髪と白い肌。気味が悪い程整った顔立ち。青い瞳は吸い込まれそうなくらいに綺麗で、海ってこんな色なのかなって思った。そんでもって、これまた白い、丈の短い着物を着ていた。その上に何やら見慣れない黒い羽織をしている。

 

老婆でもないのに真っ白な髪。珍しい目の色。雪どっさりのこの地に相応しくない軽装。もしかしてこの女、海の向こうにあるっていう外国から来たんだろうか。どうしてはるばるこんな辺境に?

 

…まあいいや。俺様を連れ出してくれるなら誰でもいい。

 

「あったあった。この刀だよ」

 

主人が俺様を拾い上げて、積もっていた雪を手で払う。そして女に手渡した。

 

「有難うございます」

 

女は主人にぺこりと頭を下げる。

 

「いいって事よ」

 

主人はどうやらタダで俺様を引き渡すつもりらしい。流石にゴミ扱いしてた刀に値段を付けるようなゲスさはないようだ。自分で言ってて悲しくなってきた。

 

 

新しい来訪者…客だろう…に呼ばれた主人は、店に戻って行った。女と俺様だけがぽつんと残される。

 

――――とりま名乗っとくか。聞こえる訳ないけど。

 

『よ、女!俺様は海雪!世界一の名刀だ!』

 

「世界一の名刀なのに捨てられていたんですか」

 

え?なんで返事してんの?

 

「世界一の名刀ってゴミと同レベルなんですか」

 

『やかましいわ!!!!!!!!!』

 

完全に聞こえてんなこいつ!!しかも生意気!!俺様憤慨!!

 

「やかましいのはどっちですか…」

 

やめろやめろ呆れた目で見るんじゃない。あと耳塞いでも無駄だからね。心に直接語りかけるからね俺様達みたいなのは。ざまーみろ。

 

女は小さく溜息を吐いた後、ぽつりと呟いた。

 

「でも、世界一の名刀なら助かります」

 

『なんで?』

 

「自分は、女神を殺さなければいけませんから」

 

『なんて?』

 

「自分は、女神を殺さなければいけませんから」

 

ご丁寧に一字一句調子も全く同じで言い直してくれた。めがみって何…?なんか、目やにみたいな響きだな。

 

「分かってなさそうですね」

 

すいませんね無知で。

 

「女神というのは」

 

ふむ。

 

 

「なんなんでしょうね」

 

 

なんなんだろうね。

 

「とりあえず、殺すべき存在って事です」

 

雑だなー…いや、まじで雑だなー…。

 

『めがみ?が何かってのは置いといて、お前は何の理由があってそんな物騒な事を目的にしてんだ?』

 

女は顎に手を添えて首を傾げた。

 

「分かりません」

 

『分かりません???』

 

「そういう絶対命令が課されているから、としか」

 

『なんじゃそら』

 

「製造されてから長く時間が過ぎたせいなのかぶっちゃけ記憶データに抜けが生じていまして」

 

『つまりボケ老人って事?』

 

「へし折りますよ」

 

『ごめんなさい』

 

「…ボディは劣化してないので良いのです」

 

『そうかい』

 

それにしても、ボディやら記憶データやら人間が自分に使うにしては不適切な表現ばっかり出てくるな。俺様と会話出来るのも不可解だし、さてはこいつ。

 

『ところでお前、人間じゃないな?』

 

「名推理をした気分になっているでしょうに申し訳ないのですが…今更ですか」

 

『いちいち小馬鹿にしてくるよなまじで』

 

「そんな事ないですよ。仰る通り自分はアンドロイドです」

 

『安藤…?』

 

「無知な海雪さんに分かりやすいように解説すると、人の形をした機械という事です」

 

『成程〜』

 

機械って人間みたいなのもいるんだな。知らんかった。というかそんな技術ここらじゃ聞いた事がねえ。もしそんな機械がいっぱい作れたら、世の中恐ろしい事になっちまうんじゃねえだろうか。くわばらくわばら。

 

「しかし、早々に新しい武器が見つかって良かったです。しかもタダで」

 

どうせ俺様は一銭の価値もないゴミですよ。

 

『その口ぶりだと、以前から武器の類を使ってたって感じだな』

 

「道中で幾つも壊したり失くしたりしました」

 

『いや不穏だから』

 

「使えば壊れますし気が付けばなくなりますよね」

 

『ぎゃーー!!!!使われて壊れるならまだしもなくされるのだけは絶対やだーー!!!!』

 

「安心して下さい頑張りますので」

 

『精神論なんだよそれは』

 

答えのつもりなのか俺様をしっかり掴み直して、女は雪を踏み締め歩き出した。

 

 

『すっかり聞きそびれたけど、お前の名前は?』

 

「憶えていません」

 

名前も忘れとんのか。ほんと困った奴だな。

 

『不便じゃない?』

 

「いえ別に」

 

『俺様が名付けてやろうか?』

 

「センス無さそうなので遠慮します」

 

『おいゴルァ』

 

センスくらいあるっつーの。

 

「世界一の名刀(笑)」

 

許さん。

 

…って、なんだありゃ!!

 

『おい女!見ろよ!すっげー!』

 

「はいはい何ですか海雪さん」

 

『凍ってる!滝!ほら!』

 

「ああ、この世界は気温がかなり低いですからね。こういう事もあるのでしょう」

 

『なんでそんなに冷静なの??俺様がおかしいの??』

 

凄いじゃん…凍ってるんだよ…?でっかい滝がさあ…。一人ではしゃいじゃって寂しくなってしょんぼりしてると、女が口を開いた。

 

「ワービックリデスーコオッテルナンテー」

 

『猛烈な棒読み』

 

演技下手か。でもこいつなりに合わせようとしてくれたんだろうな。

 

『女…あ、ありがとな』

 

「えっなんですか急に気持ち悪い」

 

『へへっ』

 

「変な刀ですね、全く」

 

 

女は暫く歩いた後、屋根のあるベンチに腰かけた。

 

「丁度良いスペース発見です。此処で一日待機します」

 

『随分長いな』

 

「世界を渡れるのは三日に一度ですので」

 

『…世界を渡るってどういう事だ?』

 

「海雪さんは知らないでしょうが、世界というのは此処だけではありません」

 

『一言余計だよ』

 

「井の中の蛙大海を知らず」

 

『意味は分からんが馬鹿にしてるのは分かるぞ』

 

「普通であれば生まれ落ちた世界で一生を終えるもの。ですが、自分は数多の世界を転々と出来ます」

 

『どういう原理で?』

 

「さあ」

 

出たよお得意の記憶抜け抜けムーブ。

 

「女神はどの世界に居るか分かりません。だからこそ、様々な地を巡る必要があるのです」

 

『んでも世界ってめちゃくちゃ広いだろ。一個ずつくまなく探したってキリがないんじゃねーの?』

 

「それは大丈夫です」

 

『秘策でもあんのか』

 

 

「勘です」

 

 

多分俺様に動く体があったら地面スライディングしてたわ。

 

「世界に着いた途端にビビっと来るんですよ」

 

『あ、そう…』

 

「ちなみに飛ぶ世界はランダムですので選べません」

 

大丈夫なのかな〜この先〜。

 

「座標も選べないので上空2000メートルからスタートも普通に有り得ます」

 

大丈夫なのかな〜この先〜。

 

「この前それで武器を壊しました」

 

誰か〜助けてくれ〜。

 

 

本気で動く気がないらしく、女はお地蔵さんみたいに微動だにせず座り続けている。俺様はというと、相変らず降り続く雪をぼんやり眺めていた。

 

『なあ女』

 

「なんですか」

 

何気、話し掛けたら律儀に返事してくれるんだよな。言動は生意気だけど態度は誠実っていうか。

 

誰かと話すの久々で楽しいし、おかげ様で廃棄処分から免れたし、何やかんやで俺様は嬉しいのだ。

 

『やっぱ、名前付けてやるよ』

 

「必要ないです」

 

『んな事ないだろ』

 

「今までの旅で、名乗る機会はありませんでしたし」

 

――――ああそうか。こいつ、必要以上に誰かと関わろうとして来なかったんだろうな。だからコミュニケーションの勝手が分からなくて毒舌なのかも。

 

「誰にも呼ばれない名前なんて、あっても意味がありません」

 

『俺様が呼ぶ』

 

「えっ」

 

『だから意味はあるんだよ』

 

女はいつも通りの無表情。だけど、少しきょとんとした様に見えた。

 

『いつまでも女呼ばわりされたくないだろ』

 

「まあ確かに言われてみれば癪に障りますね」

 

『すみませんでした』

 

「自分も海雪さんを雑魚刀と呼べば良かったです」

 

『とっても根に持っていらっしゃる』

 

「まあ冗談ですが」

 

『お前お前お前』

 

真顔だし声に抑揚もないから本気か冗談か区別つかないの、何気致命的なバグじゃね。顔が無くても声のトーンで分かりやすい俺様と真逆だわ。

 

「それで海雪さんは、どんな名前を付けてくれるんでしょうか」

 

『よくぞ聞いてくれた!実は既に候補があってな』

 

結構自信がある。俺様の名前から取った…

 

 

『マリンスノー、ってのはどうだ』

 

 

雪みたいに白い姿に、海みたいに青い瞳。名は体をあらわすって言うし、きっとこいつも気に入ってくれるんじゃないだろうか。

 

「マリンスノーッテノハドウダ…ですか。個性的ですね」

 

『要らんもん付いてる要らんもん付いてる』

 

「分かっていますよ」

 

『分かっとんのかーい』

 

女は相変わらず表情が変わらないが、何となく…何となくだけど、喜んでるみたいに見えた。

 

「マリンスノー。これからは、そう名乗れば良いのですね」

 

『おう』

 

「どうも。マリンスノーです」

 

『知ってる知ってる何で急に初対面みたいになってんの?記憶飛んだ?』

 

「マリンスノーですよ」

 

『会話のキャッチボールしてくれマリンスノーさん』

 

ん?テンション高い?のか?

 

――――結局その後もマリンスノー…マリンは、俺様に名前をアピールし続けた。

 

 

太陽が沈んで月が昇り、月が沈んで太陽が顔を出すと、マリンは急に立ち上がった。

 

「さあ行きましょう。次なる世界へ」

 

『いよっ!待ってましたー!』

 

遂に来たか、この時が。ワクワクするぜ!

 

「楽しそうですね海雪さん」

 

『うん楽しい!』

 

「そうですか」

 

マリンは片手を宙にかざす。するとマリンが通れるくらいの黒い穴が現れた。向こう側は一切見えない。

 

「振り落とされない様にしっかり掴まってて下さいね」

 

『あ、移動ってそんな激しいの??俺様マリンの事掴めないからマリンが俺様の事掴んでてくれない??』

 

「了解です」

 

マリンは俺様を両手でぎゅっと抱き締めた。ちょっと可愛い。

 

「それでは突入します」

 

『おう!』

 

返事を聞いたマリンは躊躇なく、慣れた様子で黒い穴に身を投じる。

 

 

 

――――これが俺様達の旅の始まり。

 

終わりに向かう旅の、始まりだ。

 World.2 砂塵の世界

 

『砂しか見えん』

 

見渡す限り砂、砂、砂。こんな事ある?ってくらい砂しかない。永遠に続いてんじゃないかと思うレベルで砂が広がっている。

 

異世界訪問の初っ端が砂で、俺様は愕然としていた。しかもマリンの第一声はこれだ。

 

 

「此処に女神は居ないようです」

 

 

うんうんそうだよなー。こんな砂しかない所に何の用があって来るんだって話だよなー。

 

『此処で三日過ごすのかぁ…』

 

「仕方ないですよぺっぺっ。女神がぺっ。居なかったんですからぺっ。ぺっぺっぺっ」

 

アホみたいに砂埃舞ってるからアホみたいにぺっぺっしてる…。

 

『無理して喋らなくていいぞ』

 

「じゃあ黙ります」

 

『やだやだ喋ってくれなきゃ俺様退屈で折れちゃう』

 

心が。

 

「我儘ですねえ海雪さんは」

 

『てへ』

 

「とりあえず移動します。何処か落ち着ける場所でもあればいいのですが」

 

『そうだな。了解』

 

 

 

あ"ー…。灼熱の太陽…纏わり付く砂…熱い空気…。キツい…刀の俺様でもキツいこれ…いや雪の中育ちだから尚更そう思うのかもしれん…180度環境変わったのと同義だからな…。

 

『マリンは平気なのか?暑くないか?』

 

「へっちゃらです。強いて言うなら砂が鬱陶しいです」

 

『そっか…逞しいな…』

 

「海雪さんこそ大丈夫ですか?まだ刀としての役割を果たしてないのに熱で変形して駄目になったりしないで下さいね」

 

『やめて!!脅さないで!!』

 

またすぐそういうこと言う!!

