Episode.1-オルカ
「7月7日13時13分13秒。無性型成人モデル666号、製造完了」
声を合図に、試験管から培養液が排出された。目の前の男…研究者は慣れた手付きで私に付けられていた器具を外していく。
「666、これを着なさい」
量産前提のギリギリ服と呼べる様な布を投げて寄越し、研究者は私へ無機質な視線を注ぐ。私は頷いた。
命令には従わなければいけない。そう知っているから。
衣服を身に付けた途端、手錠を掛けられる。そして首にタグを下げられた。手錠から伸びる鎖を手に、私よりも背の低い研究者は迷い無く歩き出す。
無菌室を思わせる白い廊下を裸足で進む。研究者は何も言わないので、私も何も言わない。発言の許可が下りていないのに勝手に話すなんて選択肢は、私の中には無い。
――――培養中…脳へ直接知識を与えられていた。だから服を着るのも歩くのも、誰に教えられなくとも即実行に移せる。赤子を育てる様に一から説明するなんて面倒な事を、研究者達は好んでいないのだろう。
どうせすぐに消えるであろう命に手間を掛けるなんて馬鹿のする事だから。
窓がないので外の様子は分からない。やっと試験管の外に出られたという喜びも無いまま、淡々と足を動かし続けていると…研究者が足を止めた。沢山ある扉の内の一つだった。
扉を開けて中に入った研究者は、壁に取り付けられた頑丈な手すりへ手錠を固定する。そしてこう言った。
「666、待機しろ」
私が頷いたのを確認し、研究者は部屋を出て行く。鍵がかかる音がした。
座れと言われていないので、私は突っ立ったまま部屋をぼんやりと目に映す。窓の無い真っ白な部屋。まるで牢獄の様だった。
ふと、この部屋の先客…白い髪の実験体に小声で話し掛けられる。
「ねえねえ、あなた何号?」
…命令されていないのに話すなんて、気でも狂っているのだろうか。声のボリュームを落としているという事は、バレたら不味いと分かっているのと同義だ。理解した上でリスクを犯すなんておかしいとしか思えない。
返事をしないでいると、勝手にタグを見られた。
「ふーん。666かー」
「…」
「わたしは無性型成人モデル614号。よろしくねー」
あははと笑った後、614は私の顔を覗き込んで話を続ける。
「わ、目の色凄い綺麗。海ってこんな感じなのかな。直接見た事無いのに知ってるんだから面白いよねー。いつか本物を見られたら良いけど…ま、無理か」
そう言って614はまた笑う。何が面白いのか分からなかった。
この実験体は自暴自棄になったのだろうか。このままでは研究に支障をきたすのでは無いだろうか。研究者に報告するべきだろうか。…と、考えたけれど。
――――問題ないと判断した。
だって、諦めた様な笑みを浮かべているから。614は自分の置かれた状況を受け入れている。つまり抵抗する気が無いという事だ。
「わたし、666より少し前に生まれたんだけどさ。運良くまだ実験に呼ばれてないけど、いつ指名されるかと思うと毎日すんごい怖いんだー」
「…」
「死にたくないよ。痛いのも嫌。でも仕方ないんだよね…わたし達は実験体だから」
不老不死の研究の為に生み出された…あらゆる死を克服する事を期待された実験体。その価値はその意義はその存在価値は実験中にのみ発揮される。それ以外での使い道なんて持ち合わせていない。
私達実験体は、自分をそう認識している。
実験体は食事を与えられない。空腹の克服も実験の内だと聞かされている。
仮に不老不死だったとして腹が減らないとは限らないし、逆もまた然りだ。だから実験と言うのはあくまで建前で、実験体に食事を与える分の経費を割きたくないのではないか…と614は度々不満を零した。