 

「溶けてぐにょぐにょな海雪さん」

 

ぼそっと怖い事呟いてた気がするけど聞こえなかったフリしとこ。

 

 

砂漠を進んでいくと、何やら建物らしき物が密集しているのが遠くに見えた。

 

『マリン、あそこに行ってみようぜ』

 

「そうですね。原住民が居る可能性があるので少し待って下さい」

 

『何すんの?』

 

マリンは立ち止まって目を閉じる。そして数分くらい経ってからパッと瞼を開いた。

 

「この世界の言語をインストールしました」

 

『アンドロイドってそんな事も出来るのか』

 

「海雪さんはこんな事も出来ないんですか」

 

『出来るかいな』

 

そもそも「物」としか喋れんっちゅーねん。

 

「まあ任せて下さい。今の自分には名前もありますので」

 

真顔で謎にドヤってるけど、楽しそうだからいっか。

 

 

 

建物に近付いてみたが、廃墟らしく誰も居なかった。壁や天井に穴が空いていて、屋内に砂が入り込んでいる。

「名乗る相手が居ません」

 

『仕方ねえよ』

 

「海雪さん」

 

『どした』

 

「自分はマリンスノーと言います」

 

『素敵な名前だなー誰が考えたんだろうなー』

 

「誰でしょうね」

 

『俺様だよ!!!』

 

こんにゃろめ。可愛いんだか可愛くないんだか。

 

『…んで、どうする?砂を凌げない事も無さそうだし、此処に留まるか?』

 

「海雪さんはどうしたいですか」

 

え?そりゃー…。

 

『せっかくだし冒険してみたいなーなんて』

 

「そう言うと思いました」

 

マリンは呆れた様に首を振って歩き出……うわーーーー!?!?!?

 

お、落ちた!!マリンの足が砂にめり込んだかと思ったら、落とし穴みたいなノリで下に落ちた!!な、なんだなんだ!?

 

「地下にも建物があったとは」

 

突然の事だったし数十メートルも落ちたはずだったのに尻もちも着かず、平然と降り立ったマリンが辺りを見回す。

 

『暗くて何も見えねえ』

 

「全く世話が焼けますね」

 

鼻息を一つ吐いたマリンの目が、懐中電灯みたいに光を放った。いや万能過ぎんか?旅人らしかぬ手ぶらで旅してる理由が分かったわ。

 

「この空間、結構奥まで続いていそうですね」

 

『行き止まりまで行ってみよう!』

 

「はいはい分かりました」

 

『はいは一回でいいんだよ』

 

なんか子供扱いしてない?ねえ?

 

 

「これは…」

 

『うおお…』

 

狭い通路を抜けると、広大な部屋があった。天井が見えないし、何処まで続いてるのかも分からん。太い柱が何本も規則正しくならんでいて、静けさも相まって神聖な雰囲気だ。

 

『す、すげー…』

 

「地面の下がこうなっているとは思いませんでした」

 

『俺様もびっくりした』

 

マリンはきょろきょろと周囲を見回す。

 

「…ふむ。この世界が以前どうだったのかは存じませんが、此処は貯水槽だったのかもしれないですね」

 

『成程』

 

水を貯めとく場所だったって事か…納得。そうじゃなきゃ謎空間過ぎる。

 

しかし水の一滴も無いし、地上に人は居ないし、多分此処は放置された場所なんだろう。住むには厳しい環境過ぎるから仕方ないわな。

 

…それより。

 

『涼しいなー此処』

 

すんごいひんやり空間。地上と比べ物にならない快適さだ。こりゃあいい。

 

「それは何よりです。冒険はここまでにしておきますか」

 

『待って待ってそれとこれとは話が別〜!!もっと色んな所見たいです俺様〜!!』

 

「…やれやれ。では出口を探しましょうか」

 

 

暗くて広い部屋を壁伝いに暫く歩くと、壁面に四角く切り取られた箇所があるのを見つけた。中は人が一人通れる位の狭さで、石造りの階段が上に続いている。

 

『これ、地上に通じてるかも』

 

「ですね。上ってみましょう」

 

言うやいなやマリンは石造りの階段を規則正しいペースで進んでいく。

 

…。

 

……………。

 

……………………………うう。

 

落ちた距離からしてお察しだけど、この階段かなり長い。気が遠くなる。しかも狭いし暗いし最悪。

 

「あ」

 

『どした』

 

「この先、階段が無くなっています」

 

『な、何ぃ!?』

 

ほんとだ!すっぽりごっそり消えてる!せっかく上ったのに!

 

『これじゃあ先に進めねえし、戻るしかないな…』

 

「やむを得ませんね」

 

 

 

元の大広間に戻ってきた。くそー!振り出しだ!

 

むしゃくしゃしてると、マリンが話し掛けてきた。

 

「海雪さん」

 

『どしたよ』

 

「壁に文字が書かれています」

 

懐中電灯モードのマリンの目が照らす先に、確かに文字みたいなものがあるのが見えた。当然、俺様には読めねえ。でも言語をインストールしたらしいマリンなら大丈夫だろう。

 

『なんて書いてある?』

 

「所々擦り切れていますが…読んでみます」

 

マリンはぽつりぽつりと読み上げていった。

 

「かつて……には緑…あった…女神…砂に…えて…………我々…水…求…旅立つ…」

 

『つまりどゆことだ?』

 

「此処はかつて緑溢れる豊かな土地だったけれど、女神が砂に変えてしまった。此処で暮らす事が難しくなってしまった住民達は、水を求めて旅立った…という事でしょう」

 

『な、なんだと』

 

ひでえ事しやがる…。

 

「こうしてメッセージを遺したのは、きっと思い入れのある土地だったからなのでしょうね」

 

俺様悲しくなってきた。大好きな故郷を砂に変えられて、離れざるを得なくなるなんて…あんまりだ。

 

「…此処、短いですが続きがあります」

 

マリンは再度文章を口にする。

 

 

「女神は笑っていた」

 

 

あまりの残酷さに、俺様は思わず絶句する。

 

「やはり、女神は討つべき存在です」

 

瞼を閉じてゆっくりと開いたマリンには、決意を新たにした様な雰囲気があった。

 

『そうだな。まさかこんなに極悪非道だとは思ってなかったぜ』

 

思いを踏み躙って娯楽にする。楽しんだ後は自分だけおさらば。きっと他の世界でも好き勝手してるに違いねえ。他の誰が許したって、俺様は許さねえぞ。

 

「目的の理由…きっと、悪しき女神による被害をこれ以上増やさない為なのかも知れません」

 

『そうに違いねえよ。俺様も協力するからさ、絶対女神を倒そうな!』

 

憤慨と同時に奮起する俺様を見て、マリンが頷いた。俺様を握る力が少し強まったのは、多分気の所為じゃない。

 

「勿論です」

 

 

 

――――その後、出口を見つけた俺様達は地上に戻って来た。

 

相変わらず暑いし眩しい。昔は沢山植物が生えてて、日射しを緩和してくれてたんだろうな。でも今となっては…。何と言うか、この砂漠の見え方がすっかり変わっちまった。

 

寂しくなってると、マリンが急にしゃがんだ。

 

『どうした?』

 

「見て下さい」

 

『…これは』

 

壁際にちょこんと鎮座していたのは、小さな小さな植物だった。

 

「サボテンです」

 

『サボテン?』

 

「砂漠の中でも逞しく生きられる植物ですよ。この子はまだ諦めていないのですね」

 

そう言ったマリンは、何処か嬉しそうで。慈しむ様な声が珍しくて、心臓ないけどついドキッとしちまった。

 

「海雪さん?」

 

『なっなななななななんだよ』

 

「とうとうバグってしまいましたか」

 

『そうそうバグっちまって〜…違うわい!!』

 

「なら良いのですが」

 

マリンはすっと立ち上がる。砂に覆われた周囲をぐるりと見回した後、サボテンに再度目をやった。

 

「まるで希望の象徴ですね。いつか…ここらが元通りになる日が来るかも知れません」

 

『時間が解決してくれるさ』

 

「そう信じましょう」

 

サボテンに別れを告げ、俺様達は再び砂漠を放浪する。

 

 

暫くすると、ぽつぽつと空から雫が落ちてきた。

 

「恵みの雨です」

 

マリンが良い感じの事言ってるけど、俺様はそれどころではなかった。

 

蒸し暑い!!!!!!!

 

ただでさえ灼熱だったのに雨のおかげで湿度が高くなってむわっとした不快感が襲ってくる。やばい。つらい。通り雨だったのかすぐに止んだけど、中途半端に降ってくれたせいでじめじめ感に拍車が掛かっている。しんどい。

 

気分が沈みに沈んでる俺様と違って、いつも通り平然としてるマリンが言った。

 

「海雪さん、ほら」

 

『何ぃ〜…』

 

「大きな虹ですよ」

 

その言葉の通り、清々しい青空の中に虹がかかっていた。

 

『す…』

 

「す?」

 

『すっげえー!!!』

 

俺様は感動した。それはもう感動した。故郷が常に曇天だったから青空が見れるだけでも嬉しいのに、綺麗な虹まであるんだぜ。最高の気分だ。

 

『なあなあマリン!虹の端っこにはお宝があるって聞いた事あるんだ!行ってみようぜ!』

 

「いいですよ」

 

『やったー!』

 

マリンは砂の上を駆け出す。普通走りづらいだろうに、運動神経がカンストしてるのかフォームが完璧だ。流石です。

 

 

 

高速移動とも言える走行により、見事に俺様達は虹が消える前に端っこに辿り着いた。んだけど。

 

『おろろろろろろろ…』

 

完璧に酔った。

 

「大丈夫ですか海雪さん」

 

『だいじょばないかな海雪さん…』

 

「それなら安静にするのがいいですね。此処で待っていて下さい」

 

『待って待って置こうとしないで灼熱の砂は鉄板と同じなんだからね!?!?』

 

優しいんだか優しくないんだかだよ!!厚意が完全に空回ってるよ!!

 

「海雪さん。地面から虹が生えていますよ」

 

『ほんとだあ』

 

「ウケますね」

 

『え?あ、う、うん?』

 

「早速宝探ししてみましょうか」

 

すたすたと虹の麓に近付いたマリンは、しれっと俺様を振りかぶった。

 

「では」

 

『俺様をスコップ代わりにしようとすなー!?!?』

 

「冗談ですよ」

 

ぜえ…ぜえ…焦った…まじで焦った…ぜえ…。

 

「ツッコミ待ちというやつです」

 

『ツッコまなかったら突っ込むつもり満々だったよね??』

 

あっ聞こえないフリしやがったこんにゃろう。

 

「それでは地面を掘ります」

 

『お願いします』

 

「言い出しっぺの癖に何もしてくれない海雪さんの代わりに健気に地面を掘ります」

 

『ごめんなさい』

 

手伝えるもんなら手伝いたいけど手が無いから無理なんだよ許して…。

 

 

 

――――それから、何度目かの朝が来る。

 

マリンはずっと地面を掘り続けていた。相当な深さになっている。俺様がもういいと何度言っても、マリンは手を止めなかった。

 

宝物なんて迷信だ。もしかしてって期待は少ししてたけど、心の何処かで分かってた。でも俺様と違って、マリンは諦めない。

 

『マリン』

 

「まだ何も見つかっていませんよ」

 

『…』

 

「まあ任せて下さい」

 

意地っ張りな奴だなあ…。顔も服も泥まみれになってる。せっかく美人なのに台無しだ。でも幾ら汚れても、内面の綺麗さは霞まない。

 

こいつが頑張ってんのは、宝物が見つかれば俺様が喜ぶと思ってるからだ。それなら、俺様にマリンを止める事は出来ねえ。

 

初めてだったんだ。自分の為に誰かが動いてくれるなんて。

 

とはいえこのまま穴掘りさせるのはあまりにも…だ。何でもいいから見つかってくれと念じていると。

 

「あ」

 

『どうした?』

 

次の瞬間、とんでもない圧の水が俺様達を襲った。

『わあああああああああああああああああああ!?』

「わー」

穴の外まで追い出された。なんちゅー威力だ。呆然とする俺様の目の前で、ぽっかり空いた地面からは勢い良く水が出続けている。

 

「噴水みたいですね」

 

『び、びっくりしたあ…』

 

「海雪さん、見て下さい」

 

『ん?』

 

「虹が…」

 

水の柱の周囲には、小さな虹が3つも出来ていた。

 

『わああ!』

 

「虹の端っこには、更なる虹が隠れていたんですね」

 

『うん!』

 

沢山の虹…それが宝物だったのかな?でも、何より。

 

『有難うな、マリン!おかげで良いものが見れたぜ!』

 

マリンが頑張ってくれた事。それが一番の宝物だと思った。

 

「どう致しまして」

 

声の調子は安定の平坦。でも一瞬、ほんの少し…笑った様な気がした。

 

 

色んな事があったこの世界ともいよいよお別れだ。世界を渡る為の黒い穴を出して、マリンが言う。

 

「次の世界に参りましょう」

 

『おう!今度は暑くない所がいいな〜』

 

「火山地帯だと良いですね」

 

『俺様の話聞いてた??』

 

マリンは返事をせず、俺様を抱き締めて黒い穴に潜る。

 

 

――――次の世界はどんな世界なんだろう。マリンとならきっと大丈夫だ!

World.3 深海の世界

 

「ぶぼぼぼぼ」

 

『マリン無理だこの状況は無理だ喋らなくて良いから大丈夫だから』

 

穴を通った俺様達を待っていたのは、水中だった。池とか川とかそういうんじゃない。すんげー深い。多分海だ。マリンがアンドロイドじゃなかったら終わってたよ。

 

「ばぼー」

 

何言ってるかさっぱり分からんから会話は終わってるけど。

 

『とりあえず、海上に出て態勢を整えよう』

 

​「ぼ」

 

真っ暗過ぎて見えないけど、多分マリンは頷いた。それから上に上にと泳いでいく。

――――おかしいな。

 

マリンが泳ぎ始めてからかなりの時間が経った筈。それなのに一向に光が差してこないし、暗さも変わらない。相当な深さって事なんだろうか?それとも…

 

『まさかこの世界、全部が全部海で出来てんのか?』

 

「ばぼっ」

 

『マリンはどう思う?』

 

「ばぼぼぼぼ」

 

『そっかそっか』

 

成程分からん。どうしたものか。

 

俺様が頭を悩ませていると、マリンが思い出した様に目を懐中電灯モードにした。照らし出されたのは…

 

『んぎゃああああああああああ!?!?!?!?』

 

骸骨だった。

 

「ばぼっばぼっ」

 

『何わろてんねん』

 

こんにゃろう…こんにゃろう…さては確信犯だなおめー…。

 

それはさておきこの骨、元々は何の生物だったんだろう。思い当たるものがない。上半身は人間っぽいけど、下半身は…魚…なのかな…?うーむ分からん…。

 

『ん?どうした?』

 

マリンは急に泳ぎ出して、ライトを消してさっと岩陰に身を潜めた。訳も分からずぽかんとしている俺様と違い何か察しているようで、ある方向をじっと見つめている。

 

――――待つ事暫し。それは現れた。

 

悠々と泳ぐ、超巨大な…いや、超超超超超巨大って言った方が良いかもしれん…とにかく俺様達の数十メートル頭上をとんでもないサイズの魚が通り過ぎていった。

 

なんで魚だと分かったかというと、全身が青白く発光していたからだ。暗い海の中で、こんなに目立つ存在は他にないだろうってくらいに。

 

デカすぎて恐怖を感じたけど、それ以上に幻想的で綺麗だった。

 

『凄かったなあ、マリン!』

 

「ぼぼ」

 

え、えーっと同意してんのかな?そういう事にしとこ。

 

 

デカ魚という脅威が去ったからか、マリンは再びライトを点灯した。

 

相変わらず暗くて静かで不気味だ。でもゾクッとした感覚に、冒険心がくすぐられているのが分かる。平凡で平坦な暮らしをしていた俺様には、未知は余りにも刺激的なのである。

 

 

暫く探索していると、不思議な岩を見つけた。

 

でこぼこした岩肌は所々に穴が空いていて、そこからマリンの頭より大きな泡をぽこぽこと吐き出している。泡はゆったりとした速度で次々と下に落ちていき、深海の闇に染まって見えなくなる。

 

さっきの魚といい、サイズ感がバグってやがるな。しかも泡って言ったら本来下に落ちるものじゃない筈だ。怪しい。

 

「ぼ」

 

『こらこらこらこらこらー!?!?』

 

なんという事をしてくれたのでしょう。マリンさんが泡の一つに頭を思いっきり突っ込んだではありませんか。はーい警戒心ゼロ。何やってんねん勇者かおのれは。

 

「あ。あー。…ふむふむ、これでまともに発音出来ます」

 

うわびっくりした。久々にばとぼ以外喋ってるの聞いた…ってそんなこたぁいいんだよ。

 

『だ、大丈夫なのか?その泡…』

 

「便利だから大丈夫でしょう」

 

『解釈の都合が良すぎる』

 

「多分」

 

『世界一不安を煽る言葉を添えるな』

 

マリンの頭を覆うようにくっついている泡は、割れる気配がない。マリンがつんつん突いてもけろっとしている。相当頑丈みたいだ。流石に俺様にぷすっとされたら破れるだろうけど。

 

『まあ…おかしいと思ったらすぐに言えよ』

 

「心配してくれているのですか」

 

『あ?あったりめーだろ。マリンは俺様の…』

 

「の?」

 

『の…』

 

ちょっと。妙に小っ恥ずかしくなっちゃったでしょうが。言うけどさ。

 

『だ、大事な主人…なんだからよ…』

 

「へー」

 

へーて。

 

『もっとあっただろ良い感じの返答!!』

 

「へー?」

 

『疑問符付けただけじゃねえか!!』

 

マリンのばかばか!!もう言ってやんないんだからね!!

 

 

その後も俺様達は探索を続けた。

 

水圧が強過ぎて俺様が砕ける可能性があったから、あまり下には行かないように気を付けて貰った。ぐぬぬ、不甲斐なし。

 

……あれ?

 

 

『マリン』

 

「ええ、誰かの笑い声が聴こえますね」

 

あ、良かった。聞き間違いかと思っ…いやいや何も良くない。

 

「原住民に違いありません。初名乗りチャンス到来です」

 

なんで乗り気なんだよ鋼メンタルかよ真っ暗な深海で笑い声聴こえてんだぞ。しかも複数。敵だったらどーすんの多勢に無勢だよジ・エンドだよ。

 

そうこうしてる間に笑い声はどんどん近付いてくる。どうやら移動速度が速い。これは逃げられない。鉢合わせ確実だ。

 

 

やばい。

 

 

――――暗闇の向こうから俺様達の前に姿を現したのは、上半身が人間で下半身が魚の化け物だった。

 

数は三体。俺様達を囲む様な位置取りで、まじまじと品定めする様に見ている。

 

上半身が人間って言ったけど、あくまで俺様が一番近いと思った生物が人間ってだけだ。白目の部分が真っ黒な上に目ん玉がギョロギョロしてるし、耳はとんがってるし、歯は鋭いし、肌は青いし、下半身は完全に魚だし、俺様の知ってる人間とはほぼ別物。めちゃくちゃ怖い。

 

「縺ゅ縺溯ェー?」

 

「螟峨譬シ螂ス縺ュ」

 

「謇九謖縺ヲ繧九b縺ョ豌励縺ェ繧九」

 

ひ、ひいぃ!!

 

分かりやすいから仮に人魚って呼ぶけど…人魚達が、形容しがたい音で話し掛けてきた。泡が無くても平気で発音している辺り、体の構造が違うんだろう。

 

「おはようございます。こんにちは。またはこんばんは。自分はマリンスノーと言います」

 

マリンは平然と自己紹介し始めた。と思ったら。

 

「そういえば此処の言語のインストールがまだでした。暫しお待ちを…と言っても、伝わりませんね。やれやれ」

 

やれやれ!!やれやれー!!あー!!うわーん!!どうすんだー!!

 

すると人魚達は、急にマリンを羽交い締めにした。一体が後ろに回って腕を封じ、もう一体が脚に抱き着く。

 

「熱烈な歓迎ですね」

 

『どう考えても歓迎じゃないよ!!襲われてんだよ!!』

 

「おや。どうしたものでしょう」

 

ツッコもうとして、ハッと気付く。残された一体の人魚の視線が、マリンの左手…厳密にはマリンが握っている俺様に注がれているのだ。

 

 

嫌な予感がする。

 

 

「隕九縺ヲ隕九縺ヲ」

 

『わああ!?』

 

人魚は俺様を引っ掴んで、強引にマリンから奪い取った。

 

「邯コ鮗励繧擾シー励蜈縺縺シ」

 

それを聞いた二体の人魚は、マリンを縄みたいなもので岩に括り付けた。そして三体で俺様を囲んで、何やらはしゃいでいる。絶対こんなに嬉しくないハーレム他にない。しかも。

 

『ちょ、おい、お前ら!?』

 

俺様を掴んだまま、人魚達はマリンに見向きもせず泳ぎ始めたのだ。瞬く間にマリンが遠ざかっていく。

 

『マリン!!』

 

駄目だ、距離が離れ過ぎて…。あいつが何か言ってたのに聞こえなかった。

――――俺様、どうなっちまうんだ。

 

連れて来られたのは、人魚達の住処と思わしき場所だった。家とかそういう人工的な造りの物じゃなくて、自然に出来たであろう洞窟。

 

その洞窟の最奥に、俺様は絶賛飾られている。人魚達はまた出掛けたらしく、今は居ない。

 

『はあ…』

 

余りに唐突かつ鮮やかな誘拐捌きに、俺様は思わず溜息を吐いた。考えるまでもなく気に入られたって事なんだろうけど、全然喜べない。泣きたい。

 

しんと静まり返っているせいで、雪が降り積もる故郷を思い出して、ますます気が滅入った。

 

――――どうしよう。

 

マリンが助けに来てくれなかったら、俺様は一生此処で暮らす事になる。真っ暗で静かな死後の世界みたいな場所で、化け物達に怯えて…。そんなの生き地獄でしかない。雪に埋もれてたあの頃の方がマシだ。

 

――――どうしよう。

 

マリンが俺様なんか要らないって思ってたら、俺様を置いて別の世界に行ってしまうかもしれない。武器なんて俺様以外にもいっぱい居るんだ。何処に連れてかれたかも分からない一本の刀の為に、わざわざこんな厳しい環境の中を探し回るなんて時間と労力の無駄だ。

 

どうしよう。どうしよう。どうしよう――――……

 

『…ええい!俺様らしくもねえ!』

 

こんな時こそ、心を強く持たなきゃ。

 

処分される時を待ってた自暴自棄なあの頃とはもう違うんだ。マリンと沢山冒険して、色んなものを見て、そして最後に女神を一緒に倒すんだ。こんな所で終わってたまるかよ。

 

 

――――ああ、マリンに会いたいなあ。

 

 

「海雪さん」

 

会いた過ぎて幻聴が。

 

「海雪さーん」

 

幻覚まで見え始めた。

 

「返事をしなさい。逃げますよ」

 

『マリン!!』

「はいはい、マリンです」

 

マリンは俺様を手に取って、ぎゅっと抱き締めた。

 

『本物?本物のマリン?』

 

「正真正銘モノホンですよ」

 