この部屋に来てからどれだけ待機していたかは分からないが、空腹を訴える614と違い、私は一向に腹が減らなかった。
614は飽きる事無く無反応の私に話し掛けていた。
「わたし、笑うのを心掛けてるの。幸せになれる気がしてさ。形から入るって言うんだっけ?こういうの」
…馬鹿馬鹿しい。私達に幸せを望む権利なんて与えられていない。
「ね、666も笑ってみてよ」
研究者からの命令では無いから当然従わない。黙り込む私を見て、614は寂しそうに笑った。
「きっと似合うのにな」
――――その時。部屋に研究者がやって来た。
「614、666。実験を行う。ついて来なさい」
私達二体は実験室へ足を踏み入れた。白く、広い空間だった。私達以外にも十数体の実験体が集められている。
未だ誰も生き延びた試しの無い実験。それがまた一つ、これから行われようとしている。
天井から伸びている金具に手錠を各々固定され、足枷を付けられた。
「準備完了」
一人の研究者が無線機で報告した後、準備に携わっていた研究者が全員退室する。
「これ…り第××…×回…実験を行…ます」
無機質なアナウンスが流れる。壊れかけらしいスピーカーは音質が悪く、ノイズ混じりな上に音が途切れて聞こえてきた。
突如、床が割れてノコギリのような物が現れる。切断の際の効率の為か人数分用意されていた。肉を巻き込むと切れ味が落ちるから、妥当な判断だろう。
私の隣に居る614が息を飲むのが分かった。
「切断開始」
再び流れたアナウンスを合図にノコギリが回転を始める。耳障りな音と共に、徐々に胴体へ近付いてくる。
実験体達が悲鳴をあげた。だけど当然逃げられない。
刃は容赦無く私達の肉を抉った。泣こうが喚こうが叫ぼうが止まらない。機械に慈悲など無い。けれど切断は一瞬では終わらない。想像を絶する苦痛を前に、実験体達は命乞いどころかこう言った。
――――お願いします、早く殺して下さい。と。
中には笑い出す物も居た。
「あは、あはは!!!!!!あはははははは!!!!!!」
614だ。肉片を飛び散らせながら、内臓を零れさせながら…笑っている。こんな状況でも幸せを感じようとしているのだろうか。
しかし614はぴたりと笑うのを止める。私を…厳密にはその胴体を見て、静かに微笑む。
「666は、わたし達の希望だね。こんなクソみたいな実験が、終わるかもしれない…」
その言葉を最後に614は、笑みを浮かべたまま動かなくなった。両断された影響で下半身がバランスを崩して地面に倒れる。上半身はぶら下がったままだ。息絶える前に生じた涙が、今も頬を伝っている。
辺りを見回すと他の実験体も同じ様に死んでいた。機械が停止した事で、実験室は静寂に包まれた。
じわじわと治っていく自分の胴体に視線を落とし、私は心の中で呟く。
――――気持ち悪い。
私の存在は、研究の成功を告げる証明であり証拠だった。614の言う通りこの実験は終わるのだと思った。
…だけど違った。実験は終わらなかった。
本当の地獄はここからだった。
一体成功したのなら他の個体も成功するかもしれない。サンプルが多いに越した事は無い。そう言って研究者達は残りの実験体も漏れなく私と一緒に実験に投入した。
プレス機で潰された。
散弾銃を何発も至近距離で打ち込まれた。
業火に焼かれた。
数百メートル上から落とされた。
猛毒を飲まされた。
同胞達が死んでいく隣で私は常に生き残った。何が起きても元に戻る体に恐怖を覚えた。そんな私と違い、絶命するであろう状況を幾度となく乗り越える成功体を目の当たりにする度、研究者達は歓び意欲を高めていった。
――――次第に私の中に疑念が生じた。思考停止する方が楽だと理解していたけれど…それでも。
最近の研究者達は、どうすれば私が死ぬかを模索するかの様に実験している様に思えた。まるで玩具を与えられた子供だった。本来の目的を逸脱している。