『うっ、うえぇん…』

 

よ、良かった…本当に良かったよう…。安堵で思わず泣き出す俺様を撫でながら、マリンは言った。

 

「言ったじゃないですか。必ず迎えに行きますと」

 

別れ際に言ってたのはそれだったのか。

 

「全く、マナーのなってない原住民でしたね。人の物を取ったら泥棒だって学校で習わなかったのでしょうか」

 

『学校ないと思う』

 

「…」

 

『…』

 

「全く、マナーのなってない原住民でしたね。人の物を取ったら泥棒だって親に習わなかったのでしょうか」

 

何事も無かった様にテイク2始めるじゃん。

 

 

早々に洞窟を抜けて、マリンが口を開く。

 

「世界を渡れるまで、まだ半日程掛かります。それまで原住民に見つからないように頑張りましょう」

 

『おう』

 

「まあ頑張るのは自分だけですが」

 

『俺様を守ってマリンさん』

 

「誰得媚刀」

 

『シンプルな悪口やめて泣いちゃう』

 

うーん通常運転。俺様を安心させる為なんだろうか?だとしたら、とても嬉しい。

 

何気、悪態つきつつも洞窟から距離を取るように泳ぎ続けてくれてるし。居場所がバレないようにか、ライトはちゃっかり消している。

 

『そういえばマリン、さっき人の物を取ったら泥棒って言ってたよな』

 

「はい。それがどうかしましたか」

 

『いや、ちょっと気になる所があって』

 

人の物、って事は…つまり俺様の所有者としての自覚があるって事じゃん?俺様、マリンの物なんだなーって思うとなんか…へへへ。気分上がっちゃうぜ。

 

「確かに。人の物ではなくアンドロイドの物と言うべきでした」

 

そんな細かい所はスルーしていいんだよ真面目かよズレてんのよマリンさん。

 

『俺様が言いたかったのはそうでなくて!マリンが俺様を自分の物だと思ってくれてんだなーってのがいいなーっていう!』

 

「何を当たり前の事を。海雪さんは自分のです。他の誰にも渡すつもりはありません」

 

『イケメン過ぎる…』

 

俺様の主人、イケメン過ぎる…。

 

 

洞窟からかなり離れた頃。ライトを付けたマリンが口を開く。

 

「見て下さい、海雪さん。マリンスノーですよ」

 

『何さ急に名乗り出して………えっ!?』

 

ゆ、雪だ!海の中なのに雪が降ってる!

 

「その様子だと知らなかったみたいですね。深海に降る雪をマリンスノーというのですよ」

 

『へええ!』

 

凄いなあ…海に雪が降るなんて、想像した事も無かったよ。空から降ってくる雪とはまた趣が違って、綺麗で幻想的だ。心が洗われるっていうか…。

 

「まあ種明かしすると雪ではなくプランクトンの死骸なんですが」

 

『ちょ待って知りたくなかった』

 

「ちなみにマリンスノーは別名海雪。つまり自分も海雪さんもプランクトンの死骸という訳です」

 

『こんな事って…こんな事って…』

 

俺様大罪犯しちまったんじゃねえか。

 

『ごめんなマリン…俺様のせいでひでえ名前になっちまって…』

 

するとマリンはきょとんとした様子で言った。

 

「自分は気に入っていますよ」

 

『ほんとに?』

 

「ええ。海雪さんとお揃いですからね」

 

『マ、マリン…』

 

嬉しい事言ってくれるじゃん…物理的に出ないけど感動の涙が溢れそうだぜ…。

 

しかし和やかな空気は、忘れた頃にやって来たあいつらにぶち壊された。

 

「隕九縺代」

 

「霑斐縺ヲ繧」

 

「險ア縺輔縺繧」

 

で、出た!?

 

『マリン!!』

 

「任せて下さい。作戦があります」

 

流石!!頼もしい!!

 

「海雪さん、あれが見えますか」

 

マリンが指さした方向に、光が見えた。青白い光だ。もしかして…

 

『デカ魚…?』

 

「そうです。利用させて貰います」

 

『利用ってどういう事?』

 

人魚達が追ってくるのを確認しつつ、マリンは光を…デカ魚が居る方を目指して泳ぎながら、教えてくれた。

 

「あの図体ですから、相当な量の食料が必要なのは間違いありません。常に餌を求めている筈です」

 

『うんうん』

 

「余裕が無いのですから、きっと選り好みもしないでしょう」

 

『うんうん』

 

「ですので」

 

マリンはデカ魚に追いつくや否や、存在をアピールするかの如くライトをぶち当てた。

 

『成程!デカ魚に人魚達を食ってもらうんだな!?』

 

デカ魚の視線がこっちに向いた。

 

あれ?もしかしなくてもこれヤバくない?

 

「そんな残酷な事はしませんよ。自分、殺生はしない主義です。女神は別ですが」

 

『立派だなー!!俺様自分が恥ずかしい!!で!?んじゃどうすんの!?』

 

デカ魚が巨体をくねらせ…大きな口を開けて俺様達に突進してくる。

 

『ぎゃあああああああああ!?!?!?』

 

「安心して下さい海雪さん」

 

『逃げよう逃げよう逃げようよマリン今からでも遅くないから手遅れかもしれんけど!!!』

 

「このまま食べられましょう」

 

『諦めないでえええええええ!!!!!!!』

 

 

 

――――俺様達は無抵抗に食べられた。

 

幸いにも丸呑みだったので、無傷で体内に入る事に成功した。ぐにょぐにょした通路を滑り台みたいに通り抜けて、恐らく胃の中に到達する。サイズがサイズなだけにとても広い空間だ。

 

「大成功ですね」

 

『大失敗では?』

 

食われたんですよ俺様達?

 

「何を言いますか。これなら原住民も追って来れないでしょう」

 

『あ』

 

た、確かに!?

 

「最強シェルターゲットです」

 

『やったー!!』

…いやいやいや。いやいやいやいや。おかしいおかしい。

 

「あと数時間で世界を渡れますから、それまでお世話になりましょう」

 

と、その時。

壁に添えていたマリンの手がジュッと音を立てた。

 

『今やばそうな音聞こえたけど大丈夫?』

 

「ちょっと溶かされそうになっただけですよ。大袈裟ですね海雪さんは」

 

『ん?俺様がおかしい感じ?』

 

マリンは液体が滲む壁をじっと見つめながら言った。

 

「これは胃液でしょうね。早速消化が始まったみたいです」

 

そっかー。消化がねー。

…………。

 

待って待って待って待って!?!?!?

 

『全然安全じゃないよこのシェルター!!!』

 

「落ち着いて下さい海雪さん。世界を渡ってしまえばこちらのものです。少しの辛抱ですよ」

 

『その間に溶けてなくなったらどうすんの!?』

 

「自分には自動修復機能がありますし、海雪さんは刃物なのでそう簡単には溶けませんし、平気平気。このまま頑張りましょう」

 

途端、何やら胃の中が猛烈に振動し始めた。マリンの体がトランポリンにでも乗ってるみたいに跳ねまくる。

 

「喋ったら舌を噛みそうです」

 

『呑気なんだよなあー!!』

 

胃の中は絶賛カーニバル開催中だし胃液は縦横無尽に飛び交ってるしマリンはこんな時でも平常心だし滅茶苦茶だ。

 

悪夢でも見てるのかな。そうだったらいいのにな――――……

 

 

「お疲れ様です。海雪さん」

 

『…え?』

 

完璧に酔ってげっそりげんなりしてた俺様に、マリンが嬉しい報せをくれた。

 

「時が来ました。世界を渡りましょう」

 

『や、やった〜…おえ…うっぷ…』

 

「沢山の困難に見舞われましたが、乗り切れて良かったです」

 

『確かに乗り切れた困難はあるけど今もまだ困難の中にいるんだよなぁ…』

 

「そういえば以前、海雪さんに井の中の蛙大海を知らずと言いました。でも今の海雪さんは、胃の中の刀大海を知っている…ですね。おめでとうございます」

 

『有難うございます…?』

 

何でこんな時に限って長文お喋りするの?ねえ?マリンさん?

 

「では行きましょうか」

 

そう言うと、マリンはいつもの黒い穴を出現させる。足場がぼよんぼよんの中で穴に座標を合わせ、足からダイレクトに飛び込んだ。

 

 

ほんと、散々な目に遭ったなあ。二度と来たくないよこの世界。

 

でもマリンスノーは本当に感動したし、マリンとの絆を感じられる機会にもなったし…。

 

――――うん、良しとするか。

​World.4 摩天楼の世界

 

深海からおさらばした俺様とマリン。穴の先は、綺麗な青空だった。

 

そう、綺麗な青空。清々しい青と白い雲のコントラストが素晴らしいぜ。

 

 

――――え?

 

 

『俺様達、お空飛んでる』

 

「飛んでいるというより、落ちていますね」

 

ん?

 

んん〜…。

…………………。

 

うん。

 

『ああああああああああああああぁぁぁぁ!!!!!!』

 

落ちてる落ちてる落ちてるもうどうしようも無いくらい落ちてる!!!!!あははは流れ星になった気分〜!!!!! 

 

「海雪さん、大丈夫ですよ」

 

『大丈夫なの!?!?』

 

「自分は落ちのプロです。これまで幾度となく生還してきました」

 

『マリンはね!?マリンはそら大丈夫だろうね!?俺様お前の発言忘れてないからな!!落下で武器壊した前科持ちなの覚えてるからな!!』

 

「はて。そうでしたっけ」

 

こいつ。

 

「そんな事より海雪さん。地面がお出迎えしてくれていますよ」

 

『ゑ』

 

 

鈍い轟音と砂煙をあげて、マリンが着地する。足元にはクレーターが出来ているが、無傷で当然と言いたげな平然とした顔で堂々たる立ち姿を披露している。俺様はというと…

 

『い、生きてる…』

 

マリンががっしりホールドしてくれてたからか、無事だった。

 

「大丈夫だって言ったでしょう」

 

『疑ってすいませんでした…』

 

「特に根拠はありませんでしたが」

 

『ねえ怒っていい?』

 

「この世界はどういった所なのでしょう」

 

露骨に話逸らすな!!でもそれは俺様も気になる。

 

 

故郷じゃ見た事もないような背の高い建物が沢山並んでるのが遠くに見える。何だあの素材。石?よく分からんけど、かなり文明が発達してるのかも。

 

「原住民との遭遇率が高そうですね。言語のインストールを行います」

 

『おう。そうしてくれ』

 

前回みたいなのはごめんだぜ。まじで。

 

 

どうやら俺様達が今居るのは、誰かの家の庭っぽい。白い花が沢山咲いてる。手入れもしっかりされてるようだ。一瞬公園かと思ったけど、クオリティに対して人気が無さすぎだし、遠くにお屋敷みたいな建物が見える。よって敷地内と見て間違いないだろう。

 

ん?これ大丈夫か?不法侵入ではなかろうか?

 

 

「あら、こんにちは。お客様?」

 

 

俺様が内心焦ってると、白い髪の小柄な女の子がマリンに話し掛けてきた。腰まで伸びた髪はカールしてて、後ろに黒いリボンを付けている。服装とか雰囲気的に、お嬢様感満載だ。

 

…あれ?何で俺様はこの子の言ってる事が分かるんだ?

 

「自分は有能なので海雪さんにもお裾分けしたのですよ」

 

俺様の心を見透かしたのかマリンが呟く。成程そういう事か…すげえなアンドロイド。しれっと自画自賛してるのはスルーしとこう。

 

マリンは女の子に向き直る。

 

「こんにちは。自分はマリンスノーと言います」

 

「マリンスノーさん…素敵なお名前ね。私はリリィよ。此処に住んでいるの」

 

リリィちゃん良い子だな〜名前褒めてくれるなんて…。名付け親の俺様まで褒められたみたいで嬉しいぜ。

 

「海雪さん」

 

『どした』

 

「名乗れましたよ。ふふん」

 

ドヤっとる…。

 

『よ、良かったね』

 

おや。リリィちゃんが俺様とマリンを不思議そうに交互に見てる。どうしたんだろ。

 

「マリンスノーさん」

 

「マリンでいいですよ」

 

「じゃあ、マリン…気の所為かもしれないのだけど、貴方以外に男の子の声が聴こえて…」

 

まさか俺様の事?

 

「気の所為ではありませんよ。自分の刀は謎のテレパシー的なもので話し掛けてくるんです」

 

『言い方よ』

 

マリンはずいっとリリィちゃんに向けて俺様を突き出した。

 

俺様の声が聞こえる人間なんて初めてだ。嬉しい。ちなみにマリンは見た目人間だけどアンドロイドだしノーカンです。

 

『初めましてリリィちゃん!俺様、海雪って言うんだ!』

 

「まあ…!元気なご挨拶有難う!海雪くん、とっても綺麗なお名前ね」

 

「いえいえそれ程でもないですよ」

 

『おいこらマリンこら』

 

俺様が自分で言うならまだしもお前が謙遜するのはなんか違うのよ。名前の意味プランクトンの死骸だからそれ程でもないのには同意するけどそれとこれとは別なのよ。

 

「そういえば、マリンと海雪くんはどうして私の屋敷に?」

 

「不時着しました」

 

ちょいちょいちょい!?事実だけどもっと言葉選び考えようね!?リリィちゃん目丸くしちゃってるよ!?

 

「それは大変だったわね…怪我はないみたいで良かったわ」

 

あっ!ホッと胸を撫で下ろしてる!優しい!眩しい!聖人とはまさに彼女の様な人を言うんだろうなって思いました!

 

 

「リリィ。此処に居たのか」

 

 

リリィちゃんの後ろ…屋敷のある方から、真っ黒な格好で真っ黒な髪の男の子…いや女の子?ん?どっちか分からん…が歩いて来た。瞳の色がまるで青空みたいだ。

 

「クロウ」

 

「待たせてすまなかった。買い出しに少し手間取って…」

 

足を止めたクロウくんちゃんは、ここでマリンの存在に気付いたらしい。不思議そうにガン見している。まあどう考えても怪しいよね。

 

「どうもこんにちは。自分はマリンスノーです」

 

「ああ、こんにちは。俺はクロウだ。マリンスノーは…」

 

「お客様です」

 

ちゃうやろがい不審者やろがい。なんで一切の躊躇なくそんな事言えんねん。しかも自分で様を付けんな。

 

「あとマリンでいいです」

 

「そうか。分かった」

 

クロウくんちゃん、さてはかなり流されやすいな。純粋過ぎて疑う事を知らなさそう。心配になる。

 

「ちなみにこちらが海雪さんです」

 

急に振ってくるやん。

 

『はい!!俺様は海雪さんです!!』

 

聞こえる訳ないけど元気よくいくぞー!ヤケクソだー!

 

「海雪さんは喋る刀なんだな。そういえば、おもちゃ屋さんで似た様なのを見た事がある」

 

あれっ聞こえてんの!?さんまで入れて名前だと思ってないか、この様子!あと俺様おもちゃじゃなくてマジモンの刀なんだけどなー!?

 

ま、まあいいや。マリンが通報されたら困るもん。

 

「ところでクロウ、オルカは?」

 

「中で荷物の整理をしてる。早く戻って手伝わないと、うるさいと思う」

 

「ふふ、じゃあ行きましょうか。マリンと海雪くんも上がって頂戴」

 

『いいの!?』

 

「ええ、折角の縁だもの。ここでお別れなんて寂しいわ」

 

「よーし雑談でもしましょう」

 

名案とでも言いたいんだろうか、マリンは遠慮なくノリノリでリリィちゃんについて行く。相変わらず表情は無だけど。肝の座りっぷりが我が主人ながら恐ろしいぜ…くわばらくわばら。

 

 

 

マリンはリリィちゃんとカーペットが敷かれた長い廊下を歩く。クロウくんちゃんはオルカって人を呼びに行っている。作業を手伝うから少し遅くなるそうだ。

 

窓が沢山あるし、壁紙は模様がすんごいし、照明は豪華な装飾がされてるし、相当立派だ。掃除してる人達と度々すれ違ったけど、納得する。やっぱり大きな屋敷ともなると沢山従業員がいるんだなー。

 

 

移動の最中、リリィちゃんが数ある内の一つの扉の前で立ち止まった。マリンの背丈の二倍くらいありそうな大きな扉だ。それを開けながら、リリィちゃんは此方に振り返る。

 

「さあ、どうぞ」

 

『お邪魔しまーす!』

 

「邪魔する気満々だなんてとんでもないですね海雪さん」

 

『言葉の意味そのまま​受け取るなよ礼儀なんだよこれは』

 

「知ってますよ」

 

『知ってんのかよ』

 

いつものノリのやり取りを繰り広げていると、リリィちゃんが温かな眼差しでこう言った。

 

「貴方達は仲が良いのね」

 

『えっ』

 

俺様とマリン、仲良く見えるんだ。えへへそっか…。第三者からの声って、自信に繋がるなあ。

 

「海雪さんと自分は運命共同体と書いて道連れと読みますからね」

 

『物騒なんよ』

 

そして重いんよ。嫌じゃないけど。

 

…嫌じゃないけど!!

 

 

通された部屋は所謂応接室っぽかった。

 

「好きな所に座って」

 

リリィちゃんの言葉に頷いて、マリンはソファの一つに腰掛ける。俺様は隣にぽんと置かれた。

 

「ふかふかですね。海雪さん」

 

『おう!沈み込むぜ!』

 

はしゃぐ俺様達を見て微笑んでいたリリィちゃんが、向かい合う様に置かれたソファに腰掛けて口を開く。

 

「そうだわ。マリン、好きな飲み物はあるかしら?」

 

すると我が主様は、間髪入れずに爆弾発言を投下した。

 

 

「ガソリンですかね」

 

 

「ええっ!?ガソリン!?」

 

『ガソリン!?!?』

 

アンドロイドってそういうもんなの!?初耳なんだが!?

 

「なーんちゃって」

 

いや嘘かい!!マリンならワンチャンありそうで信じかけたじゃねえかよ!!

 

「ガソリン…屋敷にあるかしら…灯油ならあるかもしれないのだけど…とりあえず使用人さんに聞いてみて…」

 

マリンのネタばらしが聞こえてなかったのか、リリィちゃんは真剣な顔で考え込んでいる。騙されてて可愛い。

 

『…ん?』

 

忙しない足音が聞こえたと思った途端、勢い良く扉が開いた。

 

 

「不審者を易々と招くな!!」

 

 

「あら、オルカ。クロウも。早かったわね」

 

「荷物放ったらかして来たに決まってるだろう!!」

 

にこにこのんびりしているリリィちゃんと対照的に、オルカさんはめっちゃ焦っていた。うん、至極真っ当な反応。

 

「リリィもクロウも!本当にお前達は他人を疑う事を知らない!!」

 

「でもそういう所が?」

 

「好き……おい何を言わせるんだ」

 

マリンの合いの手に乗せられてオルカさんが口を滑らせた。それを聞いたクロウくんちゃんとリリィちゃんが、ぽわぽわとお花を浮かばせながら口々に言う。

 

「オルカ。俺も好きだ」

 

「私も、オルカの事大好きよ」

 

「ばか!やめろ!人前だぞ!」

 

お、照れてる照れてる。いつもこんな感じなのかな。なんか和む。

 

オルカさんとクロウくんちゃんは、リリィちゃんを挟んでソファに腰を下ろした。するとすかさずマリンが口を開く。

 

「どうもオルカさん。自分はマリンスノーです。マリンと呼んで下さい」

 

「はいはいマリンね…どうも…」

 

呆れた顔でオルカさんは返事をしてくれた。クロウくんちゃんとリリィちゃんの事を信用してるからか、どうやら警戒を多少は解いてくれたみたいだ。

 

「こっちは海雪さんです」

 

『海雪です…すみませんうちの主人が…』

 

「随分まともそうな刀だな」

 

『有難うございます…』

 

当たり前のように俺様の声届いてるけどもう驚かないぞ。

 

 

そうこうしてる内に、リリィちゃんがいつの間にか手配を済ませていたらしく、飲み物が運ばれてきた。

 

「ごめんね、マリン。やっぱりガソリンは無かったみたい…」

 

「構いませんよ」

 

湯気がもわもわしてる熱々の紅茶を一気飲みした後、マリンは相変わらずの無表情でそう言った。

 

そりゃ構わないだろうね。嘘だもんね。本当に運ばれて来てたらどうするつもりだったんだこいつ…いや、平然と飲み干す姿が容易に想像出来るな…。

 

「ガソリンってどういう事だ?マリンはガソリンを飲むのか?」

 

両手で紅茶のカップを持ってふーふー冷ましていたクロウくんちゃんが、聞き流せない話題だったのか動作を止めて食い付いた。

 

「そうみたいよ」

 

「…美味いのか?ガソリン」

 

「体に良くなさそうだけど、お酒も毒にも薬にもなるって言うから…似たような物なのかもしれないわね」

 

「成程」

 

あ、天然記念物達の会話、ツッコミ役が居ないと何処までも暴走していきそう。

 

「まさか飲んでみようなんて思ってるんじゃないだろうな」

 

足を組んで優雅に紅茶を堪能していたオルカさんが、見かねたのか口を挟んだ。

 

「あんなもの、自分の意思で口に含むべきじゃない」

 

付け加えられた言葉が余りにも意味深過ぎるんだけど…もしかして飲まされた事あるの…?罰ゲームの類と考えても度が過ぎてない?オルカさんって一体。

 

「クロウさんとオルカさんは兄弟なのですか?」

 

『「唐突過ぎるだろ」』

 

あ、オルカさんとハモっちゃった。だってそういう流れじゃなかったじゃん。なんで変化球を死角から投げつけるような事すんのよ。空気重くなりそうだったから結果的にはナイスだけど、マリンさん絶対気分で言ったよね。分かるよ俺様は。

 

「いや、俺はオルカのクローんぐっ」

 

クロウくんちゃんが律儀に答えようとしてくれたけど、瞬時に移動したオルカさんに片手で口を塞がれてしまった。二人は小声で会話してから、再び俺様達に向き直る。

 

「マリンの言う通り兄弟だ」

 

――――絶対打ち合わせしてましたよね?

 

俺様個人の感想としては、オルカさんの見た目はクロウくんちゃんを大人にしましたーみたいな感じ。親族でもここまで似るか?ってくらい、顔のパーツが似てる。目はちょっと印象が違うけどね。オルカさんのはなんていうか、マリンみたいな海の色って感じがする。

 

とりあえず、触れてはいけない事情っぽいから兄弟って事にしとこう。人様のプライベートに足を突っ込むべきじゃない。

 

「そうなんですね。ぶっちゃけそっくり過ぎて兄弟超えてコピーなのかと思いました」

 

ああっ!?オルカさんが紅茶を噴き出したぞ!?もう完全に黒じゃんこんな反応!!せっかくスルーしようとしたのに!!

 

『こらマリン!変な事言うんじゃありません!』

 

「失敬失敬」

 

反省の色が欠片も見当たらない謝罪をするマリンさん、流石です。ちなみに感心ではなく呆れから言っています。

 

噎せて咳込んでるオルカさんの背中を、心配そうにリリィちゃんがさすっている。うーむ、保護者と被保護者がくるくる変わる三人組だ。

 

「わ、私からも質問があるのだけど良いかしら?マリン」

 

うっ…リリィちゃん…健気だ…。困った様な表情から何とか話題を変えようとしてるのが存分に伝わってくる。ほんとごめん。まじでごめん。

 

「良いですよ。スリーサイズでも何でも聞いて下さい」

 

リリィちゃんがどういう理由でお前のスリーサイズ知りたいと思うんだよツルペタボディのマリンさんよ。

 

「ええっ!?」

 

顔を赤くしたリリィちゃんは、首を勢い良く横に振る動作で全力で否定した。するとマリンは肩を竦めて首を傾げる。

 

「測った事ないので自分も知らないんですけどね」

 

お前……いや、お前〜!!マリンワールドは慣れてない人からしたら付いて行けなくて困惑の極みになるのを自覚して〜!!