私は死なないけれど、他の実験体は違う。もはや実験とは名ばかりの虐殺だった。
この頃、私は個室を与えられていた。だから他の実験体がどうしているのかを知る手段は無かったけれど、最近の実験体の消費速度を考えれば…あの沢山ある待機部屋が全て使われているとは到底思えなかった。
培養には時間が掛かる。一日そこらで成人モデルの実験体は作れない。製造が追い付いていない証拠に、新しく作られた実験体は尽く幼児モデルかそれより少し大きい程度だった。見た目は人間と瓜二つと言って良いのに、そんな外見の実験体を残虐な実験に投入するのは…まともではない。
日が進むにつれ、いつしか成人モデルの実験体は私だけになっていた。
一日の終わりには必ず男性の研究者が私の部屋に現れ、性処理に付き合わされた。以前は女性型モデルの実験体が知らない所でこの役目を担っていたのだろうか。女性研究者であれば、男性型モデルが使われていたのだろうか。無性型モデルの私に性器は無かったけど、排泄用の穴を模した物は存在していた。だから男性研究者に利用されたのだろう。
まあ…良い。
どうせ拒否権なんて無いのだから。研究者にとっては所有物なのだから。
好きにすれば良い。どうでも良い。
――――どうでも、良い。
どれ程の時が流れただろう。
赤子のようなモデルと実験に参加し、鮮血と共に溢れる悲鳴が止んだ後、再生が終わり次第自分の足で部屋に戻り、男性研究者の欲の発散に使われる。
不死故に自害も許されず、文字通り生き続けるだけの日々。
そんなある日、私の部屋に研究者のトップが訪れた。
「研究費用がそろそろ尽きそうだし、実験体は貴方だけになってしまったし…これにて研究は成功という事で終了しましょうという結論が出たのよ」
人の良さそうな老人が言ったとは思えない、利己的な発言は続く。
「有難う666号。貴方のおかげで…きっと我々は不老不死になれるわ」
私は大部屋へ招かれた。飾り付けされたそこで、研究者達はケーキやクラッカーを用意して笑顔を浮かべていた。大きな幕には手書きで『研究成功 おめでとう』『666号 ありがとう』と書かれていた。
反吐が出そうだった。
限界だった。
「ねえ」
喋らない人形とばかり思っていたんだろう。あの666号が口を開いたからか…部屋がしんと静まり返る。
笑みを浮かべて続けた。命令を気にしない心地良さを感じながら。
「私の番だよね」
と。
「オルカ!」
――――肩を揺さぶられ、ハッとなる。目の前にはリリィが居た。
…夢に飲まれそうになっていた私は、現実での出来事を思い出す。
三人での旅の最中、二人が急に屋敷に行きたいと言い出して…着いた途端に何故かクロウが出掛けたので、私はリリィと待っていた。せっかく屋敷に来た事だし、久しぶりにリリィのピアノ演奏が聞きたくなって…弾いて欲しいと頼んで…ソファに座って聴いていた、筈。
いつの間に眠ってしまったのだろう。
目が合ったと思ったら、リリィは申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめんね、起こしてしまって。凄く魘されていたから…つい…」
私は首を横に振る。
「謝らないで。むしろ、助かったよ」
「そうなの?」
「…うん。実験体だった頃の、追体験をしていたというか」
嘘を吐いた所で、リリィには通用しない。むしろ心配を掛けてしまう。それが分かっているから正直に伝えたけれど…内容が内容だけに、結局彼女の表情は曇ったままだ。
リリィは他人の痛みを自分の痛みとして捉えてしまう程に、優しいから。
残酷な夢。それは確かにあった私の過去だけど…もう終わった時間だ。それが今も自分を蝕んでくるのは癪に障る。夢に出てこなくたって、あの地獄を忘れる訳が無いのに。