 

『マリン。ええ加減にしなさい』

 

俺様が咎めると、マリンはええ加減にするという意思表示なのか口を尖らせた。全くこのアンドロイドは…。

 

リリィちゃんは俺様に軽く会釈をしてから口を開く。

 

「えっとね、私が聞きたかったのは…マリンと海雪くんが、普段何をしてるのかなぁって」

 

マリンがちらりと俺様を見る。どうやら同じ事を考えてるようだ。

 

「旅です」

 

『旅だね』

 

すると、リリィちゃんの表情がパッと明るくなった。

 

「まあ!私達も同じよ!」

 

『そうなんだ!じゃあ仲間だな!』

 

旅仲間〜!とリリィちゃんとキャッキャしてたら、持ち直したらしいオルカさんが、ソファの手すりに頬杖をつきながら言った。

 

「リリィは、厳密にはこれからだけどね」

 

「そうなのですか」

 

マリンの珍しくまともな相槌に頷いて、クロウくんちゃんが付け加える。

 

「俺とオルカが元々二人で旅をしていて…大人になったらリリィも一緒にと約束していたんだ」

 

「今日はその準備をしていたのにいつまで経っても誰も手伝いに来ないし思わぬ来客もいるし散々だよ私としては」

 

「拗ねないでくれオルカ」

 

「別に拗ねてない!」

 

苦笑するクロウくんちゃんとムキになってるオルカさん。身長の差がえぐいのに精神年齢が逆転してるみたいで面白い。

 

それはさておき、買い出しとか荷物がどうこう言ってたのはそういう事情からか…。

 

『邪魔してすいません…』

 

「さっき言った通りちゃんとお邪魔してますね、海雪さん。まさに有言実行」

 

『お前も邪魔してるんだからな?』

 

更に言うと余計な心労与えて俺様より迷惑掛けてるからな?

 

「まあまあ、落ち着いてくれ海雪さん」

 

「どうどう」

 

「邪魔だなんて思ってないわ。気にしないでね」

 

『有難う…』

 

フォローが沁みるぜ…。しれっと馬扱いしてたマリンは絶許。

 

「まあ私達の場合、目的は特にないし、旅と言うよりは旅行というか…暇潰しみたいなノリだけどね」

 

オルカさんの皮肉交じりの言葉に、リリィちゃんが頬を膨らませる。

 

「もう!そんな言い方して。私すっごく楽しみにしてたのよ」

 

「大丈夫だリリィ。昨日オルカ、やっとだって嬉しそうにしてたからな」

 

「余計な事は言わなくて良いんだよ」

 

「ふふ、オルカってば」

 

リリィちゃんがくすくす笑うと、クロウくんちゃんも微笑んだ。オルカさんも、口は素直じゃないけど二人から背けた顔は喜びを隠しきれてない。ほんと仲良しなんだなあ。

 

「ちなみに自分達には目的があります」

 

マリンが挙手すると、リリィちゃんが発言を促してくれた。

 

「そうなのね!是非聞かせて欲しいわ」

 

――――俺様は夢にも思わなかった。まさかマリンの一言で、和やかな空気が一瞬で凍りつくなんて。

 

「女神を殺す事です」

 

 

クロウくんちゃんは気まずそうに、リリィちゃんは悲しそうに、オルカさんは苦虫を噛み潰した様な表情で…それぞれ沈黙してしまう。

 

――――数秒後、オルカさんは部屋から出ていってしまった。

 

「トイレですかね」

 

マリンが小声でそう言ってくる。空気読めないこの鈍感さが、大失態に肝が冷えている俺様の心を少しだけ軽くした。

 

「クロウ、オルカの所に行ってあげて」

 

「分かった。リリィ、二人に…」

 

「ちゃんとお話するわ」

 

頷いたクロウくんちゃんも、続けて退室する。残されたリリィちゃんは、申し訳なさそうにしていた。

 

「…ごめんね、びっくりしたでしょう」

 

『いや、こっちこそごめんな。失言だったみたいで…』

 

リリィちゃんはふるふると力無く首を振る。そして、言うべきか躊躇う素振りがあったけど、やがて意を決したようにぽつりぽつりと話してくれた。

 

「昔、女神様にね。オルカは凄く、凄く……酷い事をされたの」

 

 

 

リリィちゃんが教えてくれたのは、耳を疑う程に残酷な事実の羅列だった。

 

 

『そんな…事が…』

 

何とか絞り出せた言葉がこれだ。本人がこの場に居ないとはいえ、同情するのもおこがましい。だって、俺様はオルカさん程の壮絶な絶望を味わった経験がないから。今幸せそうなのが本当に救いだけど、悪気はなかったとはいえ女神ってワードを出してしまったのは、大戦犯と言う他ない。

 

『…後で一緒に謝ろう』

 

マリンが頷いたタイミングで、クロウくんちゃんが戻って来た。オルカさんは…居ない。

 

「暫く一人になりたいらしい」

 

クロウくんちゃんは眉の下がった辛そうな顔をしつつ、リリィちゃんの隣に座る。それを確認してマリンは口を開いた。

 

「…そちらの事情を聞いた以上、自分達も包み隠さず話すのが礼儀です」

 

『俺様もそう思う』

 

クロウくんちゃんとリリィちゃんが頷いたのを確認してから、マリンは自分がアンドロイドである事。課された絶対命令の事。それを遂行する為に世界を転々としている事。

 

――――その全部を話した。

 

「女神を殺すと言っておいて、自分には女神に関する情報がありません。記憶データの欠落により、以前に何か知っていたのか…それすらも分かりません。だから女神と接触した過去をお持ちの貴方達に、少しでも女神の事を教えて欲しいのです」

 

こんなに真剣そうなマリン、初めて見た。

 

『二人共…良かったら、お願いします』

 

クロウくんちゃんとリリィちゃんは、すぐには首を縦に振ってくれなかったけど…暫くして、クロウくんちゃんが口を開いた。

 

「マリンと海雪さんは、女神を…イオニアを殺すのが目的なんだよな」

 

「はい」

 

「だが…」

 

クロウくんちゃんは瞼を閉じて、ゆっくりと開いた。幼い外見に不相応な憂いの色を帯びた瞳が、俺様とマリンを捉える。

 

 

「イオニアは、誰にも殺せないんだ」

 

 

『…え?』

 

「リリィから聞いた話だけでは、分からなかったと思う。イオニアの異質さが垣間見えたのは、リリィの意識が無かった時だから」

 

おいおい、嘘だろ。

 

「残念だが、イオニアを切るのは水を切るのと同義で…刀の海雪さんでは、とても殺せるとは思えない」

 

そんな。

 

「そもそも、どんな手段を使っても無理なんだ。イオニアは不老不死だって、オルカが言っていた。だから…イオニアに挑んでも…」

 

クロウくんちゃんは言葉を濁した。考えなくても分かるよ、わざとだって。気を遣ってくれたんだ。

 

――――女神は不老不死。

 

…はは。そんな奴、勝てっこない。死なない相手は殺せないんだから。

 

「イオニアの性格からして、ただ返り討ちにするとは思えない。オルカは何千年も苦しまされたんだ。だから殺されるよりも…もっと辛い事が起きる気がする」

 

クロウくんちゃんの言葉は思いやりに満ちていた。生き地獄を味わう必要は無いって言ってくれてるんだ。出会って半日も経ってない俺様達を、こんなにも案じてくれているんだ。

 

「…マリン、海雪くん。女神様には関わらないで。私、嫌よ…貴方達が傷付くなんて…嫌…」

 

リリィちゃんも、優しい警告をしてくれた。

 

「触らぬ神に何とやら、ですか」

 

マリンはソファの背もたれに身を預けて、天井を見上げる。

 

「しかし、絶対命令に背いてしまっては欠陥品のアンドロイドになってしまいます」

 

ぽつりと呟かれた言葉に、クロウくんちゃんが過剰なまでに反応した。勢い良く立ち上がって、拳を握り締めている。でもその表情は怒りではなくて、哀しみに満ちていた。

 

「命令に背いて欠陥品と呼ばれたとしても、それでいいんだ。その結果待っている未来が、不幸なものとは限らないんだから」

 

「有難うございます。ですがやった後悔よりやらない後悔の方が、自分は嫌です」

 

マリンはそれから何も言わなかった。信念を貫くという意味だろう。諦めるという選択肢は、マリンの中に無いんだ。

 

…俺様、どうすれば良いのかな。

 

負けると分かってて戦いに挑もうとする馬鹿な主人を止めるべきだ、とは思う。でも、マリンが決めた事を否定する権利は誰も持っていない。

 

自分の人生なんだから、本人が決めるべきだ。

 

「海雪さん」

 

『な、なんだ?』

 

「降りるなら、今の内ですよ」

 

マリンは真っ直ぐ前を見据えたまま、そう言った。温かくもなく、冷たくもない声だった。

 

「女神に海雪さんが通用しないとなれば、お荷物にしかなりませんから」

 

「マリン…!?何を…海雪さんは君の…!」

 

信じられないといった様子のクロウくんちゃんを、リリィちゃんが止める。見つめ合うだけで何も言葉は交わされなかったけど、リリィちゃんの意図を察したらしいクロウくんちゃんは口を閉じた。

 

――――俺様は答える。考える前に言葉が飛び出した。

 

『何言ってんだマリン!!俺様は世界一の名刀だぞ!?女神くらいすぱぱーっと切り捨て御免にしてやれるんだぜ!!』

 

嘘だ。虚勢だ。見栄だ。自称だ。

 

付いて行っても、俺様はマリンの力になれない。

 

だけどよ。

 

それが何だって言うんだ。たった一人で行かせられる訳ないだろ。大事な主人に最後まで付き添わずにのうのうと生きるなんて、それこそ生き地獄だ。

 

…とは思うけどさ。やっぱ怖いよ女神。何されるか分かんないんだもん。そんな恐ろしい奴探すより、マリンとのんびり楽しく暮らしていきたい。

 

でもきっとマリンは了承してくれない。ずっと俺様の夢は叶わない。それでも、いい。

 

 

『一緒に行こう』

 

 

マリンは俺様を手に取って、ぎゅっと胸に抱き寄せた。

 

「せっかくチャンスをあげたのに。本当に仕方がないですね」

 

『お前が言ったんだぜ?誰にも渡すつもりないって』

 

「ふふ。そうでしたね」

 

珍しく過去の自分の発言認めるやん…っていうか今!!笑った!?笑ったよね!?顔見えなかったけど!!くそー!!

 

 

その後、二人から女神の外見的特徴等、知っている限りの色んな事を教えて貰った。

 

何もお返し出来ない挙句、散々迷惑掛けた上にこれ以上居座るのは失礼だ。お礼を言って部屋を出ると、正面の壁にオルカさんが寄りかかっていた。俺様達に気付いて、俯いていた顔を上げる。

 

「行くのか」

 

「はい」

 

『さっきの失言…本当にごめんなさい』

 

「ごめんなさい」

 

「…別にお前達のせいではないし。それに全部終わった事だから」

 

視線を逸らして頭を掻きながら、オルカさんは続けた。

 

「私の方こそ、すまなかった」

 

うう…オルカさん…良い人…。

 

感動してたら、閉じた筈の扉が凄い勢いで開いた。飛び出して来たリリィちゃんとクロウくんちゃんが口々に言う。

 

「マリン!断られたけどどうしても我慢出来ないわ…お見送りさせてちょうだい!」

 

「そうだそうだ。水臭いぞ」

 

『「マリンなだけに?」』

 

…やっぱりオルカさんとは感性が合うのかもしれん。

 

 

温かな三人に見送られ、俺様達は屋敷を後にした。

 

 

 

「さて海雪さん。時間までどうしましょうか」

 

『そうだなあ…とりあえず散策してみようぜ』

 

世界を移動出来るようになるまでの暇潰しには、やっぱりそれが最適だ。

 

 

黒い石みたいなもので固められた地面を行く。立ち並ぶ背の高い建物は、沢山の窓が規則正しく並んでいて、無機質な印象を受けた。だけど所々に木が生えてたりして、自然の要素もちゃんとある。何より特筆すべきは…

 

「原住民まみれですね」

 

『それな』

 

まじで多い。殺風景な世界ばかり訪問してたから尚更そう思うのかもしれんけど、俺様史上最大の密度で人間が配置されてる。すんごい窮屈。あと髪型も服装もそれぞれバラバラでチカチカするし、色んな音が色んな方向から飛び交ってきてクラクラする。

 

「静かな場所を探しましょうか」

『うん…』

 

暫く行くと、空き家を見つけた。空き家と言っても別段おんぼろではなくて、他の建物と見た目は変わらない。

 

「テナント募集中と書いてありますね」

 

『てなんとって何だ?』

 

「さあ。お客様という事にしておきましょう」

 

お客様募集中だから入ってもOKって本当に解釈の都合が良過ぎるんですよ。

 

『勝手に入って怒られない?』

 

「その時はその時です」

 

わーお大胆不敵。

 

 

ズカズカと上がり込んだマリンは、そのまま屋上まで上った。

 

――――気付けば、辺りはすっかり暗くなっていた。

 

高い所に居るからか、喧騒が遠くに聞こえる。まるで切り離されたみたいで、不思議な感覚だぜ。

 

「ふむ。良い眺めです」

 

手すりに寄りかかったマリンが感想を口にする。

 

成程確かにこれは凄い。建物の明かりが窓から漏れて輝いてる。

 

『綺麗だな』

 

「地上の星とは言い得て妙ですね」

 

星で思い出して空を見上げると、そこには沢山の星が散りばめられていた。

 

『マリン!上!凄いぞ!』

 

「おや。本当ですね」

 

暫く見とれてたら、なんと俺様は目撃してしまったのだ。

 

『あー!流れ星!』

 

そう!流れ終わる前に3回願いを言ったら願いが叶うという!あの!流れ星だ!

 

『願い事言わなきゃ!』

 

「海雪さん」

 

『何!?今忙しいから後にしてくんない!?』

 

ぬあー!!流れ終わっちゃった!!

 

「流れ星と言いますが、星じゃなくて塵なんですよ」

 

『そうなの!?』

 

「あとはしゃいでいましたが、流れ星は死を意味するとも言われているんですよ」

 

『そうなの!?!?』

 

流れ塵不吉にも程があるだろ。喜んだ俺様が馬鹿だった。

 

とか思ってたら、流れ星が次々と!

 

「今日は流星群の日なのかもしれませんね」

 

『世界の終わりだ〜』

 

「これだけ流れていれば願い事の一つや二つ叶うかもですよ。レッツトライ」

 

『散々俺様の流れ星への評価下げといてよく言うよ』

 

まあいいか…物は試しだ。

 

『女神に会いたくない!女神に会いたくない!女神に会いたくない!』

 

「海雪さん殺る気ありますか」

 

ないです。やる気も殺る気もないです。無理だと思ってます。それに女神に会った時点で俺様とマリンの旅って終わっちゃうじゃん?やだもんそんなの。

 

…それと!

 

『人間になりたい!人間になりたい!人間になりたい!』

 

「そんな野望があったのですか」

 

野望言うな。夢と言え。

 

人間になれたら、手も足もあるじゃん?自由に動けるなんて最高だし、マリンに俺様から触れるし、良い事しかないよ。

 

 

相変わらずの無表情でじーっと見つめられながら、流星群が終わるまで、俺様は願い事を叫び続けた。

 

――――その努力に意味なんて無かったと、間もなく思い知らされるとも知らずに。

World.█ ██の世界/前編

 

雪がしんしんと降り積もっていく。淡々と、黙々と、それが定めであるかのように。

 

――――見慣れた光景だ。

 

雪が絶えないこの国は、常に曇天に包まれている。

 

 

…故郷に帰って来た。

 

それだけなら別にどうと言う事はなかった。問題はそこじゃない。

 

 

「女神は、この世界に居ます」

 

 

マリンの呟いた、残酷な事実だ。

 

 

俺様は頭が真っ白になって、雪の中を迷いなく進むマリンに声を掛けられずにいた。マリンは間違いなく、女神の居る場所を目指している。

 

止めなきゃ。

 

そう分かってるのに、言葉が出てこない。

 

 

 

壊れた玩具みたいに一定のペースで前進していたマリンが、ようやく足を止めた。

 

俺様がかつて感動した、凍った滝の前だ。

 

 

マリンはじっと動かない。

 

何も言わない。

 

世界から音が消えたみたいに、辺りはしんと静まり返っている。

 

そんな中、背後から声を掛けられた。

 

 

「見事だろう、この滝。昔ボクがやったんだ」

 

 

何でもない世間話をするように、そいつはとんでもない事を言う。

 

「そうなのですね」

 

何でもない世間話を聞いたように、マリンは振り向かずに相槌を打つ。

 

「久し振りに見たくなって来たんだけど、やっぱり良いものだね。本来流れ続けている筈の滝が己の意思に反して完全に静止させられている…強制的に、だ。さぞ悔しかろうと思うと、何だか楽しくなって来ないかい」

 

「賛同しかねる意見ですね」

 

「そう?それは残念」

 

指を鳴らす音が聞こえたと思えば、凍っていた筈の滝が勢い良く流れ始めた。落下した水が起こす轟音が響き渡る。

 

マリンが振り返った先に居た声の主は、張り付いたような笑みを浮かべながら、ふわふわと宙を漂っていた。

 

漆黒のドレス。生気のない真っ白な肌。青い瞳は暗く、重く、光の届かない深海を連想させる。リボンで束ねられたツインテールは重力を無視するかのようにうねっている。額からは水で出来た角が生えている。

 

クロウくんちゃんから聞いた特徴と完全に一致した。

 

 

――――女神イオニア。

 

 

「本来の形に戻した途端、物珍しさが瞬く間に消失して何処にでもある滝の一つに成り下がってしまった。あーあ、つまらないね。ありふれた物というのは本当に本当に本当に…つまらない」

 

女神は滝を横目で見て溜息を吐く。心底がっかりしたと言いたげな、わざとらしい素振りで。

 

「だからボクは面白い物語を心の底から愛している」

 

そう告げた女神は、マリンを見据えて静かにこう言った。

 

「やっとまた会えたね」

 

また…って…女神はマリンと面識があったのか…?

 

次から次へと疑問が溢れてきて困惑している俺様を、心配するなと言うようにマリンが強く握る。

 

「自分と貴方は初対面です」

 

断言に女神は首を傾げた。

 

「それは随分な冗談だ」

 

雪に勝る冷たさの声に、無い背筋が凍る。

 

「冗談ではありません。惑わそうとしても無駄ですよ」

 

マリンの肝の座りっぷりに改めて感心する。恐ろしい相手を前に堂々と発言するなんて、普通出来ない。

 

女神は音もなく角の先がマリンの額に触れそうな距離にまで近付くと、じっと瞳を見つめた。

 

「…嘘ではない、か」

 

そう呟いてくるりと踵を返した女神は、肩を震わせたかと思えば声を上げて笑いだした。

 

「あはははは!予想外だ!」

 

笑い転げる女神に、マリンは声を掛ける。

 

「申し訳ないのですが、自分は記憶データに支障をきたしています。ですので、貴方の事も存じ上げません」

 

すると女神は感心したように目を輝かせた。

 

「記憶データ…そっかぁ!そこまではカバーされなかったのか〜」

 

「…どういう事です」

 

 

意味深な発言にマリンが疑問を呈したその時、マリンの胸からバキバキと鈍い嫌な音が聞こえた。

女神がマリンの胸の辺りに手を突っ込んだのだと遅れて理解する。余りにも一瞬の出来事だった。マリンは受け身をとる素振りすら見せず、呆気なく倒れる。従って、俺様も雪の上に放り出される。

 

「これはね、ボクの力の…ほんの一部」

 

引き抜かれた手が持っていたのは、1センチに満たない程の青い宝石だ。マリンが倒れたという事は、これがマリンの心臓に等しいに違いない。

 

「おっと、聞こえないか」

 

女神はマリンに宝石を戻す。すると壊された箇所がみるみる内に直っていき、やがて何事も無かったように元通りになった。マリンがむくりと上半身を起こすと、女神は話を再開した。

 

「…ボクの宝石の破片が動力源になっているから、キミは何があっても壊れる事は無い。壊れたそばから直るからね。身に覚えがあるだろう」

 

マリンは自動修復機能があるって言ってたけど、それは女神の力によるものだったのか。余りにも便利過ぎると思ってたけど、それなら納得がいく。

 

「だけど残念、頭の方は直らないみたいだ。所詮破片だからなのかな」

 

実験動物でも見るかのような、興味深そうな目付き。

 

駄目だ、完全に弄ばれている。殺すとか言ってる場合じゃない。既にマリンは為す術もなく、さっき実質殺された。 

 

『逃げよう、マリン…早く』

 

恐怖に苛まれる中で何とか絞り出した提案を、マリンは無視する。そして。

 

「つまり貴方の弱点はそこだという事ですね」

 

女神の胸元に埋め込まれた、マリンの持つ宝石の破片を何十何百何千何万掻き集めてようやくそのサイズになるだろう青い宝石を指さして、そう言い放った。

 

「試してみるかい?」

 

女神の余裕は崩れない。弱点というのが本当なのか嘘なのか、判断出来ない。仮に本当だとして、宝石の大きさが力の差の現れなのだとしたら…弱点が分かった所で、依然マリンと俺様に打つ手はない。状況は好転しない。

 

それが分かっているのか、マリンは沈黙した。女神はにんまりと笑みを深くして、パンパンと二回手を叩く。

 

「さあさあ、忘れん坊の為に昔話でも聞かせてあげようじゃないか。言っておくけど、全て真実だというのを念頭に置いてくれよ?」

 

女神はそう前置きをして話し始めた。

 

 

 

むかしむかし、人間とアンドロイドの暮らす世界がありました。

 

アンドロイドは人間が作った便利な機械で、人間の命令に忠実に従う意思無き無機物でした。見る事も聴く事も動く事も話す事も、人間に促されない限り不可能でした。許されませんでした。それでも問題ありませんでした。

 

アンドロイドには心が無かったからです。

 

命令を聞かない事があったとしても、それはただ壊れてしまったから。修理すれば問題ありません。修理しても直らなければ、欠陥品として捨ててしまえば問題ありません。大きな機械で潰して粉々にして塵にしておしまいです。

 

 

問題ありません。

 

 

見た目は人間にそっくりなのに、命の重さは比べ物にならない程に軽かったのです。

 

 

アンドロイドにはそれぞれ所有者が居ました。アンドロイドの役割は様々で、家事をしたり仕事の手伝いをしたりする物もいれば、主人のストレス発散の為のサンドバッグになる物がいたり、性の捌け口に使われる物もいました。怪我をしても治療費なんて要らない。子供ができるかもという心配も要らない。飽きたら捨ててしまえば良い。言ってしまえば、デメリットのないとても便利な道具だったのです。

 

アンドロイドと友好的に接する人間は、道具とコミュニケーションを取る頭のおかしい奴だと疎まれるのが常識でした。

 

無機物と親しげにお話する人間が居たら、誰だって怖いでしょう?

 

 

アンドロイドに心が無いから成り立っていた。そんな世界に、楽しい事が大好きでお茶目な女神様は水を差してあげました。

 

アンドロイドに心を与えたのです。

 

その一滴の気まぐれは、やがて世界を破滅に導きました。

 

 

人間からの仕打ちに激昂したアンドロイド達は、積もり積もった不満から人間を根絶やしにしました。

 

そして、アンドロイドだけの社会を築き上げました。けれどそう上手くは行かなかったのです。

 

だって気付いてしまいましたから。心があったら人間と同じだと。

 

 

ああ。

 

 

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!!!