まるで、お前は幸せになるなと言われている気分だった。
座ったまま黙り込んでいると、リリィは私の隣に腰掛けて頭をそっと撫でてきた。
――――くすぐったくて…でも、温かい。
思わず口元が緩む。すると彼女も微笑んだ。
「私、オルカの笑顔が好きよ」
「…知ってる」
「ふふ、何度も伝えているものね」
優しい手の心地良さに瞼を閉じた時。
「オルカには、笑顔が似合うからな」
聞き慣れた声が耳を撫でる。私の目の前に立っていたクロウは、何故か花束を持っていた。
「おかえり、クロウ。おつかい有難う」
「ただいま」
「…おかえり。おつかいって、それ?」
何に使うのだろう。屋敷に飾るのだろうか。何故急に帰って来てまでそんな事をしたいと思ったのだろう。
「どうして花束を…?」
考えても分からなかったので疑問を口にする。クロウは私の隣に腰を下ろすと、こう言った。
「大ヒント。今日は何の日?」
「え…今日…?」
確か、7月7日………
――――ああ、そうか。
「誕生日おめでとう、オルカ」
表情を見て察したのか、そう言ってクロウは私に花束を差し出した。
「お誕生日おめでとう!今年も言えて嬉しいわ。今日は皆でパーティよ」
花束を受け取った私に二人が寄り掛かってくる。
誕生日なんて気にした事が無かった。ただの製造日で、そもそも誕生は呪うものだと思っていた。
だけど今は、祝うものだと…リリィに教えられて知っている。
自分達を祝う為に私をパーティへ呼んだ研究者達とは違う。大切なかけがえのない人達は、私が生きている事を純粋に喜んでくれて…私を祝う為にとパーティを開いてくれる。
あんな奴らと比べる気にもならないくらい、私を大切にしてくれている。
――――愛してくれている。
あんな夢を見たせいもあってか思わず零れた涙が、花束に水滴を作った。
「どうしたオルカ!?お腹痛いのか!?ご馳走食べられるか!?それとも俺が二人分食べようか!?」
「クロウ、落ち着いて。そうじゃないの」
私の事情を知っているリリィが、見当違いの事で焦るクロウを宥める。
ぽろぽろと落ちる涙。それは、私がもう心を殺し続ける実験体ではないという証に思えた。
「成程、悲しくて泣いている訳ではないのか」
リリィの言葉を聞いて頭を悩ませていたクロウが、今度はしっかりと正解を口にする。私が頷くと、クロウは柔らかな笑みを浮かべた。
「オルカが泣いている所は、あまり見たくないが…そういう事なら、良かった」
暫くして私が泣き止むと、リリィは明るい調子でこう言った。
「そうそう。今回、オルカの誕生花でお花屋さんに花束を作って頂いたのよ」
「そうなの?」
「ええ!」
「俺、詳しく知りたい!」
「…私も、知りたい」
クロウが勢い良く挙手する隣で、私はぼそりと同意する。リリィは嬉しそうに、花の名前と一緒に花言葉を教えてくれた。
アベリア…強運、謙虚、謙譲。
スイレン…清純な心、信頼、信仰。
クチナシ…とても幸せ、喜びを運ぶ、洗練、優雅。
スグリ…貴方の不機嫌が私を苦しめる、私は貴方を喜ばせる。
…だそうだ。
「深いな」
うんうんと頷いたクロウがそう言う。
「本当に分かってる?」
「む!分かってるぞ!どれもオルカっぽいし、良いなーって思った!」
「はいはい」
ムキになる様が子供っぽくて可愛らしくて、何だかおかしくなって…つい笑ってしまう。
――――幸せだと思いたいから笑う。
614の真似をして、長らくそう過ごしていた。今はそんな風に笑う事はしない。
幸せだから笑うのだと、無理して笑う必要なんて無いと…知っているから。
「ねえオルカ。今、幸せ?」
リリィの温かな問いに、私は笑顔でこう返した。
「幸せだよ」
と。