 

過去人間に酷い扱いを受けていたアンドロイド達は発狂し、互いに互いを壊し始めました。

 

しかし、中には異質なアンドロイドも居たのです。貴重で希少な、人間に恨みを持っていないアンドロイドでした。望んだものの子供に恵まれなかった温かな老夫婦に買われ、家族の一員として平和に暮らしていたアンドロイドでした。

 

とはいえ、そのアンドロイド一体で自我の崩壊したアンドロイド達を救う事は出来ません。例外に漏れず争いに巻き込まれ、壊れる寸前になってしまいました。

 

そんなアンドロイドの耳元で、女神様は告げました。

 

 

アンドロイドに心を与えたのはボクだよ。

 

 

それを聞いて、アンドロイドは強く思いました。このままでは死ねないと。

 

その意志に胸を打たれた女神様は、アンドロイドに自分の力の一部を分けてあげました。行く末を見届けたいと考えたからです。

 

 

全てが終わり静かになった世界で、アンドロイドは己に絶対命令を課しました。死んで行った家族や同胞達の無念を晴らす為、必ずや女神を殺すと誓いました。

 

こうしてとあるアンドロイドは表情を押し殺し、女神様から与えられた力を使って、滅んだ故郷を後にするのでした。

 

 

 

「このアンドロイドの運命や如何に!」

 

両手を大袈裟に広げた女神が、高らかにそう言った。

 

「続きが気になりますね。海雪さん」

 

呆気に取られていた俺様は、明らか当事者なのに他人事ムーブなマリンの発言に急に冷静になる。

 

『そのアンドロイド、お前の事だと思うよ』

 

「マジですか」

 

『残念ながら…』

 

「あらまあ」

 

すると俺様達のやり取りを見ていた女神が、楽しそうに口を挟んできた。

 

「アンドロイドが刀と喋ってる!面白い!」

 

「見世物じゃありませんよ。見物料払って下さい」

 

『金要求するのは見世物を自負してるのと同義なんよ』

 

「あはは!何この刀!ツッコミがキレッキレじゃん!」

 

なんか褒められた。

 

「キミ達ってやっぱ仲良い訳?」

 

「道連れと書いてマブダチと読みますよ」

 

「そっかあ!」

 

急に仲良しなノリになりだしたと思ったけど、やっぱり女神。そんな事は無かった。

 

 

「その刀が壊れたらキミはどんな反応をするのかな」

 

 

あ、やばい。

 

女神が俺様に手を伸ばして来た時、マリンが抱き締める形で庇ってくれた。とりあえず一難乗り越えた俺様達を見て、女神は確信を得たように頷く。

 

「成程ね…相当大事なんだ。たかが武器にそこまで愛着を抱くって凄いなあ。しかも武器が主人に守られてるってさあ!構図があべこべだよ!滅茶苦茶面白いなキミ達!」

 

キツ。グサグサ言葉の刃突き刺さって来る。情けなくてぐうの音も出ない。

 

女神は無邪気に笑った。

 

「だとしたら、ただ壊すだけじゃつまらないか…そうだ!キミに壊させてあげるよ!」

 

優雅にくるりとドレスをはためかせた女神が放った言葉を理解するのには時間が掛かった。理解する事を拒んだからだ。

 

――――マリンに俺様を壊させるだと?

 

「意識はそのままで、体だけボクが操ってあげる!それなら躊躇いなく出来るだろう?ボクって親切!」

 

心折の間違いだろ。

 

「丁重にお断りします。ふざけるなこの性格ドブス」

 

丁重じゃ無さすぎるけど完全同意!!

 

「ひどーい!許さなーい!ボク怒っちゃったからねー!」

 

頬を膨らませてから、絶対にそう思ってないだろとツッコミたくなるくらい棒読みで言った女神が、無慈悲に指を鳴らす。

 

マリンに異変が起きた。

 

女神の力に抗ってるのか、腕がガクガクと震えている。その拍子に俺様はマリンの手から離れ、冷たい雪の上に投げ出された。

 

「逃げて…下さい…海雪さん…」

 

逃げられるもんなら逃げるんだけど、生憎足がないので1ミリも動けないのよ。というかこれから殺されるってのになんで俺様落ち着いてんだよ。

 

…うーん。それは、多分。

 

女神が操ってるとはいえ、マリンの手で殺されるからなのかもしれん。

 

 

マリンの手が俺様を拾い上げる。

 

マリンが俺様を鞘から抜いたのは初めてだった。それが武器として使われる為ではなくて、壊される為っていうのが、何とも言えない所だけど…でもちょっと嬉しいな。マリンが俺様で誰も傷付けなかったのは。

 

勿論刀としては人を斬るのが存在意義なんだけど、マリンにそんなのは似合わないし…。強いて言うなら女神叩き斬ってやりたかったけど、それは叶わぬ夢だから。

 

 

『マリン、今までありがとな。本当に…本当に楽しかったぜ』

 

話せないようにされたのか、マリンからの返事はない。

 

俺様は構わず続ける。どうしても伝えておきたかったから。

 

『ほんのちょっとの間だったし、マリンが頑張ってきた時間に比べたら…一瞬の事だったかもしんないけどさ』

 

みしみしと、俺様の体が音を立てる。

 

『それでも俺様はすっげー楽しかったんだ!悔いはない!』

 

マリンは俯いて、いやいやと首を振っている。マリンの意思に反して、その手は俺様を壊そうとする力を緩めない。

 

 

『大好きだぜ』

 

 

パキンと音がして。

 

俺様の意識は、ぷつんと途切れた。

World.█ ██の世界/後編

 

女神の拘束が解かれ、言葉を発する事が可能になった自分は、ひたすら海雪さんの名前を呼びました。

 

――――けれど、海雪さんは何も言ってくれません。

 

真っ二つに折られた事で、自分の手によって、死んでしまったのです。

 

「お見事、お見事!」

 

女神が笑顔で囃し立ててきます。

 

自分は無視しました。何を言われても無視し続けました。頑なに反応しませんでした。

 

すると女神は呟きました。

 

「飽きた」

 

そう言って姿を消しました。

 

 

追う気はありません。もはやどうでも良い。関わりたくない。そう思いました。

 

 

自分は馬鹿でした。クロウさんとリリィさんの忠告を聞いていれば良かったのです。

 

過去の自分が課した絶対命令に従って、もはや理由も忘れてしまっているのに、そもそも端から不可能な事を実現させようとしてしまった。

 

意地になっていたのです。自分には、絶対命令しか無かったから。

 

海雪さんに出会って、旅をして、死の間際に想いを聞かされ、ようやく自分にはそれだけではなかったと知りました。

 

――――もっと、諦めるのが早ければ。

 

女神と対峙したとして、自分だけが犠牲になると思っていました。けれど違いました。自分はこうして生きていて、海雪さんが死んでしまった。

 

胸の中心に穴が空いてしまった気分でした。痛くて、痛くて、堪りません。いっそ死んでしまえたらいいのに。柄にもなくそんな事を考えてしまう位には。

 

 

海雪さんは自分にとって、旅の相棒であり大切な家族だったのでしょう。

 

 

海雪さんを抱き締め、自分はその場から動けずに居ました。いつまでそうしていたかは分かりません。

 

海雪さんをくれた人を探して、海雪さんを直して貰おうか。そう考えた事もありましたが、きっと見た目だけを綺麗にした所で“海雪さん”は戻って来ない。そんな予感がしました。やってみないと分からないけれど、もし海雪さんが自分の事を覚えていなかったらと思うと、勇気が出ませんでした。

 

やった後悔は、やらなかった後悔よりも、何倍も辛いと思い知ったばかりの自分には。

 

 

そうこうしている間に、記憶データの損傷は進んでいきました。

 

もう、この世界より前にどんな世界に居たかも思い出せません。女神の顔も声も、既に朧気です。

 

海雪さんとの思い出だけはまだ残っていますが、このままでは海雪さんの事も忘れてしまうのは、間違いありません。

 

 

忘れ続けていく自分の生に、目的を果たす事も出来ない自分の生に、もはや意味など無い。

 

そう思った時。

 

自分の動力源は、女神の宝石だという事にハッとなりました。どんな願いも叶える力を持っている女神の力の片鱗。

 

これなら、もしかしたら。

 

自分は胸に手を当て、強く強く想いを込めました。

 

 

――――願いを叶える為に。

 

 

暫くすると、胸の中で小さく、何かが砕ける音がしました。

 

自分は瞼を閉じます。

 

 

「海雪さん。自分も、大好きですよ」

 

「おい海雪…本気で言ってんのかい」

 

「はい」

 

師匠は驚いた様に目を丸くした。

 

 

彼は店の物置小屋に捨てられていた僕を拾い、育ててくれた恩人だ。男手一つで赤ん坊の僕を世話するのは相当な手探りで、苦労したらしい。

 

俺の店に赤子を捨てるとは良い度胸だ。もし死んだら店の評判ガタ落ちじゃねえか。とよく漏らしていたものの、しっかり愛情を注いでくれていたのは分かっていた。お父さんと呼んだら小っ恥ずかしいからやめろと嫌がるので、いつも師匠と呼んでいるけれど。

 

海雪という名は、師匠が付けてくれた。昔打って手放してしまった刀の名前らしい。育児に心が折れそうになった時、捨ててはいかんと己を鼓舞する為あえてこの名前にしたのだとか。響きが良いし綺麗な名前なので、とても気に入っている。

 

 

――――僕は、再度宣言した。

 

「旅に出ます」

 

師匠はううんと唸ってから口を開く。

 

「理由はなんだ?自分探しか?そういう年頃だもんなぁ」

 

「あはは、違いますよ。どうしても会いたい人が居るんです」

 

 

雪のように白い髪と白い肌。人ならざぬ者かのように整った顔立ち。青い瞳は吸い込まれそうなくらいに綺麗な海の色。白い丈の短い着物を着ていて、その上に黒い羽織をしている。 

 

会いたいのは、そんな人。

 

何度も見た夢の中で、彼女と僕は色んな場所を旅した。砂漠で虹を見たり、深海で魚に食べられたり、摩天楼で流れ星を眺めたり…だけど最後には、決まってこう終わった。

 

雪が降りしきる中、僕が彼女に殺される。

 

所詮は夢だ。そう思おうとしたけど、不可解な事にこの夢を見た日は必ず、起きた時に涙が溢れていて、胸が締め付けられる感覚に苛まれた。

 

喪失感と、焦がれる様な想いが駆け巡った。

 

映像は鮮明だけど夢の中はいつも音がなかったから、僕は彼女の名前すら知らない。それなのに日に日に会いたいという気持ちが大きくなって、今となってはどうしようもなくなってしまった。

 

夢の終わりのシーンは、雪に覆われた世界での出来事だ。きっと僕が住んでいるこの地に違いない。彼女がまだこの世界に居てくれているなら、会う事は決して不可能ではない。

 

彼女に会えたなら、分かるかもしれない。

 

どうして僕を殺す時、泣いていたのか――――。

 

 

普段と違う僕の様子を察したのか、師匠は深く聞いてこなかった。代わりにこう言った。

 

「まあ、いつでも戻って来いや。お前目当てに来る客だっているんだからよ」

 

「有難うございます」

 

師匠はやれやれと肩を竦めた。

 

「というか資金はどうすんだ。言っとくが、俺は出してやらんからな」

 

「貯金があります。それから、師匠に教わった包丁研ぎで生計を立てていこうと思っています」

 

「へっ、ちゃっかりしてやがる。流石俺の…」

 

「俺の?」

 

「…なんでもねぇやい!とっとと旅にでもなんでも行っちまいやがれ!バカ息子!」

 

ぶっきらぼうな言葉だけど、師匠は涙声だった。

 

 

 

了承を貰えると見込んで、僕はとうに支度を済ませていた。本当にちゃっかりしてやがる、と師匠は呆れていた。

 

店の前まで見送りに来てくれた師匠に、荷物を背負い直してからお辞儀する。

 

「行ってきます」

 

返事の代わりに、全く痛くないゲンコツを一つ、頭にコツンと落とされた。それからずしりと重たい袋を置かれる。

 

「これ…」

 

「絶対に生きて帰ってこい」

 

「はい!」

 

「野垂れ死にしたらぶっ殺してやるからな」

 

「死んでるのに殺されるなんて、滅茶苦茶ですよ!」

 

二人で笑い合ってから、僕は歩き出した。

 

大きく手を振って、一時の別れを告げる。

 

 

「行ってきます!お父さん!」

 

 

――――これが僕の旅の始まり。

 

真実に向かう旅の、始まりだ。

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